日本の農業を本当に輸出で稼ぐ農業にするには

2026年8月4日、農林水産省が上半期の農林水産物・食品の輸出額を公表した。8,977億円、前年同期比+10.9%。過去最高である。

高市首相はこれをXで紹介した。数字自体は正しい。私も前回、この投稿を1行ずつ原典に当てて検証した記事を書いた。

ただ、あの検証記事を書きながら、ずっと引っかかっていたことがある。+10.9%の中身を分解すると、この国の輸出農業の実態が、投稿とはまったく違う形で見えてくるのだ。そしてそこには、批判で終わらせるにはあまりに惜しい、はっきりした政策の入口がある。

今回は批判ではなく、提案を書く。

先に結論

提案:日本産抹茶を、10年で国費3,350〜3,850億円を投じる国家プロジェクトに指定する。

  • 年間335〜385億円。現在の茶関連予算(年約16億円)の約20倍
  • 目標は生産量ではなく単価。てん茶生産量は2倍強にとどめ、輸出単価を1.5〜2倍に引き上げる
  • 予算の重心は畑ではなく、加工施設・安全性・法的ブランド防衛に置く
  • 輸出だけでは回収しきれない。だがインバウンドを足すと景色が変わる。輸出由来の税収回収は国費の約4割。ここに茶産地への高付加価値旅行者の誘客を重ねると、回収率は5割超に上がる。残りは中山間地の農地保全・雇用・国土保全で説明する。新幹線や空港の便益計算とまったく同じ論法である
  • そして、茶畑そのものが観光資源になる。中国は年産4,000トンの抹茶工場を建てられる。だが800年かけてできた茶畑の風景は、建てられない

正直に書いておく。この提案には6つの重大なリスクがある。永年作物ゆえの不可逆性、5年の未収益期間、中国の追い上げ、労働力、素材化、そしてオーバーツーリズム。それらは最後にまとめて書く。

1. +10.9%の中身を分解する

上半期の輸出増加額(総額にあらず)は880億円だった。品目別に分解すると、こうなる。

2026年上半期 輸出増加額880億円の品目別分解。出典:農林水産省「2026年上半期の農林水産物・食品の輸出実績」(2026年8月4日公表)

2026年上半期 輸出増加額880億円の品目別分解。出典:農林水産省「2026年上半期の農林水産物・食品の輸出実績」(2026年8月4日公表)

品目 増加額 寄与率
緑茶 +220億円 25.0%
ぶり +177億円 20.2%
牛肉 +44億円 5.0%
ホタテ +32億円 3.6%
りんご +19億円 2.2%
なまこ調製 +11億円 1.3%
+8億円 0.9%
うなぎ ▲46億円
配合調製飼料 ▲27億円

緑茶とぶりの2品目で、増加額の45%。

緑茶は輸出全体の5.4%を占めるにすぎない品目だ。その5.4%の品目が、増加額の4分の1を叩き出している。

2025年通年でも構図は同じで、緑茶の輸出額は364億円(令和6年)から721億円へ、前年比98.2%増。ほぼ倍増した。

つまり「農林水産物輸出は好調」ではない。「お茶が異常に伸びていて、それが全体を持ち上げている」が実態に近い。

そして、この事実は髙市の投稿では触れられていない。

2. なぜ触れないほうがいいのか — 楽観と悲観の両方

「一本足打法だ」と批判することもできる。実際、前回の記事で私はそう書いた。

だが提案として考えるなら、話は逆になる。

日本の農産物輸出で、明確に世界市場を取れる可能性が見えている品目は、現時点でお茶しかない。

理由は単純だ。他の主力品目は、伸びていても構造が違う。2025年の品目別実績を、数量と金額の両方で並べるとよくわかる。

2025年 品目別の伸び率(数量と金額)。出典:農林水産省「農林水産物輸出入概況 令和7年」(2026年5月12日公表)
品目 数量 金額
緑茶 +43.4% +98.2%
牛肉 +17.3% +12.7%
+3.2% +15.4%
ぶり ▲9.3% +27.4%
ホタテ ▲24.6% +30.4%
りんご ▲29.6% ▲28.6%

