斎藤幸平氏がNISAを始めたという。しかも購入したのは全世界株式、いわゆる「オルカン」だ。
社会主義者が株を買ってはいけないわけではない。問題は、斎藤氏がこれまで資本の自己増殖を批判し、水や電力、教育、医療などを市場から切り離して「コモン」として管理する社会への転換を唱えてきたことだ。
【参照リンク】夜明けのコモン 第88回 資本主義社会を生きる社会主義者の矜持
その本人が、資本市場に自ら資金を投じる側に回った。
「自分だけ生き延びるな」と言いながら自分は生き延びる
斎藤氏は、海外株への投資について「みんなが自分だけ生き延びる方法を考えれば、社会の底が抜ける」と批判する。
ところが自分については、小さな子供が2人いて、円安やインフレへのリスクヘッジが必要だからNISAを始めたという。
しかし、子供がいるのも将来が不安なのも斎藤氏だけではない。一般の家庭も同じ理由で資産形成をする。
他人には「自分だけ生き延びるな」と説き、自分の家族には生活防衛を認めるなら、これはかなり都合のいい話だ。

斎藤幸平氏 Wikipediaより
NISAは斎藤氏が批判してきた制度そのもの
NISAは「貯蓄から投資へ」を進め、家計を資本市場へ参加させる制度である。
しかもオルカンを買うということは、世界中の企業が今後も成長し、利益を増やしてくれることに自分の資産形成を託すことになる。
脱成長コミュニズムを唱えながら、家計では世界経済の成長を期待する。思想と行動の距離はかなり大きい。
「投資すると資本主義に染まる」なら、なぜ続けるのか
斎藤氏は、実際に投資すると「お金がどんどん増えて資本主義に染まる」とも書く。
ならば、やめればいい。
むしろ注目すべきなのは、資本主義を批判してきた本人でさえ、家族の将来を考えれば「コモン」よりオルカンを選んだことだ。
これは斎藤氏個人の問題というより、脱成長思想が現実の生活設計に十分な答えを持っていないことを示している。
「若者よ、浪費せよ」は脱成長なのか
斎藤氏は、旅行や飲み会を我慢してNISAを埋める若者に「若者よ、浪費せよ!」と呼びかける。
だが、大量消費を批判してきた脱成長論者が、今度は消費を勧めるのも奇妙である。
投資は「資本主義的欲望」で、旅行や飲食への消費なら問題ないのか。その境界もよくわからない。
NISAが暴いた「脱成長」の限界
最大の問題は左派にありがちなダブルスタンダードである。
一般の人が将来不安から投資すれば「自分だけ生き延びようとしている」と批判する。一方、自分が投資すれば「子供がいる」「インフレへの備えだ」と正当化する。
その理屈が斎藤氏に通用するなら、当然ほかの生活者にも通用しなければならない。
「資本主義から降りろ」と説きながら、自分の家族の将来は資本市場で守る。
しかも斎藤氏は、「資本主義に染まる」とまで自覚したオルカンを今後売却するのか、積み立てをやめるのかについては何も書いていない。批判しながら保有を続けるのであれば、ダブルスタンダードはさらに鮮明になるだろう。
投資で将来の不安を減ろうとしている人を批判したいわけではない。ただ、世の中には、投資がしたくてもそんな余裕もない人たちがいることを忘れてはならない。また、株で100万円増えたことに浮かかれて、もっと大きな不労所得を得ている人たちへの課税の必要性を取り下げるようなことがあってはならない。むしろ、金融所得課税の増額や富裕税の導入が必要だ。それは、私がNISAをしていても、取り下げることのない左派としての矜持である。










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