黒坂岳央です。
昨今、あちこちで「自己肯定感を上げよう」と叫ばれている。持っている実力より自己肯定感が低いのは確かに問題であり、行動力を生み出すためにも自己肯定感はないよりあった方がいいように思える。
だが、あまりにも「自己肯定感を上げろ」とか「あなたはそのままでいい」、みたいな無責任な意見が出回ったことで、持っている実力に見合わない自信で破滅する人を見ることがある。
実力不相応な自信を持つ時、自己肯定感はプラスよりマイナス要素になる。
※ここで言うバカの定義は「能力が低い人間」ではない。メタ認知力がなく、実力不相応にプライドや無根拠な自己肯定感に溢れている人たちのことだ。

「自分は特別な人間だ」という思い込み
若い頃は誰しも根拠なき自信に溢れている。つまり、ほぼ全員バカで生まれる。これは見下しなどではなく、当たり前のことだ。
赤ちゃんを見ればわかるが、人間はあまりに非力で弱くてバカのまま生まれる。人生前半の大部分を学習に特化し、20年くらい教育を受け続けてようやくものになる生き物だ。
だから誰もが若い頃は「自分はきっと普通の人間とは違うのだ」という強い思い込みを、誰もが一度は持っているものである。それが大人になるにつれて現実に直面し、激しい競争にさらされる中で、たいていの人間は本来の実力に着地していく。
一方で、そうならない人間もいる。いい年をした大人になっても自分は特別だと疑わない人間だ。
これは非常に痛々しい話だが、筆者がそうだった。しかも一般的なケースより大分痛い。30代半ばの中年のオジサンになっても「自分はきっと特別な人間なはずだ」という思い込みを疑っていなかった。妻からの応援もあり、脱サラして起業、「いつか本を出したい、テレビに出てみたい、YouTuberになってみたい」という、年齢不相応に若い夢を中年になってもぼんやり抱き続けていた。
そしてその願望は、運にも助けられて実際に叶っていった。「いつか作家になりたい」と思ったのは30代後半だったが、今6冊目の本を書いている途中だ。漠然とした「自分はきっと夢を叶える人間だ」という愚かに思える自己肯定感がなければ、これは実現できていなかったと思う。もちろん、運もあっただろうが、相応の努力もした。
だがいいことばかりではない。自分はこの自己肯定感に足元をすくわれたこともある。初めて本格的に投資をした時は「自分には幸運の女神がついている」という愚かな考えを持っていたせいで、当時の全財産を失う大失敗トレードをした。
起業してからも、相手の口車に乗せられて詐欺に遭い、大金を失った経験がある。こちらは「自分は人を見る目がある」という思い込みであり、投資も起業も実力にまったく見合わない自信によって失敗した。
今ではさすがに年齢も重ねて程々のところに着地したと思っているが、この経験からも実力がないのに自信だけあるのは非常に危険である。
いい自己肯定感と悪い自己肯定感
自分は自己肯定感が高かったせいでバカな失敗もやらかしたし、そのおかげで実力以上の結果も手に入ったと思っている。つまり、「自己肯定感そのものが全く悪い」というわけではない。
筆者は今でも自己肯定感は高い方だと思うが、同時に「自分はまだまだ知らない事が多い。間違いが多いし、修正するべき認知の歪みもたくさんある。実力不足で他者の力を借りないといけない局面も多い。自分はまだまだ成長の余地がある」というメタ認知もある。
これを聞くと、自信があるのかないのかわからなくなるかもしれない。だが、「自信があること、謙虚であること」は両立する。いや、むしろ謙虚さとは自信がある人だけが持てる姿勢である。
「自分は努力すれば道を切り開ける」という思いがあるから、部分的には足りないところ、間違っているところがある事実を受け入れられる。これがまったく根拠ある自信がないとなると、間違いを認める器がなくなる。
バカが自己肯定感で失敗する3つの理由
それでは本稿テーマの「バカが自己肯定感で失敗する」という原因を3つの理由で説明する。
1つ目は、フィードバックの遮断による能力の固定化である。「自分は十分できている」「問題は周囲の側にある」という自己評価をしている人間は、他人からの指摘を成長の材料ではなく攻撃として処理する。
育児をしているとこれがわかる。子供に「片付けして」というと「今やろうと思ってた!言われなくてもわかってる!」と反発する。子供がいうのはかわいいものだが、30を超えてそのような態度の人は精神的に幼稚な人物と解釈される。
そして指摘を受け取れない人間は修正できない。修正できない人間は、時間が経つほど周囲との実力差が開いていく。
2つ目は、リスク評価の失敗である。筆者の投資と起業の失敗はまさにこれだった。自己評価が実態より高い人間は、身の丈を超えたポジションを取り、撤退の判断も遅れる。
損切りができない人間の共通点は、たいてい知識不足ではなく、自分が間違っているという可能性を検討する回路がないことである。
そして3つ目は批判を攻撃と誤変換することによる情報環境の自壊である。
批判に対して防衛的に反応する人間からは、いずれ有能な助言者が離れていく。優秀な人間ほど、無駄な摩擦を避けて黙って距離を取る。結果、誰もいなくなる。
悪いことに今は、SNSでダメな人同士が集まって傷を舐め合えるコミュニティまである。「自分は間違っていない。間違っているのは周囲」という認知の歪みが最大化されてしまう。こうして本人の周囲には、実力を映す鏡が一枚も残らなくなる。
プライドは早めに捨てておく
厳しい意見だが、筆者は「健全な成長のためには、人生の早い段階でプライドは捨てるべき」と思っている。
自分は20代の頃、厳しい上司からことごとくダメ出しを受け、一挙手一投足に指摘を受けた。「お前、取引先相手にその言い方はダメだ。次の電話から確実に直せ」こういう具合だった。
最初は心の中で反発もあったが、毎日仕事をする中で少しずつ順応していった。言われた瞬間は腹が立つのだが、仕事の帰り道冷静に考え直すと上司が正しい。
「仕事は結果を出す場であり、権利の主張は義務を果たしてから。結果を出せないうちはプライドなんて邪魔。プライドだけ高い仕事ができない人間に市場価値なし」20代でこのマインドを上司から叩き込んでもらえたのは非常に大きな価値だった。
独立した今でも、自分が集中しているのは結果を出すことだけであり、プライドは捨てている。いやプライドを捨てて、結果を出せるなら自分は喜んで捨てるしいくらでも頭を下げる。そのくらい仕事は甘くないし、一度勝っても勝ち続けるのは至難の業である。
20代でプライドを捨てられた人間は強い。結果だけにコミットできるからだ。
◇
だが昨今は社会全体がホワイト化して、そうした指導や指摘をする人もいなくなってしまった。油断すると実力不相応にプライドだけ肥大化するバカになる。年を取って中高年でプライドばかり高い人間はまったく使い物にならない。そうならないためにも謙虚でありたいものである。
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