ホタテもぶりも、数量は減っているのに金額が伸びている。単価上昇と円安によるものだ。これは需要拡大ではない。

牛肉は数量+17.3%に対して金額+12.7%で、単価はむしろ下がっている。量で伸びた唯一の品目だが、単価を落としている。

数量も金額も、しかも金額の伸びが数量の伸びを大きく上回っているのは、緑茶だけだ。数量+43.4%に対して金額+98.2%。量が増え、同時に単価も上がっている。

これは教科書的な「需要が供給を追い越している市場」の姿である。

3. 供給が、まったく足りていない

参議院常任委員会調査室の德永遥那氏が『立法と調査』2025年12月号(No.480)にまとめた「茶の輸出拡大 ― 抹茶供給体制の現状と課題 ―」は、この状況を正面から扱っている。

同稿が引く日本茶輸出促進協議会の月次概況は、2025年を通じてこう記録している。2月「海外の抹茶ブームに国内供給が追い付かない状況」、4月「抹茶の注文を受けきれない状態」、6月「原料調達の不調により予約注文に応えられない事例」

数字で見ると異常さがはっきりする。

  • てん茶(抹茶の原料)の国内生産量:5,336トン(令和6年)。10年で約2.7倍に増えたが、茶全体のわずか7.3%
  • 粉末状の緑茶の輸出量:6,026トン(2025年1〜9月)
粉末状の緑茶(抹茶等)の輸出量と輸出額。出典:参議院『立法と調査』2025年12月 No.480、德永遥那「茶の輸出拡大」/農林水産省「茶をめぐる情勢」

輸出量が、国内生産量を上回っている。(粉末状の緑茶には抹茶以外の粉末茶も含まれるため単純比較はできないが、在庫を取り崩しながら出している構図であることは動かない)

政府目標も既に陳腐化している。「令和12年までに810億円」という茶の輸出目標に対し、2025年実績は721億円。5年前倒しでほぼ達成してしまった。

需要があり、値段がつき、目標を前倒しで達成した。それでも供給が増えない。なぜか。

4. ボトルネックは畑ではなく、工場である

参議院資料が挙げる理由は明快だ。

第一に、加工施設が絶対的に足りない

政府支援により導入されたてん茶用の荒茶加工施設は、平成27年度から令和5年度の10年間で45施設にすぎない

— 参議院『立法と調査』No.480

10年で45施設。年4.5施設である。

てん茶は煎茶と加工工程が違う。生葉の緑色を残すために、揉まずに乾燥させる専用の炉が要る。さらに二次加工では石臼等で粉末にする工程があるが、この粉砕機も不足しており、茶業ではない製粉企業への委託を検討する茶商もいると同資料は記す。

コスト感を実例で押さえておく。滋賀県茶業会議所によれば、農事組合法人グリーンティ土山が産地パワーアップ事業で建設した碾茶工場は、総事業費3億1,500万円で1日約1トンのてん茶を製造する規模だった(平成29年度)。京都・和束町では堀井式碾茶炉1炉あたりの建設費が4,000〜5,000万円とされる。

第二に、品種転換に5年かかる

煎茶の主力品種「やぶきた」は被覆条件下で葉緑素の反応が鈍く、てん茶に向かない。被覆栽培適性の高い「せいめい」への転換が推奨されているが、その栽培面積は令和5年で130ha、全体のわずか0.4%。しかも改植から安定収穫まで5年程度を要する。

つまり、いま植えても収穫は2031年以降だ。

第三に、茶園そのものが老いている

樹齢30年以上の茶園が39.6%(令和6年度)。全国の茶園の約4割は中山間地にあり、10aあたり労働時間は傾斜地83時間に対し平坦地39時間と2倍以上の差がある。乗用型摘採機の導入率は全国70.2%だが、京都府は21.4%にとどまる。

