茨城県教育委員会が、来年度から中学校・高校の英語科教員採用試験で、英検準1級相当の資格を受験要件にする方針を打ち出した。これまでは資格を持っていれば試験の一部が免除される程度だったが、今後は資格がなければ採用試験そのものを受けられなくなる。
中高英語科は「英検準1級」以上の資格保有を条件に 茨城県教採、来年度から
https://t.co/UBWJR3Z1mI茨城県教委は来年度に実施する教員採用試験から、中学校・高校の英語科の枠の受験には英検準1級相当の資格を持っていることを条件とする。
— 日本教育新聞 (@nikkyoweb) October 5, 2026
英語を教える教師に一定水準以上の英語力を求める。当たり前といえば当たり前の話である。むしろ不思議なのは、なぜ今までそれが必須ではなかったのかということだ。

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英語科の教員免許だけでは足りない
英語教師を目指す学生は、大学で英語や英語教育について学び、教職課程の単位を取り、教育実習を経て教員免許を取得する。それなのに、採用する側が「本当に英語ができますか」と英検やTOEICで改めて確認する。少々奇妙な制度ではないか。
自動車の運転免許を持っている人に、「免許は確認しました。ただ、本当に運転できるか別の民間試験を受けてください」と求めるようなものだ。もちろん英検準1級を持っているから授業が上手とは限らない。英語が話せる人と、英語を分かりやすく教えられる人は別である。
しかし、それは英語教師に十分な英語力が必要ないという意味ではない。
「英語力より教え方」は言い訳にならない
今回の方針には「資格を厳しくすれば受験者が減る」「英語力だけで教師の能力は測れない」といった懸念も出ている。教員不足が深刻化している中で、入口を狭くすれば採用はさらに難しくなる可能性がある。
だが、「受験者が減るから基準を下げる」というのも妙な話である。飛行機のパイロットが不足したから操縦技術の基準を緩めよう、とはならない。
英語力と指導力は二者択一ではない。英語教師なら、英語力も指導力も必要なのである。
問われているのは教員免許の意味
今回もっとも考えるべきなのは、英検準1級の基準が高いか低いかではない。教員免許が何を保証しているのか、という問題である。
もし英語科の教員免許を持っていても、英語を教えるのに必要な基礎的能力が担保されていないのであれば、免許制度の設計そのものを見直す必要がある。
現在の教員免許は、大学で所定の単位を履修したという「履修証明」の性格が強い。一定水準の教科能力や授業能力を全国共通の基準で試験しているわけではない。
だから採用段階になって、自治体が英検やTOEICという外部資格に頼らざるを得なくなる。
「免許はある。でも英検も取ってください」
茨城県の措置は、英語教育の質を高めようという点では理解できる。だが同時に、教員免許制度の弱点をこれほど分かりやすく示した例もない。
英語科の教員免許を持っています。では英語力を証明するために英検準1級も取ってください。ここまでくると、「では教員免許はいったい何を証明しているのですか」と聞きたくなる。
教育界では長年、教員免許を持っていることが教師になるための大前提とされてきた。ところが現場では、その免許だけでは能力を信用できず、民間資格による追加証明を求める。
皮肉なことに、英検準1級必須化によって最も厳しく試されることになったのは、受験者の英語力ではない。教員免許制度そのものの存在意義なのかもしれない。







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