
ちょうど1年ほど前に、次の記事を書いた。トランプ支持の活動家の暗殺をきっかけに、米国で他人をキャンセルしてきた勢力が「キャンセルし返される」事態に転じた経緯を分析するものだ。

まったく同じキャンセルの反転は日本でも進行中だが、象徴的な事例が昨日起きたので、記録しておこう。そもそものオープンレターと同じGoogleのサイト作成サービスで、今度はその署名者が批判されるのも因果を感じる。
2026年9月1日午前8時、東京大学大学院教育学研究科教授の本田由紀氏は、X上で三笠宮彬子さまと麻生家を「血筋」によって否定的に論評する投稿を引用し、次のように記した。
>>この人たちを目にするたびに、遺伝的要因のおそろしさを感じる。露出の増加が逆効果になるかもしれない (X投稿)
私は、この発言を、特定の人々に対する否定的評価を遺伝と血統に結びつける、優生学的含意を帯びた差別的言説として容認できない。
(中 略)
本田氏の発言は東京大学教授、学会会長、教育社会学者としての職業的権威と社会的影響力を伴って流通する。教育、社会、差別、人権に深く関係する学問分野を代表する立場の人物が、特定の人々について「遺伝的要因のおそろしさ」と公然と述べたことは、その学問的判断と公的役割に対する信頼を損ない得る重大な発言である。
蒲生諒太氏、2026.9.1
(強調は引用者)
批判されている本田由紀氏は、有名なことだがオープンレターズの一員で、問題の発言は(レターが批判した呉座勇一氏と異なり)「鍵」等の閲覧制限をかけていない、公開されたXでパブリックなものとして行われた。
オープンレターズの得意技と言えば、”言い逃げ・沈黙・後から削除” の歴史否定主義である。なので、当該のXのリンクが(削除により)切れてもごまかせないように、写真も貼っておく。

アカウントはこちら
暗喩ですらなく露骨に「遺伝的要因」を揶揄する、ここまでド直球の差別発言もめったに見ないが、「著名な東大教授がどうしてこんなことを言うのか?」と驚く向きは、いまも結構あるようだ。
問題の第一人者であるぼくに言わせると、もはやそれは、問いの立て方をまちがえている。著名な東大教授 “だから“、ここまで白昼堂々の態度で他人を差別していると考えた方が、見通しがいい。

人は誰であれ、自分のことを「優れている」と思いたい生き物だが、そうした欲求も暴走すれば問題を起こす。やたらと自分をキラキラ粉飾したがって “スベっちゃう” のは典型だが、まぁあえて白魔術と呼んであげます。
はるかにヤバいのは黒魔術の方で、自分をアゲるのではなく他人をサゲることで、同じ目的を達成しようとする。とはいえよそ様を悪く言えば、「下なのはテメェだろ?」と言い返されるリスクもある。黒魔術合戦である。
そんな泥沼を防ぐための伝統的な手法が、「聞こえないように言う」というやつで、そうした領域をプライベートと呼ぶ。鍵アカとかね(笑)。ところが最近は、それをこじ開けてでも黒魔術をぶつけあいたい人が増えた。

そこで出てきたやり方が「多数に紛れて言う」というやつで、ワンサイド・ゲームな炎上に便乗して相手を殴れば、やり返されまいと当て込むわけだ。近年では、本田氏ほかが署名したオープンレターが知られている(苦笑)。

ところがそんな “チャンス” は、そうゴロゴロとは転がってない。なので毎日、恒常的にずーっと「他人をサゲ続けたい」と願う人がたどり着く場所のことを、一般に差別と呼んでいる。
もちろん、いまは迂闊な差別をすれば即批判されるが、しかしそうした欲求を持つ人自体が減るとは限らない。なんとかして “安全に” 他人をサゲたい=差別を続けたい人たちは、
「私は正しくて、お前はまちがいじゃん?」
「私は知識あるけど、お前はないじゃん?」
「私は能力が高くて、お前は低いじゃん?」
といった、メリトクラシーの下ではどうしても外せなさそうな物言いに、自尊心の持ち方を依存させてゆく。前に以下の記事で「能力差という “最後の差別”」と表現したのは、そのことである。

「愛国主義はならず者の最後の避難所」という有名な警句にならえば、こうした “言い返されない他人サゲ” を必要とする自己愛の持ち主にとっては、「大学は差別者の最後のシェルター」だった。
むろん誰であれ自己承認は必要だから、そんなシェルターがそれなりに成果を上げ、社会に害をなさないかぎりは世間も放っておいたが、本田氏らが署名(略)によってそうした合意は壊れてしまった。「露出の増加が逆効果」になったのだ。

どうすれば、いいのだろうか。先日言及した(いまなお論争のさなかの)『みいちゃんと山田さん』は、実はそうしたメリトクラシー社会の暗部を問う作品にもなっている。
従順でなんでも鵜呑みにしやすいみいちゃんだが、「バカ」と言われたときだけは猛烈に反発する。障害を指摘されるのは「バカにされたのと同じだ」と、家族が刷り込んで育てたからで(2巻11話)、それが悲劇を生む。
みいちゃんもまた、能力主義を内面化して生きている。彼女をその “底辺” だと呼ぶ人も、いるのかもしれない。だが “頂点” を気どりながら、異論や批判に耳を貸せない点で、みいちゃんと変わらない大学教授はいくらでもいる。

そうした驕れる「知識人」の自意識を、もう才能とも個性的ともこの社会は認めないし、その必要もない。SNSでウケると踏めば「遺伝」で誰かを揶揄してかまわないという発想は、お金でなく “いいね” で支払う世論の立ちんぼで、これまたみいちゃんとしていることは同じだ。
本田氏らが署名したオープンレターが象徴するキャンセルカルチャーは、目にしたくない異論を数の暴力で潰す営みだったが、すでに自明なように風向きは逆になり、彼女たちに逃げ場はない。

暴力には暴力で「やり返せ」という、彼女たち自身が広めた発想は、本人たちの隠れた差別性が剥き出しになったいま、ますます猛威を振るうだろう。それが2021年4月にあのレターを黙認した、学者たちの選んだ運命である。

2巻9話より
参考記事:



(ヘッダーは1巻5話より)
編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2026年9月2日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください







コメント