そして、そもそも人がいない。

基幹的農業従事者は2026年に98万6,600人となり、初めて100万人を割った。前年比▲4.8%、75歳以上が35.3%、49歳以下は約12%。

5年待てる農家が、もういない。これが問題の核心である。

5. 中国は、待っていない

参議院資料は、日本が供給できない間に何が起きているかも記録している。

貴州省銅仁市。ここに本社を置く企業が2017年、年間4,000トンの抹茶生産能力を持つ世界最大規模の抹茶工場を建設した。同市政府はてん茶生産量を2025年中に1,750トン以上、2026年に2,200トン以上とする目標を掲げている。

日本のてん茶生産量が5,336トンである。一都市で、日本の4割規模。

背景の数字はもっと厳しい。

2023年 生産量 輸出量
世界計 217万2,474t 38万5,759t
中国 89.0% 80.2%
ベトナム 4.1% 15.8%
日本 3.5% 2.0%

日本は10年前まで生産量・輸出量ともに世界2位だったが、いまはベトナムに抜かれている。

このまま日本産抹茶の供給不足が続くと、安定的に供給される中国産のニーズが各国で高まり、日本産抹茶の品質面での優位性を生かせなくなることが懸念される

— 参議院『立法と調査』No.480

供給できない期間が長引くほど、市場は他国産に置き換わる。そしてサプライチェーンは一度置き換わると戻らない。

6. だから「量で戦う」という発想を捨てる

ここが本提案の中心である。

世界の抹茶市場は、Grand View Researchの推計で2025年に51億ドル、2033年には89億ドルに達するとされる(CAGR 7.1%)。1ドル155円換算で約7,900億円→約1兆3,800億円。

この1.3兆円を「取りに行く」と考えた瞬間に、戦略は破綻する。物量シェア2.0%の国が89%の国と量で勝負して勝てるわけがない。

日本が取るべきは、この市場の上位価格帯だけである。

そして日本はすでにそこで戦っている。参議院資料によれば、粉末状の緑茶の輸出単価は、その他の緑茶(煎茶等)と比べて約2.2倍(令和6年)。実額を計算するとこうなる。

令和6年 令和7年1〜9月
粉末状(抹茶等) 5,092t / 272億円
= 5,341円/kg
6,026t / 373億円
= 6,190円/kg
その他(煎茶等) 3,706t / 92億円
= 2,482円/kg
2,883t / 81億円
= 2,810円/kg

粉末状は量で6割、金額で7割超を占め、しかも単価が上昇し続けている。

「重量ではなく金額で取る」は理念ではない。すでに起きている現実であり、政策はそれを加速させればよい。

したがって本提案の数値目標は、こうなる。

指標 現在 2035年目標
てん茶生産量 5,336トン 1万〜1.2万トン
輸出単価 6,190円/kg 9,000〜12,000円/kg
緑茶輸出額 721億円 2,500〜3,000億円

量を3倍4倍に増やす計画は立てない。増やせば必ず価格が崩れ、崩れれば中国に勝てない。

7. 日本の武器は2つしかない — 安全性と、様式

では、単価を1.5〜2倍にする根拠は何か。「日本産だから」では通らない。

武器① 安全性

抹茶には、他の茶と決定的に違う性質がある。葉を丸ごと摂取するということだ。

急須で淹れる煎茶では、脂溶性の農薬の多くは浸出液に溶け出さない。だが抹茶は粉末を全量飲み込む。残留物のリスク評価が、構造的にまったく違う。

市場はすでにそう判断している。日本から米国、EU・英国への茶の輸出量に占める有機栽培茶の割合は、それぞれ64.9%、75.3%。EU向けは4分の3が有機である。

ここが日本の最大の差別化軸になる。

ただし、正直に書く。日本産=安全、はいま自動的には成立しない。

EUはポジティブリスト制を採り、基準が設定されていない農薬には一律0.01mg/kgが適用される。ネオニコチノイド系(イミダクロプリド、クロチアニジン、チアメトキサム)は2018年から域内の屋外使用が禁止された。

