「ハマス奇襲テロ」から3年後の風景

パレスチナのガザ地区を2007年以来実効支配してきたイスラム過激テロ組織「ハマス」がイスラエルに向かって数千発のロケットを発射する一方、境界線の金網を切断してイスラエル領土内に侵入、音楽祭やキブツ(集団農場)でイスラエル人を大量虐殺した「ハマス奇襲テロ事件」から7日で3年目を迎える。同事件で、約1200人が死去、ガザ地区へ連れ去られた人質の総数は251人だった。「世界ユダヤ人会議執行評議会」のビニ・グットマン氏は当時、「ハマスがユダヤ人を襲撃した奇襲テロの10月7日はホロコースト以来最大のポグロムが起きた日だ」と述べている。

ハマスのテロ襲撃で亡くなったイスラエル人への追悼(エルサレム・ポスト紙のウェブサイトから、2023年10月13日)

ネタニヤフ首相はイスラム過激派テロ組織「ハマス」のイスラエル奇襲テロ事件後(2023年10月28日)、旧約聖書「申命記」や「サムエル記上」に記述されている聖句「アマレクが私たちに何をしたかを覚えなさい」を引用し、国民にハマス奇襲テロ事件を忘れてはならないと述べている。モーセがエジプトから60万人のイスラエルの民を引き連れて神の約束の地に向かって歩みだした時、アマレク人は弱り果てていたイスラエルの民を襲撃した話だ。ネタニヤフ首相は当時、「ハマスの奇襲テロ」を「アマレク人の蛮行」と重ね合わせて語ったわけだ。

イスラエル社会では、「ハマスの軍事侵攻はイスラエルの9・11だ」と呼ばれた。ユダヤ人作家で歴史家のドロン・ラビノヴィチ氏はオーストリア国営放送とのインタビューの中で、「10・7はイスラエル国民にとってトラウマとなっている。国民はこれからはショア(ホロコースト)のようなことは2度と起きないといった安全意識があったが、10・7の奇襲テロでそれが吹っ飛んでしまった」と語っていた。

テロ事件直後、欧州の各地で犠牲となったイスラエル人の追悼集会が開催され、犠牲者となったイスラエルに連帯を表明したが、その追悼期間は余り長く続かなかった。イスラエル軍のガザでの報復攻撃が開始され、ガザで多数のパレスチナ人が犠牲となると、イスラエルへの批判の声が高まっていった。そして「イスラエルは加害者、パレスチナ人は被害者」という構図が浮き上がってきた。

現代社会では、強者は常に批判される立場にある。圧倒的な軍事力を誇るイスラエル軍に対し、パレスチナ側は犠牲者の立場を担った。テロ組織ハマスとパレスチナ住民は決して同じではないが、ハマスは「パレスチナ人とハマスは同じだ」と主張する一方、住民をイスラエル軍の攻撃を防ぐ盾に利用した。ハマスはもはや投石ではなく、ミサイルを、それも5000発以上のミサイルをイスラエルに向けて発射した。

イスラエルはガザ紛争で「ハマス撲滅」に乗り出し、レバノンに拠点を置くイスラム教シーア派過激武装組織「ヒズボラ」への攻撃を行い、そして米軍と連携してイラン攻撃を始めた。イスラエル側からみれば、戦略的に一貫性がある。イスラエルを地図上から抹殺しようとするイラン、それを支援する武装勢力への聖なる戦いというわけだ。

ただし、イスラエル政府は、占領下のパレスチナ自治区ヨルダン川西岸地区において大規模なユダヤ人入植地拡大政策を急速に拡大、パレスチナ人へ一部武装攻撃を展開させてきた。その結果、イスラエル側はもはや犠牲者の立場から離れ、加害者となる。欧米諸国でイスラエル批判が高まるのは当然だ。イスラエルが犠牲者の立場にあった時の‘大義‘がないからだ。対ハマス、対ヒズボラ、そして対イランでは、イスラエルは少なくとも国を守るといった‘大義‘があった。

イスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ氏は、「歴史で傷ついた者がそれゆえに他者を傷つけることは正当化できない。歴史の中で『平和』(peace)と『公平』(justice)のどちらかを選ぶとすれば、『平和』を選ぶべきだ。世界の歴史で数多くの『平和協定』が締結されているが、それらは紛争当事者が妥協し譲歩して締結したものが多い。歴史で『公平』さを重視し、完全な公平を主張し出したならば、戦いは終わらない」と強調している。

イスラエルが和平ではなく、「歴史の公平さ」を主張し、パレスチナ側も同じように「民族の公平さ」を要求したならば、残念ながらイスラエルとパレスチナ両民族の和平は難しい。これまでの歴史はそのことを実証している。

ユダヤ民族の歴史を単なる一民族の神話と受け取るか、それとも人類で先駆けて選民となった民族の歴史と受け取るかで、現在のイスラエルの動向への評価は変わるだろう。明確な点は、選民だとしても、神が発信するメッセージとずれが生じた場合、自省しながら他民族との共存の道をいかなければならない。選民は他の民族に対して責任がある。それは神の祝福を受けた選民の義務であり、同時に誇りでもある。ネタニヤフ首相には、ユダヤ民族と同じように苦難の道を歩むパレスチナ民族に温かい手を差し伸ばしてほしい。

蛇足だが、「ハマス奇襲テロ事件」が起きた10月7日は、ロシアのプーチン大統領の誕生日(1952年10月7日)だ。そんな偶然もあって当時、ハマスの奇襲テロはプーチン氏への誕生日プレゼントだった、という根拠のない話が飛び出した。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2026年10月7日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。

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