皇室典範改正を受けて、この問題に長年携わり、皇室だけでなく、世界の王室の歴史や実情を知る立場から、今回の改正がいかに皇室の危機を救い、愛子さま、佳子さま、悠仁さまなど若い皇族の幸福のためにも実際的配慮をしているかを知ってもらいたいと思い、『誤解だらけの皇位継承の真実(増補改定版)』(清談社)を緊急出版することにした。
本書の前半は、過去に皇位継承の歴史と『万世一系』の現代的解釈が好評だった旧著を近年の議論を踏まえて改訂し、後半は、近代皇室の歴史や、旧宮家などを含めた皇室の現状と、今回の改正の経緯や、それがいかにきめ細やかな配慮で設計されているかを解説している。
また、これと関連して、深田萌絵さんと『皇室批判の真相!雅子さま上げと秋篠宮家下げの裏側。SNS動画に潜む「勢力」を暴露』と『【皇室の真実】万世一系は嘘か真か?八幡和郎が語る2600年続く天皇家、驚愕の正体』という2本の動画を収録した。
今回は、1つ目の動画で語った内容から『秋篠宮家の不人気と天皇家の人気沸騰の差はどこから来た』というテーマで説明したい。詳しくは動画、あるいは近刊の本をご覧いただければ幸いだ。
いつの時代も天皇ご一家はアンタッチャブルで皇太子は不人気だった
SNSでは秋篠宮一家へのバッシングが燃えさかり、天皇ご一家は神々しい存在のようにあがめ奉られている。
しかし、これはどの時代でも天皇家は批判がしにくいこともあって人気があり、皇嗣一家(皇室典範では皇嗣であって、天皇の子の場合に皇太子と呼ばれるとしており、皇太子も皇嗣である。また、西欧語には皇太子にあたる言葉はなく、皇嗣しかない)は批判され、あら探しをされ、あんなのが天皇になったら皇室も終わりだとかいわれてきた。
皇太子時代の評価は即位後に一変
上皇陛下は皇太子としては、あまり評価されていなかった。昭和天皇がいかにも威厳があるのに対して、普通っぽかったからだ。それでも各地で歓迎されたのは、美智子さまの人気が抜群だったからだ。
皇太子殿下の不人気は昭和天皇が病床につかれてからも変わらなかったのだが、ご即位後は打って変わって高い評価を受けた。一方でリベラルな思想、とくに平和への強い希求があり、あまり神事がお好きでなかった昭和天皇に対して、神事を大事にされ、また、皇室ゆかりの寺院もたびたび訪問された。
そして、国民のところへ降りていって交流する姿勢、ストイックな勤勉さが感銘を与えた。その背景として、美智子皇后がプロデューサー的に支えられたことも間違いない。ただ、上皇陛下も美智子さまも言葉遣いはともかく、仕事については、たいへん周囲に厳しかったと思う。
それに対して陛下は浩宮時代、おっとりと育てられ、子供の頃は、父親の皇太子殿下より天皇らしいので期待が持てるとさえ言われた。ただ、学生時代には、オーケストラで控えめな役割のヴィオラを担当され、友人をとても大事にされる東京の山の手の気のいいお坊ちゃまの雰囲気で、プリンスとしての有り難みに乏しかったし、皇太子妃選びの難航も、殿下のこだわりが過ぎるようにみえた。
結局、殿下は英国留学の経験から、海外の王室とお付き合いするときに妃殿下として対等に交流できるような女性を望まれたわけである。しかし、皇太子妃の立場とか仕事について、じっくり納得を得られていたのではなかったようだ(これについては、総理秘書官や外務次官まで務めた小和田恆氏が雅子さまに十分に説明しなかったのが不思議だが)。
皇太子時代に、殿下や雅子さまが批判されたのは、つまるところ、子づくりを最優先と考えていないとか、海外との交流を重点にしたいのにさせてもらえないと不満をいうということだったが、子づくり最優先は皇室という立場からいえば当然だし、どういう公務をするかについて希望が通らないからといって結婚早々から不満をいうべきでもなかったし、それを指摘した秋篠宮殿下に支持が集まったのも当然だった。