そして問題は、クロチアニジンのEU基準値が0.7ppmであるのに対し、日本の基準は50ppmとされる点だ(この日欧差は二次資料に依拠しており、私はまだ厚労省告示とEU Pesticides Databaseの原典に当たれていない。記事末尾に未確認として記載する)。しかも代謝物による超過リスクが高まるのは被覆栽培の条件下、つまりてん茶の栽培方法そのものである。

つまり「安全性で勝つ」は、日本が既に持っている資産ではない。これから国費で取りに行く陣地である。

そしてこれこそが、民間任せにできない理由だ。個々の茶農家がEU・米国の規制動向を追い、防除体系を組み替え、全ロットの分析を回すことは不可能である。国がやるしかない。

武器② 様式(歴史の正しい扱い方)

もうひとつ、記事にする前に整理しておかねばならないことがある。

「抹茶は日本のものだから中国産は偽物だ」という言い方をしたくなる。私も一度そう考えた。だがこれは事実として誤りであり、書けば必ず負ける。

抹茶(点茶法)は中国起源である。1191年、宋から帰国した栄西が、当時中国で行われていた碾茶の製法と喫茶法を日本に伝えた。参議院資料も「1200年以上前に中国から日本に伝わった茶」と明記している。

「起源は日本」と書けば、中国側に「では原典はどちらか」という土俵で反論され、確実に負ける。海外メディアに拾われれば、ブランド戦略そのものが毀損する。「Matcha」は既に国際的な一般名称であり、中国産を偽物と呼ぶ法的根拠もない。

日本固有なのは、起源ではなく様式である。

中国では権力の交代とともに碾茶が廃れ、日本ではそれが緑茶文化の基礎となった。そして16世紀、宇治で茶園全体を葦や藁で覆って遮光する覆下栽培が始まる。宇治茶の世界文化遺産登録推進サイトはこう記す。露地栽培による渋みの強い抹茶とは異なり、鮮やかな濃緑色でうまみの強い「日本固有の抹茶」が誕生した、と。

したがって主張すべきはこうなる。

主張すべきはこれ

「Matcha」という語は誰でも使える。しかし「覆下栽培された茶葉を、揉まずに乾燥し、石臼で挽いた、茶の湯の様式に連なる抹茶」は日本のものである。

これはシャンパーニュとまったく同じ構造だ。フランスは「発泡ワインを発明した」とは主張していない。「シャンパーニュ地方で、この製法で作ったものだけがChampagne」と定義しただけである。

中国産を「偽物」と呼ぶ必要はない。規格を作れば、自動的に「規格外」になる。言葉で戦うより、規格で戦うほうが安く、強く、訴訟に耐える。

8. 予算試算 — 10年で3,350〜3,850億円

以下は筆者試算である。単価の一部は仮定を置いており、その旨は末尾に明記する。

10年国費 内容
① ブランド防衛
(法務・規格)
500億円 種苗流出防止、国際商標・GI、模倣品監視、「Japanese Matcha」等級規格と第三者認証
② 安全性・規制対応 450億円 輸出向け防除体系の全国標準化、全ロット残留農薬分析の公費負担、有機JAS転換支援
③ 加工施設 600〜900億円 碾茶炉・荒茶加工施設200〜250施設、粉砕ライン整備
④ 生産基盤 700〜900億円 改植・新植6,000〜7,000ha、5年間の未収益期間の所得補填
⑤ 需要形成・文化 650億円 海外20都市の旗艦茶室・体験拠点、プロモーション年30億円規模、海外バリスタ認定制度
⑥ 研究開発 250億円 被覆作業の省力化、傾斜地機械化、防除技術
⑦ 茶産地の受入整備 200億円 茶産地の高付加価値宿泊、多言語・予約導線、茶園景観の保全と観光動線の分離
合計 3,350〜3,850億円 年335〜385億円
現行予算との比較

政府の現行措置は「持続的生産強化対策事業のうち茶・薬用作物等地域特産作物体制強化促進事業」が令和7年度予算11.5億円、「産地生産基盤パワーアップ事業のうち園芸作物等の先導的取組支援」が令和6年度補正110億円のうち4.5億円程度。

