映画『開戦前夜』の監督はNスペで訴訟を起こされた石井裕也氏:映画は大丈夫?

7月31日に公開された映画『開戦前夜』が話題になっています。猪瀬直樹氏のノンフィクション『昭和16年夏の敗戦』を原案に、日米戦争をシミュレーションし、「日本必敗」という結論を出した総力戦研究所の若手エリートたちを描いた作品です。

主演は池松壮亮氏。監督・脚本・編集を担当したのは、『舟を編む』『月』などで知られる石井裕也氏です。

ところが、この映画には公開前から異例の問題がつきまとっていました。石井監督らは、映画のもとになったNHKスペシャルをめぐり、総力戦研究所初代所長の遺族から訴えられているのです。

Nスペのドラマ部分を映画化

『開戦前夜』は、2025年8月に放送されたNHKスペシャル「シミュレーション~昭和16年夏の敗戦~」のドラマ部分に、約40分の未公開・追加映像を加えた劇場版です。

舞台は1941年。官僚、軍人、民間企業から集められた若手研究生たちが、対米戦争の行方を検討します。資源、輸送力、生産力などの数字を積み上げた結果、彼らが導き出したのは日本の圧倒的な敗北でした。

しかし、その合理的な結論は政府や軍の論理、そして社会を覆う「空気」にのみ込まれていきます。映画としては緊張感があり、俳優陣の演技にも見応えがあります。

開戦反対の所長が「卑劣な軍人」に

問題は、國村隼氏が演じる陸軍少将・板倉大道の描き方です。総力戦研究所の実在の初代所長は、飯村穣陸軍中将でしたが、劇中の板倉は、東條英機陸軍大臣の意向を忖度し、研究生たちに開戦を前提とした結論を求める人物として描かれています。

「日本必敗」という結果が出ると圧力をかけ、異論を唱える研究生に対して、最前線に送られる可能性までほのめかします。

原告である孫の飯村豊氏は、実在の飯村所長は自由な議論を奨励し、日米開戦を憂慮していたとして、「史実と正反対の卑劣な人物にされた」と主張しています。

2025年12月、飯村氏はNHK、制作会社、石井監督らを相手取り、550万円の損害賠償を求めて東京地裁に提訴しました。裁判では、板倉が飯村所長をモデルにした人物と受け取られるかという「同定可能性」と、遺族の敬愛追慕の情が法的に保護される程度まで侵害されたかが主な争点になっています。

映画版は訂正部分を取り除いた

NHKスペシャルには、ドラマだけでなくドキュメンタリー部分もありました。そこでは、実在の飯村所長について、自由闊達な議論を奨励し、日米戦への突入を憂えていた人物だったと補足されています。

つまり番組の中で、ドラマとドキュメンタリーが矛盾していたのですが、映画版では、このドキュメンタリーによる補足がありません。残るのは約138分のドラマです。板倉が若者たちに圧力をかけ、軍の意向に沿わない結論を握りつぶそうとする印象が、スクリーンいっぱいに展開されます。しかもNスペ版より約40分長くなっています。

製作側は映画版で板倉を「所長」と呼ばず、冒頭にフィクションであることを示すテロップを入れました。しかし、実在した総力戦研究所を舞台にし、当時その組織を率いていた人物と同じ役割を担わせながら、「名前も階級も違う架空の人物です」と説明するだけで、一般の観客が完全に別人だと受け取るでしょうか。

NHK版には一応あった史実の補足が映画では消え、問題となった人物造形だけが増幅されています。その意味で映画の中身は、Nスペよりもさらにどぎついのです。

「表現の自由」で済むのか

実はこの映画は、Nスペより先に企画されていたが、頓挫しました。それをNHKが番組にしたものです。製作委員会は、板倉は特定のモデルを持たない創作上の人物であり、飯村氏とは名前、外見、階級も違うと反論しています。また、歴史資料をもとに人物や物語を創作することは、歴史フィクションでは一般的な手法だと主張しています。

しかし、もともと映画として進められていた企画を、事実性と信頼性を看板にするNHKスペシャルとして放送した点は看過できません。NHK内部でも人物描写への修正要求がありましたが、石井監督は物語の根幹にかかわる板倉の設定について譲らず、そのまま放送されたといいます。

映画監督がフィクションを作る自由と、公共放送が歴史番組として放送する責任は別の問題です。NHKが石井監督の作家性を優先するのであれば、最初からNスペではなく、劇映画として世に出すべきだったでしょう。

『開戦前夜』が描くのは、誤りに気づいても、組織がいったん決めた方針を止められない日本社会の姿です。訴訟を抱え、史実との矛盾を指摘されても、NHKと製作側が映画公開へ突き進んだ経緯そのものが、皮肉にもこの映画のテーマを再現しているように見えます。

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