おそらくその状態は、上皇陛下が退位されなかったら続いただろうが、即位後は天皇として国際交流の機会が増え、そこでの皇后陛下の活躍ぶりは際立ったものだから人気が急上昇した(ただし、雅子さまの体調ゆえに、外国訪問は平成期に比べて減っているし、出席行事も少ない)。
秋篠宮殿下を取り巻く環境の変化
一方、秋篠宮皇嗣殿下は、やんちゃな次男坊として自由に育てられ、学生時代に紀子さまを見つけられて早期の結婚を希望されたが、兄より先に、ということで待たされていたようだが、結局、兄に先駆けて結婚された。

秋篠宮家の皆様 2025年 宮内庁HPより
もし、陛下に男子が生まれていたら、殿下は兄の良き相談役として、また、眞子さま、佳子さまのよきパパとして、また、ナマズの研究などを楽しみながら気楽な立場であっただろうし、妹の清子さまと学友である黒田慶樹氏との縁談をまとめたのは天皇家にとって大ヒットだった。紀子さまも手堅く親王妃の仕事をこなされていただろう。
ところが、雅子さまの第1子が女子で、第2子が望みにくい状況が殿下の人生を大きく変えた。まず、本人が思いもかけず皇位継承予定者になった。さらに、どういう経緯だったかは分からないが、おそらく、上皇陛下ご夫妻の意向があったのだと思うが、紀子さまが懐妊され、悠仁さまが誕生した。
これは殿下にとっては難儀なことだったようだ。なにしろ、企業経営者などの家庭でもそうだが、長男は事業後継者としてふさわしいように育てるが、次男は長男のライバルにならないように、普通の子に育てたがることが多いと思うが、皇室だって同じである。そういう区別をしなさすぎた失敗が英国のヘンリー王子で、兄にライバル心を燃やしすぎて困ったことになっている。
いずれにしても、秋篠宮殿下は物腰とか話し方も兄の陛下のような特別な雰囲気があるように育てられていないから、やや普通の人の印象に近いし、それが殿下にとっては、子供のときからそういう育てられ方をしていないのに同じようにしろと言われるのは負担であると思う。
十分でなかった皇嗣家への体制整備
しかも、宮内庁は悠仁さまが誕生した2006年から陛下のご即位で皇嗣殿下になられた2019年までのあいだでも、住居も予算もスタッフも、皇位継承順位2位と3位の皇族を抱える宮家におおよそ振り向けられなかったし、いまも十分とはいえない。警備だって、もっとも安全を確保する必要があるのに、天皇ご一家と上皇ご一家の次である。
そのなかで、紀子さまの負担も重くなり、職員に対する接し方がきついといわれたり、悠仁さまの教育への責任感が姉たちへも影響して、それが、眞子さまの結婚をめぐる問題に影響を与えたかもしれない。
秋篠宮殿下は、性格的には美智子さまに近いと思うし、上皇陛下のストイックな皇室観を継承されているようだし、紀子さまが美智子さまを模範とされていることもよく知られている。ただ、置かれている周囲の状況が違うので、空回りしているようにみえることもある。
コロナ禍で途切れた皇室内の交流
そもそも、上皇陛下が退位を決断されたときの構想では、長男→次男→次男の長男という継承を円滑にする道を上皇陛下は元気なうちに整えたいと思われたのだろうし、そのために当時の皇太子殿下や秋篠宮殿下との三者会談を持たれた。
本来なら、そこに悠仁さまを交えた意見交換の機会が必要なはずだが、新型コロナのために、皇室内の交流がほとんどされなくなり、今に至っているのは残念だし、そのことが昨今の美智子さまや秋篠宮家へのバッシングにもつながっているようにみえる。
秋篠宮殿下の出生の秘密という妄言の震源地
近ごろ、秋篠宮皇嗣殿下にDNA検査を受けろなどといった暴言がSNSでも幅をきかせ、かなりのインテリでも信じている人が非常に多いのには、あきれるしかない。