合わせて年約16億円。本提案は約21〜24倍である。

10年で45施設しか整備できなかったのは、年4.5施設分の予算しか積まれていないからだ。予算が需要の伸びに桁で追いついていない。

最も重要なのは④の所得補填である

金額では③④が大きいが、制度設計上の要は「5年間の未収益期間の所得補填」だ。

改植から収穫まで5年。その5年間の無収入を高齢農家個人に負わせている限り、転換は絶対に進まない。施設に補助金を出しても、生葉を出す人がいなければ工場は動かない。大企業をよびこみ社会福祉と労働環境が整った環境で働ける仕組みを作る。

ここに公費を入れるかどうかが、この提案の成否を分ける。

9. ペイするのか — 正直に書く
財政単体では回収できない
  • 緑茶輸出:721億円(2025)→ 2,500〜3,000億円(2035)
  • 10年累計の追加輸出額(逓増前提で平均年1,000億円)=約1兆円
  • 国内付加価値率70%、税負担率20%と置くと、税収回収は約1,400億円

国費3,350〜3,850億円に対し、輸出による税収回収は約4割。残り6割は、輸出だけでは回収できない。ここを「ペイする」と言い切ると必ず突かれるので、書かない。

ただし、回収源は輸出だけではない。次章が、この提案のもう半分である。

では何で説明するのか

新幹線や空港とまったく同じ論法。

新幹線の建設費が運賃収入だけで回収されると主張する人はいない。時間短縮便益、地域経済効果、国土構造の便益を計上してB/Cを立てる。空港も同じだ。

お茶の場合、非財政便益はこうなる。

  • 中山間地の農地保全:全国の耕地423万9,000haは直近1年で3万3,000ha減少している。茶園の約4割が中山間地にあり、茶産地の維持はそのまま条件不利地の農地保全になる
  • 雇用:基幹的農業従事者が100万人を割った局面で、単価の高い作物は数少ない新規参入の受け皿になる
  • 国土保全:中山間地域は全国の耕地面積の38.1%を占め(令和2年、167万ha)、洪水防止・土砂崩壊防止の多面的機能を担う

そして、やらなかった場合のコストも計上すべきだ。

2030年5兆円という輸出目標がある。2025年実績1兆7,005億円から達成するには年率24.1%の成長が必要で、これは現実的ではない。2025年2兆円目標も達成率85.0%で未達だった。

一方、輸入は2026年上半期だけで7兆1,456億円、入超▲6兆2,479億円。カロリーベースの食料自給率は令和7年度に37%へ1ポイント低下している。

目標を掲げ続けるだけで、構造は動いていない。動かすには、勝てる品目に予算を集中するしかない。それが現時点でお茶である、というのが本提案の骨子だ。

10. そして、畑そのものが観光資源になる

ここまでは輸出の話だった。だが本提案の効果は、輸出だけでは終わらない。

茶畑は工場ではない。風景である。これが新幹線や空港との、そして中国との、決定的な違いだ。

富裕層はもう来ている。ただし地方に落ちていない

2025年の訪日外国人旅行者数は4,268万3,600人(前年比15.8%増)、旅行消費額は9兆4,559億円(同16.4%増)でいずれも過去最高。政府は2030年に6,000万人・15兆円を目標に掲げている。

この中に、はっきりと切り出された市場がある。

観光庁は訪日1回あたりの着地消費額が100万円以上の旅行者を「高付加価値旅行者」と定義している。そして自らこう書いている。

いわゆる富裕層ともいうべき高付加価値旅行者は、訪日旅行者全体の約2%(約59万人)に過ぎないが、消費額は約19%(約1兆円)を占めている。ただし、大都市圏が大半を占め、地方への消費が少ない

— 観光庁「訪日旅行での高付加価値旅行者の誘致促進」(2023年時点)

訪日高付加価値旅行者の人数シェアと消費額シェア。出典:観光庁「訪日旅行での高付加価値旅行者の誘致促進」(2023年時点)

