4回の大地震に被災しても自分が死ななかった理由

黒坂岳央です。

先日、熊本で大きな地震があった。自分自身は幸いに被害をまぬがれたが、会社や妻の実家には被害が出ており、またイオンモール熊本には数日後に行く予定だったため、まったく他人事ではなかった。

自分は人生で4回の歴史に残る大地震を被災している。阪神淡路大震災、東日本大震災、2016年熊本地震、そして今回の2026年熊本地震である。その体験から地震と人生について感じたことを述べていく。

大地震を4回被災して

まずは筆者の被災歴をここに述べたい。

1回目は阪神淡路大震災だ。当時は中学生で、学校の校舎が破損してしばらく休校になった。大きな揺れで実家の壁に大きなヒビがいくつも入り、業者に見てもらったところ「今回は奇跡的にギリギリ耐えたが、次に大きいのが来たら確実に倒壊します」と言われた。

だが実家に家を建て替える金銭的余裕などまったくなく、そのまま家族で住み続けることになった。

2回目は2011年の東日本大震災だ。自分は当時は会社員で、今の妻とオフィスで一緒に仕事をしていた。

大きな揺れでデスクトップPCが宙を飛び、肉厚のデスクを直撃して破壊した。窓ガラスを拭いていた高層ビルの清掃員が、まるで空中ブランコのように揺られ、それを見上げた地上の人々が悲鳴を上げていたのを今でも覚えている。

テレビには千葉県のガス爆発と津波の映像が流れ、「この世の終わりか、世紀末か」と本気で思った。電車が完全に止まったため、妻の手を引いてオフィスを出て、帰宅難民を受け入れていた虎の門病院のベンチで一夜を明かした。

3回目は2016年の熊本地震。自社法人のオフィスが大きな被害を受けた。従業員は自宅を失ってテント生活となり、出社できなくなった。商品の発送も止まり、この先、一体どうなってしまうのか非常に強い不安を感じたのを覚えている。

そして今回、4回目の熊本地震だ。自分はなんとか無事だったが、従業員にはケガ人が出て、会社も被害を受けた。妻の実家も被災して被害が出た。

今回の地震、個人的に心に来たのは、大きな被害が出たイオンモール熊本だ。ここには家族でよく訪れていた思い出の地である。恐竜博物館の帰りに食事をしたり、写真館の帰りに立ち寄ったりした思い出の場所が、一夜にしてまったく違う姿でニュースに映っていた。

実は数日後に子供を連れて行く予定を入れていた。運が悪ければ、自分がそこにいた可能性は十分にあった。

ここまでが地震の話だが、実はもう一つ、忘れられない出来事がある。短大に入学した4月、JR福知山線の脱線事故が起きて、犠牲になった同大学の学生もいた。

天災ではなく、通勤・通学という最も日常的な行動の中で人が死ぬということを、20代の自分に叩き込まれた出来事だった。

海外では天災ではなく人災が起きる

こうした地震が起きると「日本は地震や津波、台風など天災が多いから不運だ」と言われる。だがそんなことはない。海外には日本ほど天災がないかもしれないが、代わりに「人災」が日本より圧倒的に多いからだ。

筆者がアメリカに留学した翌日、近所で強盗事件が発生し、大量のパトカーが集まっているのを目撃して肝を冷やした。また、友人と遊んだ帰り、深夜の電車に座っていたら大男同士の取っ組み合いの喧嘩が始まり、慌てて車両を移動した。

別の場所では路地裏では雰囲気の悪い男に付きまとわれ、声をかけられて恐怖を感じたこともある。ホームパーティーで薬物を勧められ、必死に断った経験も持っている。目の前で薬物でラリった姿を見て、心から恐怖して逃げた。

日本には災害があり、海外には犯罪がある。国や環境を変えても、リスクの種類が変わるだけでゼロにならない。我々はどれだけ気をつけていても、何をしていても、死ぬときはあっけなく死ぬのだ。

どれだけ備えても死ぬ時は死ぬ

ここまで振り返って思うのは「自分は運がいい」でも「自分は用心深いから助かった」でもない。むしろ自分は逆に解釈していて、対策の有無と生存の有無は無関係だったという理解である。

東日本大震災のときは母が仕事で東京に出ており、帰宅困難者になった。また、今回の熊本地震では、数日前から熊本入りしていた親戚が被災した。その親戚は普段は東京の堅牢なタワマンに住んでおり「次に大震災が来ても大丈夫」ということだったが、結局熊本に帰省したことで彼女は被災した。

また、父は脳梗塞で倒れ、肺が非常に弱った状態でかろうじて生き延びていた。医師からは肺の状態は実年齢よりかなり悪いと説明され、肺炎になれば命に関わると釘を刺されていた。本人も細心の注意を払って生活していたが、そこにコロナがやってきて父の命を奪い去った。

このようにどれだけ気をつけて生きていてもリスクは常につきまとう。生存者は、備えていた人というより、無作為に選ばれた結果に過ぎない。

どれだけ備えても人生は何が起こるか分からない。この当たり前のことを再認識する出来事だった。

元気な内に死の準備を

「終活」という言葉がある。多くは60代、70代で行うものだろう。だが筆者は40歳の時に始めてすでに準備を終えている。20代の頃から死についてはしょっちゅう考えていたが、40歳で具体的な行動に出ることにしたわけだ。

終活なしに自分が突然死ねば家族が困るし、お客様や取引先に迷惑がかかる。だから自分の葬式を含めてしっかりと入念に準備をしてある。

もちろん、積極的に死にたくはないが、いざそうなっても「想定より早かったがまあ仕方がない」という感覚である。

具体的に言うと、残された家族へ自分の意思と仕事の後処理などを記した「遺書データ」を金庫に保管(自宅にはない)したアクセス文書経由で見るようにいってある。その遺書データには自分の脳みその中が記録されている。

万が一、家族になにかあっても実家や兄弟にも渡るようにバックアップ対応してある。兄弟は全国に散らばっているので一族が一斉絶滅するリスクは小さい。

このように筆者は死の準備はすでに万全に完了済だが、今回の地震で改めて「本当にいつ死ぬか分からないな」と再認識した。終活をすると妙な落ち着きと死への覚悟ができるので、なるべく早いうちから始めてもいいかもしれない。

人間の人生は生きていることが当然ではない。毎日毎日、生存ルートを確率論的に引き続けてたまたま生きているだけだ。自分は感傷に浸りたいのではなく、「当然ではない生」を普段からどれだけ実感を持ち、意識して大事に日々生きるかが大事なのだと思っている。

退屈な今日を迎えても、明日が同じように退屈である保証などどこにもない。本当に人生はいつ終わるか分からない。毎日、非常に小さな死のルーレットの上を歩いているという感覚を持つことで、一日を大事に生きられるのではないだろうか。そんなことを思い出させてくれる出来事だった。

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働き方・キャリア・AI時代の生き方を語る著者・解説者
著書4冊/英語系YouTuber登録者5万人。TBS『THE TIME』など各種メディアで、働き方・キャリア戦略・英語学習・AI時代の社会変化を分かりやすく解説。

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