黒坂岳央です。
最近、「真面目に頑張っても報われないのだから、手を抜いて生きた方がいい」という趣旨の意見をよく見かける。
確かに、世の中を見渡せば真面目に働いているのに給料が上がらない人はいくらでもいるように見える。そのため、「真面目に生きるなんてバカらしい」という結論に飛びつきがちだ。
だが、筆者はこの考え方にはかなり大きな勘違いがあると思っている。なぜなら「真面目にやっているのに」とこぼす人は評価される真面目さから大きくズレていることに気づいていないからだ。
真面目さは「加点」ではなく「減点回避」
まず「真面目にやれば報われる」という言葉自体、大きく間違っている。なぜなら真面目さとは加点ではなく減点回避でしかないからだ。
たとえば、仕事の打ち合わせに毎回時間通りに来ても、それだけで給与を大きく上げる会社は存在しない。なぜなら「労務契約通りにやっただけ」だからだ。
逆に契約を守らず、9時出社と約束しているのに10時に来れば大きな減点要素となる。そうなると減給やクビもあり得る。もしこれで「自分は毎日、雨風や満員電車に乗って頑張っているのに報われるべき」などと言い出す人がいたら誰でもおかしいと思うはずだ。
約束を守る、嘘をつかない、さらに仕事を途中で投げないのは真面目というより「当たり前」。競合のビジネスマンも当然そうする。契約社会では契約通り遂行したなら、それは150点というより当然という解釈になるのが自然だ。
真面目さとは大きなプラスを生み出す能力というより、大きなマイナスを防ぐ能力だ。ここを勘違いすると被害者意識が強くでてしまう。
信用経済は不真面目に厳しい
「真面目にやっても報われない」という言葉から、「だったら手を抜けばいい」と考えるのはさらに危険だ。なぜなら、信用経済は今でも普通に機能しているからである。
約束を守らなかったり時間に遅刻する。責任回避ばかり考えて仕事で手を抜くような人材にはいい仕事は回ってこない。いや、仕事だけでなくプライベートでも「あいつは約束を守らないから」と付き合いを見直されるだろう。
その逆に、「あの人に頼めば絶対に遅れない」となれば仕事が集まる。筆者は出版やテレビなど「相手がいる仕事」も受けてきたが、納期に遅れず、穴を開けずにやってきたから同じ会社から継続して仕事をもらえたと思っている。自分の肌感覚には真面目さが報われているという感覚がある。
そして「仕事が集まることは損」と解釈するのは視野狭窄で、仕事が来ないことが最も損なのだ。
いざ転職をするとなれば、それまでどれだけ仕事の実績があるかが問われる。若い内に仕事の実績やスキルがなければ、大した仕事が出来ない中年の出来上がりだ。そんな人材の価値は非常に低く、給与も安くて相応な仕事しか来ない。つまり、手を抜くと相手ではなく自分が一番損をするのだ。

Jirapong Manustrong/iStock
「自分のための真面目さ」は評価されない
では、同じように真面目に働いているのに、評価される人とされない人は何が違うのか。筆者は「誰に対して真面目か」の違いが大きいと思っている。
評価されない人は、自分の苦労に大変に真面目だ。たとえば「毎日8時間働いた」とか「この資料を作るのに残業した」といったものである。本人にとっては「頑張った」という感覚が強くある。
だが、相手からすればそんなことは関係ない。客が欲しいのは苦労ではなく、自分の問題を解決してもらうことだけだ。上司が欲しいのは残業ではなく、安心して仕事を任せられることである。
逆に評価される人は、「相手のメリット」に真面目だ。納期を守るとか顧客の手間を減らす。問題が起きれば逃げずに解決すると言った具合である。つまり、報酬は「自分がどれだけ苦労したか」ではなく、「相手にどれだけ価値を与えたか」で決まるのである。
だから「真面目に生きても意味がない」のではなく、真面目さによって回避できた大量の失敗が見えていないだけなのだ。
◇
一見すると、真面目な人は謙虚に見える。だが「自分はもっと評価されるべきだ」と考え始めた瞬間、そこには傲慢さが入り込む。自分の苦労に、自分で値札を付けて「評価しろ評価しろ」と騒ぐからだ。
だが価値を決めるのは自分ではない。常に相手である。だから見るべきなのは「自分がどれだけ頑張ったか」ではなく、「自分は相手に何の価値をもたらしたか」である。社会はあなたの苦労には金を払わない。あなたが相手にもたらした価値に金を払うのである。
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「Z世代を甘やかすな」(著:黒坂岳央)







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