人数の2%が、消費額の19%を出している。そして、その金は東京・京都・大阪に落ちて、田舎には来ていない。観光庁自身が課題として認めている。

では、日本の田舎に富裕層を呼ぶための「口実」は何か。

抹茶は、日本の農産物で唯一「すでに世界的な固有名詞」である

ここが決定的だ。

海外の富裕層に「日本の中山間地の水田を見に来てください」と言っても来ない。「和牛の牧場」でも「りんご園」でも動機として弱い。だが抹茶は違う。

彼らはもう抹茶を知っていて、自国で高い金を払って飲んでいる。輸出単価6,190円/kgの粉末を、海外のカフェで一杯1,000円超で買っている層がいる。その人たちに対して「その茶が育った畑があります」と言えるのは、日本だけである。

しかも、この層が求めているものは価格ではない。

観光庁の整理でも、高付加価値旅行者は旺盛な知的好奇心を伴う自然体験・文化消費を求める層とされ、日本交通公社の調査では、着地消費100万円以上の層のうち「自己実現」と「真正性」の両方の志向が高い割合は68.0%で、100万円未満の層(52.2%)を大きく上回っている。

本物であること。それ自体が商品になっている層である。

そして、産地訪問こそが最も安いブランド認証である

第7章で、日本の武器は「規格」だと書いた。だが規格には弱点がある。書類は、感動しない。

シャンパーニュも、ブルゴーニュも、ナパも、ブランドを支えているのは法的定義だけではない。

畑を見た人間が、帰国して語ることだ。

京都・和束町の茶畑は、京都府景観資産の登録第1号であり、2015年には「日本茶800年の歴史散歩」として日本遺産に登録されている。すでにコンテンツとしての格付けは終わっている。あとは、そこに世界の富裕層を運ぶ導線がないだけだ。

中国が絶対に作れないもの

中国は2017年に、年産4,000トンの世界最大級の抹茶工場を建てた。工場は、金があれば建つ。

だが、斜面に石を積み、800年かけて等高線に沿って形をつくってきた茶畑の風景は、建てられない。

日本が中国に対して持っている優位のうち、資本で追いつかれないものは、実はこれ一つである。

試算

以下は単なる私の試算である。前提はすべて明示する。

区分 2035年 想定 単価(前提) 年間消費額
高付加価値層
(茶産地に2泊)
年5万人 40万円/人 200億円
一般インバウンド
(茶産地を日帰り訪問)
年50万人 2.5万円/人 125億円
合計 年55万人 325億円

高付加価値層の年5万人は、2023年実績59万人に対して8.5%にあたる。2030年に訪日6,000万人という政府目標が達成された場合の高付加価値層の規模を考えれば、届かない数字ではない。ただし、これは筆者が置いた仮定である。

10年累計(逓増前提で平均を2035年時点の半分と置く)で、約1,600億円。

観光消費は輸出と違い国内消費なので消費税がそのまま入る。法人税・所得税と合わせて付加価値の25%が税収と置くと、税収回収は約400億円。

回収源 10年累計の税収回収
輸出拡大 約1,400億円
インバウンド 約400億円
合計 約1,800億円

国費3,350〜3,850億円に対して、回収率は約47〜54%。輸出だけの約4割から、5割前後まで上がる。

それでも半分は回収できない。だからこの提案は、あくまで新幹線・空港型の公共投資として説明する必要がある。数字を盛らないほうが、最後は強い。

本当の効果は、税収ではない

ただし、インバウンドを組み込む最大の意味は税収ではないと考えている。

三つある。

  1. 単価がもう一段上がる|産地を訪ねた顧客は、帰国後に指名買いをする。第6章で置いた「輸出単価9,000〜12,000円/kg」という目標は、規格と安全性だけでは届かない可能性がある。産地訪問はその最後の一押しになる。
  2. 茶園景観に経済価値がつく|現在、茶園の景観そのものは1円も生んでいない。観光収入が乗れば、耕作放棄の判断そのものが変わる。中山間地の農地保全という非財政便益が、財政的な便益に転化する。
  3. 若年層の参入動機になる|基幹的農業従事者の49歳以下は約12%。だが「茶農家兼、海外富裕層向けの体験事業者」なら話が違う。所得構造が農産物単体でなくなることが、最大の参入インセンティブになる。

