「世界を救った男」ペトロフ氏の話:AIの暴走による核戦争すら囁かれる時代に

世界の軍事専門家によると、冷戦時に2度、米ソ間の核戦争の危機があったという。1962年のキューバ危機(1962年)と1983年だ。後者の危機を救ったのは旧ソ連防空軍中佐だったスタニスラフ・ペトロフ氏だ。同氏の歩みは「世界を救った男」という映画になっているからご存知の方もいるはずだ。人工知能(AI)時代に入り、AIの暴走による核戦争の勃発の危機すら囁かれている時だけに、同氏の当時の行動を振り返ることは意味があるだろう。

「世界を救った男」のスタニスラフ・ペトロフ氏、ウィキぺディアから

1983年9月26日深夜、ソ連の秘密軍事基地「セルプホフ15」で起きた。ソ連の早期警戒システムが「アメリカから5発の核ミサイルが発射された」という警告を発した。鳴り響く警報音、赤く点滅する「MISSILE ATTACK(ミサイル攻撃)」の文字、そして恐怖に震える部下たちを前に、ペトロフ氏は「これは誤報だ」と決断したのだ。

緊迫した中で、ペトロフ氏は「アメリカが本当に核戦争を仕掛けるなら、報復を防ぐために数百発の規模で一斉に撃ち込んでくるはずだ。わずか5発であるはずがない」と冷静に考えた。ペトロフ氏は、当時ソ連が国運を賭けて開発した最新鋭の核早期警戒システム「オコ(Oko=ロシア語で『眼』の意味)」の致命的な欠陥を見抜いたのだ。

オコ・システムを構成する人工衛星は、アメリカのミサイル基地から核ミサイルが発射された際に出る「ロケットエンジンの熱(赤外線)」を感知する仕組みだった。しかし、高高度の雲の先端に反射した強烈な太陽光を、人工衛星のセンサーが「ミサイルの噴射熱」と誤認した。自然現象の光の反射をフィルタリング(排除)する機能が、当時のシステムには備わっていなかったのだ。

人工衛星が光を検知した際、システムのコンピュータはその光が「本物のミサイルかどうか」を二重・三重に厳しくチェックするが、この時システムのソフトウェアは反射光のパターンを「確実なミサイル発射(信頼度100%)」と誤って判定した。これにより、管制室の画面には自動的に「ミサイル攻撃」という最悪の赤文字が点灯し、警告音が鳴り響く事態となったわけだ。

オコ・システムはまだ開発されてから日が浅く、多くのバグ(過ち)や欠陥を抱えたまま、冷戦の軍拡競争に間に合わせるために「突貫工事」で実戦配備された未完成のシステムだった。また、当時ソ連が運用していた衛星の軌道は、地球を楕円形に回るものだったため、決まった地域を常に真上から監視し続けることが難しかった。

このシステムの開発・設置プロジェクト自体に関わったITと技術の専門家だったペトロフ氏はシステムが不完全で、バグが出やすいかを誰よりも熟知していた。そのため、地上のレーダー(水平線外レーダー)が「敵ミサイルを一切捉えていない(沈黙している)」という事実と重ね合わせ、「コンピュータがまた誤作動を起こしている」と確信を持って判断することができたというのだ。

ソ連の核早期警戒システムは、人工衛星と地上レーダーの二段構えの防衛網だった。ペトロフ氏が警報を「誤報」だと見抜くことができた最大の技術的根拠は、この2つのシステムの情報が矛盾していたことだ。

ペトロフ氏は、「目(衛星)は太陽光に騙されることがあるが、電波(レーダー)は嘘をつかない。レーダーが何も捉えていない以上、これは衛星のコンピュータの誤作動だ」と、2つのシステムの特性の違いを冷徹に分析できたからこそ、世界を滅ぼすボタンを押さずに済んだというわけだ。

世界を核戦争から救った同氏は、しかし、ソ連軍からは冷遇され、「マニュアルを遵守しなかった」という理由から左遷されるなど冷遇された。同氏が果たした役割が世間に広く知られるようになったのは冷戦終結後の1990年代後半になってからだ。欧米などで高い評価を受け、彼の功績を讃えるドキュメンタリー映画『世界を救った男』も制作されたりした。訪米し、国連では演説もしているが、本人の晩年は貧しかったという。「自分はヒーローではない。あのとき、あの場所にいたのが、たまたま自分だっただけだ」と謙虚に語り続け、2017年に77歳で亡くなった。

ペトロフ氏の話を書いた日は偶然、核戦争の危機があった日(1983年9月26日深夜)から43年目だったことを後で気が付いた。「あの日」のペトロフ氏のことを私たちはもっと知るべきだろう。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2026年9月29日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。

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