かつては、秋篠宮殿下の母親は宝塚女優だとかいう噂を流していた人がいるが(有力政治家にもいた)、あいにく、殿下の誕生の時期には、この女優は宝塚の舞台に出演中であり、あり得ない。そうすると、今度は、1963年(昭和38年)3月に美智子さまは、第2子を妊娠中に異常が認められ、3月22日に宮内庁病院へ入院、胞状奇胎と診断され、翌23日に流産の処置手術を受けられたので、美智子さまの妹の子をもらったのだという噂が流されている。
しかし、この件については、上皇さまご自身が2003年の記者会見で、「皇后が皇太子妃の時に胞状奇胎を患って、流産の手術を受けた」「胞状奇胎は悪性化する可能性もあるので、手術後2年間の観察期間中は懐妊は控えるようにと言われました」と仰っており、秋篠宮殿下(礼宮さま)のお誕生は1965年11月30日であるから、手術から約2年8か月後で、約2年間妊娠を避け、もう大丈夫だろうということでできた子だということで問題ない。
それでは、なぜこうした噂が出るのかというと、そもそもの原因は、陛下に比べて皇嗣殿下の身長が著しく高いところにある。

秋篠宮文仁親王 宮内庁HP
皇室の方々の身長は公表されていないが、推定では上皇陛下165cm、美智子さま161cm(男性なら174cm程度に匹敵)、天皇陛下162cm、雅子さま163cm(176cm)、秋篠宮さま178cm、紀子さま162cm(175cm)、黒田清子さん153cm(166cm)、眞子さま160cm(173cm)、佳子さま164cm(177cm)、悠仁さま176cm(まだ成長中だが)といわれる。日本人の男女の平均的な差は13cmだから、括弧内は女性皇族にその数字を上乗せしたものだ。
こうしてみると、美智子さまがあの世代の女性としてはかなりの高身長で、世代による身長差を考えると(30歳、60歳、90歳だと男性はそれぞれ5cm強、女性は5cm弱差がある)、秋篠宮殿下は両親のうち美智子さまよりやや高く、陛下は上皇さまよりやや低いという程度であって、秋篠宮殿下の高身長だけが突出したものではない。
学習院を避けたことについてのOGからの攻撃
悠仁さまが学習院に幼稚園のときから一度も行かれていないことは、卒業生の一部から執拗に嫌がらせを受けている。言論界でも学習院に行かなかったのが悪いという人がいて、これが悠仁さまdisりの震源地の一つだ。

悠仁親王 宮内庁HPより
しかし、もともと学習院は華族の学校で、皇族は想定されていなかった。また、戦前は皇族男子は軍人になるのが原則だったから、早々に陸士や海兵に移っていた。まして、戦後は法的にも特別の地位はまったくない。また、旧宮家でも学習院は親の出自を交友でも意識するような雰囲気だから、避ける人もいる。
まして学習院は、眞子さまと佳子さまには途中からICUに去られ、愛子さまは高校までは欠席が多かったし、大学も1回生から3回生まで通学されていなかった。これで皇族の教育に実績があり、成功しているというのはおかしい。また、お茶の水女子大学附属で上位、筑波附属で中位だったと推定される悠仁さまの学力に、学習院の現状のレベルは物足りない(昔は東京大学に進む生徒も多かった。例えば、鳩山兄弟は小学校が学習院だった。やはり天皇になる人は、周囲に自分より頭の良い人がいて刺激を受けてほしい)。
そもそも、皇族が教育で特別扱いを受けるのは、普通のことだ。皇族が学習院の入学試験を受けて落ちたなどと聞かないし、進級・進学も同じだ。陛下や皇嗣殿下がオックスフォードに留学されたのも、正規の入学試験を受けられたわけではない。
しかも、悠仁さまの場合は、お茶の水女子大学附属でも筑波大学の附属高校や大学で決められた条件に従って、正規の手続きを経て入園・入学されており、それでも忖度の可能性がないとは証明できないから利用を許せないとかいうことは異常な心理であろうが、これが悠仁さまの人気に影を落としているのだから酷い話だ。
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