つまり、輸出とインバウンドは別々の政策ではない。同じ茶畑から、二重に稼ぐ設計である。

11. この提案の弱点(6つ)

提案する以上、弱点も自分で書く。

  1. 不可逆性|茶は永年作物である。6,000〜7,000haを転換してブームが終われば、撤退できない。水田を茶園にすれば実質的に復田は困難で、食料安全保障上の水田機能を失う。しかし人口が激減している今、コメの作付は減り国内でしかマーケットが無いため豊作不作で価格が大きく変動してしまう。世界を対象とした抹茶にはコレが無い。
  2. 時間軸のミスマッチ|改植から収穫まで5年。今日決めても供給が立ち上がるのは2031年以降で、その頃には中国が量を押さえている可能性がある。間に合わないかもしれない。
  3. 品質優位は永続しない|「日本産は品質で差別化されているため中国産に大きくシフトする可能性は低い」というのが現時点の業界評価だが、これは現時点の評価にすぎない。中国が上位価格帯も取りに来る可能性は十分ある。
  4. 労働力|被覆作業は摘採と並ぶ最大の労働負担でありながら機械化が困難とされる。スマート農業技術活用促進法に基づく基本方針は令和12年度までの実用化を目指すとしているが、実用化されなければ中山間地への展開は労働力の壁で止まる。きちんと選別した好待遇の外国人労働者の導入は必須だ。
  5. 素材化リスク|参議院資料の最も鋭い指摘がこれだ。抹茶はてん茶を原料とする「製品」だが、抹茶スイーツ等の「素材」としての需要が高まっており、素材化すれば価格転嫁が難しくなる。ラテ・製菓向けの量的市場で戦った瞬間に、価格競争に巻き込まれる。
  6. オーバーツーリズム|これは前章の裏返しである。茶園は観光地ではなく、農地だ。和束町は既に、茶畑に立ち入らないよう観光客への協力を呼びかけている。摘採期の農作業と観光動線がぶつかれば、農家にとって観光は負担でしかなくなる。⑦の受入整備200億円の相当部分は、集客ではなく動線の分離と農地の保護に充てるべきである。

⑤への答えが、本提案の①ブランド防衛と②安全性である。規格と安全性で上位価格帯を法的に囲い込めなければ、この投資は失敗する。

まとめ

高市首相の投稿は、8,977億円・+10.9%という正しい数字を紹介した。

だがその+10.9%は、輸出全体の5.4%しかない品目が増加額の4分の1を叩き出した結果である。そしてその品目は、需要があるのに供給できず、加工施設が10年で45しか増えず、原料の輸出量が国内生産量を上回っている。

これは「好調」ではない。機会損失である。

年335〜385億円。新幹線一区間の建設費に遠く及ばない金額で、日本の農産物輸出に初めて「世界市場で単価で勝つ品目」を持てる可能性がある。

そして、同じ畑が、海外の富裕層を日本の田舎に運ぶ導線にもなる。人数の2%が消費額の19%を出す層は、いま大都市圏にしか落ちていない。彼らを中山間地まで連れてくる口実として、抹茶より強いコンテンツを日本は持っていない。

