AGI時代、UBIより先に問う「人間の価値」と尊厳 --- 藤井 雄作

mikkelwilliam/iStock

世界中で人工知能(AI)の開発競争が加速している。その先には、人間と同等、あるいは人間を超える汎用人工知能(AGI)が想定されている。

AGIの危険性については盛んに議論されている。誤情報、犯罪への悪用、制御不能、さらには人類存亡のリスクまで。しかし、もっと基本的な問いがある。

AGIの開発が大成功したら、どうするのか。

AGIが人間より速く、安く、正確に知的労働を行い、さらにロボット技術と結びつけば、人間の労働の多くは経済的価値を失うかもしれない。これはAGIの失敗ではない。むしろ、大成功の当然の帰結である。

そのときの解決策として、ユニバーサル・ベーシック・インカム(UBI)が語られる。AIとロボットが生み出した富を人々に分配すれば、働かなくても生活できるという考え方だ。

しかし、UBIを論じる前に、もっと根本的な問題を考えなければならない。

現代社会には、「働かざる者食うべからず」という価値観が根強く残っている。働き、社会に貢献し、その対価として所得を得る。この価値観を残したまま、人間の労働だけが不要になったらどうなるか。

UBIは、「社会の富を生み出す能力を失った人々への施し」になりかねない。生活費を配れば、それで人間の尊厳まで守られるわけではない。

ここで参考になるのが、古代ローマの「パンとサーカス」である。

「パンとサーカス」は通常、為政者が物質的給付と娯楽によって市民を懐柔した政治の象徴として否定的に語られる。しかし、別の問いを立ててみたい。

社会の富の生産に直接寄与しない多数の市民に、なぜパンとサーカスが与え続けられたのか。

その背景には、「ローマ市民であること」自体に固有の地位と価値、すなわち市民としての尊厳が認められていた可能性がある。私は、この通常とは異なる解釈に、AGI時代の社会を考えるヒントがあるのではないかと考えている。これは現在進めている研究プロジェクトでも中心課題の一つとしている。

この問題については、日本語の研究プロジェクト解説論文「AGI時代における民主主義防衛のための倫理原則再構築と社会技術インフラ整備(第一報)」で詳しく論じている。同論文から、基礎となった英語論文も参照できる。

研究の日本語解説論文はこちら

AGI時代にも、同じ根本問題が現れる。

人間は働くから価値があるのではない。人間であること自体に尊厳がある。

この原則を、単なる美辞麗句ではなく、社会の構成員が当然のこととして共有する規範として確立できるだろうか。そして、人間であること自体を根拠として、社会が生み出した富を受け取ることを「施し」ではなく「権利」と考えられるだろうか。

AGI開発を止めよ、という話ではない。

人間を労働から解放するほど優れたAGIを本気で作ろうというのであれば、労働から切り離された人間の尊厳をどう確立するかについても、同じくらい本気で議論すべきだ。

UBIをいくらにするか、財源をどうするかは、その後の問題である。

いま、「どうやってAGIを作るか」「誰が最初にAGIを作るか」という開発競争が先行している。しかし、本当に問うべきなのは、その先だ。

AGIが大成功し、人間が富を生み出すために必要なくなった世界で、それでも人間には価値があると、私たちは言い切れるのか。

AGI狂想曲のただ中にいる今こそ、真剣に議論しておくべき問題ではないだろうか。

藤井 雄作
群馬大学教授。計測工学を基礎に、AIガバナンス、社会計測、AGI時代の民主主義と人間の尊厳に関する研究を行う。

コメント投稿をご希望の方は、投稿者登録フォームより登録ください。

コメント