高齢者を捨てる「姥捨山」の風習は本当にあったの?

老人福祉の削減の話をすると「姥捨山みたいな血も涙もない話だ」といわれることがあります。昔の日本では、年老いて働けなくなった老人を山に捨てたという「棄老伝説」ですが、これは本当に日本で行われていた風習なのでしょうか?


映画『楢山節考』(東映)

姥捨ての「伝説」はあった

結論から言うと、一定の年齢になった老人を山に捨てるという風習が存在したことを示す史料はありませんが、そういう伝説は古くからあります。

平安時代の『大和物語』には、老いた姨を山に置いてきた男が後悔するという説話が登場しますが、この話は姥捨ての制度を描いたものではなく、親を思う気持ちを伝える物語です。

日本各地にも似た話があります。長野県には通称「姨捨山」と呼ばれる山があり、岩手県の遠野には、60歳を超えた老人が集落の外で暮らしたという「デンデラ野」の伝承がありますが、そこに暮らした老人たちは里へ下りて農作業もしていたとされます。

深沢七郎の『楢山節考』はフィクション

現在の日本人が「姥捨山」と聞いて思い浮かべるのは、深沢七郎の小説『楢山節考』の影響が大きいでしょう。この作品では、70歳になった老人が村の掟に従い、家族に背負われて楢山へ向かいます。

食料の乏しい村で「口減らし」のために老人が自ら死を受け入れるという強烈な物語で、映画にもなったので、姥捨山という名前はよく知られています。

しかし『楢山節考』はフィクションです(深沢もそう認めています)。老人を一定の年齢で山へ捨てる制度が実際の農村社会に存在した事実は確認されていません。

本当の「口減らし」は間引きだった

では、貧しかった昔の農村に「口減らし」はなかったのでしょうか。残念ながら、こちらは実際にありました。江戸時代には、堕胎や赤ん坊をを川に流したり屋外に放置したりする間引きが各地で行われていました。

特に東北や北関東などでは、藩が何度も間引きの禁止令を出しています。それだけ実際に行われていたということでしょう。間引きは飢饉のときだけではなく、家の経済状態を考えて子供を増やさないために行われることもありました。

速水融『歴史人口学で見た日本』によると、1750年以降の記録から確認できる乳児死亡率は21%で、これが当時の日本の平均に近いと推定されています。これはいま世界最高のアフガニスタンより高く、単なる病死ではありません。

なぜ老人を捨てる物語が生まれたのか

考えてみれば、口減らしの方法として老人を山へ運ぶのは、合理的でもありません。昔の老人は、現在のように完全に仕事を引退するわけではなく、体力が落ちても農作業、家事、子守り、手仕事など、できる仕事はありました。

一方、生まれたばかりの子供は、これから何年も食べさせ、育てなければなりません。そのため貧しい農村で人口を調整しようとすれば、出生数を減らすほうがはるかに簡単でした。

ただ中国やインドなどにも「老人を捨てようとしたが、その老人の知恵によって国が救われ、老人を大切にするようになる」という物語があります。こういう姥捨て伝説は、本来は「老人を粗末にしてはいけない」「老人には若者にはない知恵がある」という教訓を伝えるための物語だったと思われます。

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