パレスチナ紛争をめぐってエド・シーランのワールドツアーの前座が全員降板?

エド・シーランの大規模ツアーをめぐり、出演予定だったアーティストが相次いで離脱する異例の事態となっています。発端は、ラッパーのマックルモアがステージ上でパレスチナへの支持を表明し、その後、米国公演から外されたことでした。

エド・シーランさん

「フリー・パレスチナ」発言で波紋

マックルモアは9月上旬、ニュージャージー州のメットライフ・スタジアムで行われた公演で「フリー・パレスチナ」と訴え、ガザやヨルダン川西岸の人々に対し、「私たちは忘れていない」と発言しました。

さらに、イスラエル政府への批判はユダヤ人への批判とは異なると強調し、すべての人が尊厳と平等をもって扱われるべきだと主張しました。

これに対し、イスラエル・アメリカン・カウンシルなどは、大規模なコンサートを一方的な政治的主張のために利用していると批判しました。その後、複数の会場がマックルモアの出演を認めない意向を示し、ツアーのプロモーターが残る公演から外すことを決めたとされています。

シーラン本人は、自分が降板を決めたわけではなく、会場とプロモーターの判断だったと説明しています。

フィニアスらが相次いで離脱

しかし、騒動はそこで終わりませんでした。

マックルモアの降板に反発し、アーロン・ロウ、ルーカス・グラハム、ベオガなどが相次いでツアーから離脱。さらに、ビリー・アイリッシュの兄で音楽プロデューサーとして知られるフィニアスも参加を取りやめました。

フィニアスは、抑圧された人々のために声を上げるアーティストが沈黙させられてはならないとして、パレスチナへの支持を表明しています。

ここで問題は少し複雑になります。

マックルモアには政治的立場を表明する自由があります。一方、民間の会場や興行主にも、誰を出演させるかを判断する権利があります。そして、その決定に納得できないアーティストには、自ら出演を辞退する自由があります。

政府による言論規制とは違い、それぞれの自由と契約上の判断が衝突しているのです。

「政治を持ち込まない」は中立なのか

シーランは、異なる背景や考え方を持つ人々を音楽でつなぐことを重視し、コンサートを政治的なフォーラムにはしたくないという立場を示しています。

一方、マッケモアがシーランのツアーから外された件で発言しているようです。ペイトリオッツオーナーのロバート・クラフトが他会場オーナーを巻き込み、出演を禁止したと主張しています。パレスチナ支持が理由で、シーランは中立を崩せなかったということらしいですが、真相やいかに。

シーランの姿勢も合理的な考え方でしょう。チケットを買う観客の中には、政治的主張を聞くためではなく、純粋に音楽を楽しむために来場する人のほうがずっと多いかもしれません。ビジネス上のステークホルダーへの責任もあります。

今回の騒動は、「パレスチナ支持が正しいか」という問題だけではありません。アーティストはステージ上でどこまで政治的発言をしてよいのか。会場側はどこまで線を引いてよいのか。

音楽の場にもアイデンティティ・ポリティクスが入り込む時代だからこそ、その境界線はますます難しくなっています。

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