過去最高を紹介するだけでは、過去最高は続かない。


出典と確認ステータス
一次資料で確認済み(16件)
  • 農林水産省「2026年上半期の農林水産物・食品の輸出実績」(2026年8月4日公表)— 8,977億円、+10.9%、品目別増加額
  • 農林水産省「2025年の農林水産物・食品の輸出実績」(2026年2月3日公表)— 1兆7,005億円、農産物1兆1,008億円
  • 農林水産省「令和7年度食料自給率」(2026年8月7日公表)— カロリーベース37%
  • 農林水産省「農林水産物輸出入概況 令和7年」(2026年5月12日公表)— 品目別 数量対金額
  • 農林水産省「令和8年農業構造動態調査」(2026年6月30日公表)— 基幹的農業従事者98万6,600人
  • 農林水産省「令和7年耕地面積(7月15日現在)」— 423万9,000ha、田230万ha、▲3万3,000ha
  • 農林水産省「令和2年 都道府県別 中山間地域の主要指標」— 中山間地域の耕地1,666,526ha、38.1%
  • 農林水産省「茶をめぐる情勢」(令和8年4月)— てん茶生産量の推移
  • 参議院常任委員会調査室・特別調査室『立法と調査』2025年12月 No.480、德永遥那「茶の輸出拡大 ― 抹茶供給体制の現状と課題 ―」pp.87-96
  • JETRO「フランスへの農林水産物・食品の輸出に関するカントリーレポート 品目別:茶」(2023年3月)— EUのMRL、ネオニコ屋外使用禁止
  • Grand View Research “Matcha Market Size, Share And Growth Report, 2026-2033” — 2025年51億ドル→2033年89億ドル、CAGR 7.1%
  • 滋賀県茶業会議所 — グリーンティ土山の碾茶工場、総事業費3億1,500万円、日約1トン
  • 宇治茶の文化的景観を世界文化遺産に(宇治茶世界遺産登録推進プラットフォーム)— 16世紀の覆下栽培
  • 丸久小山園「お茶の歴史」— 栄西1191年、宋から碾茶の製法と喫茶法が伝来
  • 観光庁「訪日旅行での高付加価値旅行者の誘致促進」— 高付加価値旅行者の定義、約2%(約59万人)で消費額約19%(約1兆円)、大都市圏偏在(2023年時点)
  • 公益財団法人日本交通公社『観光文化』267号、柿島あかね「インバウンド高付加価値旅行者の消費行動と意識・価値観に関する考察」— 自己実現・真正性ともに高い割合68.0%対52.2%
報道・業界資料ベース(3件・一次資料未確認)
  • 日本農業新聞(2025年12月22日)— 2025年の茶栽培面積3万3,400ha、前年比5%減
  • 桑原善助商店「お抹茶のすべて」— 和束町の碾茶炉1炉4,000〜5,000万円(平成27年時点)
  • 農林中金総合研究所 — 中国の抹茶生産量5,000トン超の可能性
  • 2025年の訪日外国人旅行者数4,268万3,600人(+15.8%)、旅行消費額9兆4,559億円(+16.4%)— JNTO訪日外客統計および観光庁インバウンド消費動向調査(速報)につき報道ベース。一次資料は未再取得
  • 和束町の茶畑 — 京都府景観資産登録第1号、日本遺産「日本茶800年の歴史散歩」(2015年)。町公式・観光団体サイトによる
未確認(4件・記事化時点で原典に当たれていない)
  • クロチアニジンの日欧基準値差(EU 0.7ppm/日本 50ppm)— 二次資料に依拠。厚生労働省告示およびEU Pesticides Databaseで要確認
  • RASFF(欧州食品・飼料迅速警報システム)における日本産茶の事例— 二次資料に依拠。RASFF Portal原典で要確認
  • てん茶の全国栽培面積— 公表統計が存在しない。生産量と単収からの推計
  • 本提案の予算単価(碾茶工場の現在の建設単価、改植1haあたり費用、未収益期間の所得補填単価、海外拠点・プロモーション単価、茶産地の受入整備費)— すべて筆者の仮定である
  • インバウンド試算の前提(高付加価値層 年5万人・40万円/人、一般層 年50万人・2.5万円/人、税負担率25%)— すべて筆者の仮定であり、茶産地を訪れる訪日客の実数統計は存在しない
本記事の性格について

本記事の予算試算は筆者による独自試算であり、政府・自治体・研究機関のいずれの公表値でもない。上記の「未確認」4件は、記事中の該当箇所にもその旨を明記している。


編集部より:この記事は永江一石氏のブログ「More Access,More Fun!」2026年8月23の記事より転載させていただきました。

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