
明治日本が誇る外交官・小村寿太郎(1855年-1911年)曰く、「私は人より特に優れたところがあろうとは思わない。もしあるとすれば、それはただ『誠』の一字に尽くされると思う」、とのことです。彼の言に重ねると私の場合は、「人より特に優れたところがあろうとは思わない。もしあるとすれば、それはただ『信・義・仁』の三字に尽くされる」、となります。私は此の三字を根本にし、自分自身をつくってきました。
毎回ぶれなく正しい判断が出来るようして行くには、前回このブログで言及した「恒心:こうしん」も必要ですが、あわせて常に的確な判断の物差しを持っていなければなりません。決まった物差し無かりせば、どうしても判断はぶれてしまいます。私の判断は常に、「信…約束を破ったり信頼を裏切るような事をしない事」・「義…正しい事柄を行う事」・「仁…相手の立場になって物事を考える事」、という三つの漢字を判断の規矩(きく…考えや行動の規準とするもの)としています。事に当たる時この三文字に照らし自分自身に厳しく問うて判断すれば、ぶれることなく的確に対処できると思っています。
「信・義・仁」は私の根底にある倫理的価値観で、中国古典を学ぶ内に身に付けたものです。我々は夫々自身に絶対的な物差しを持つ必要があります。多くの人は予想外の事態が起こった時、あるいはちょっとした変化にさえ狼狽し、右往左往してその考えにぶれが生じてしまいがちです。また何らか大きな変化が生じる中で、人間というのはその本性が現れてきたりもするものです。
「信・義・仁」三つの基準を用い相手を判断するなら、「誰と付き合うべきか」「誰と付き合ってはいけないか」も明確になります。付き合うべきでない人間とは付き合わない、というのが見識でしょう。そのためには、しっかりとしたものの見方を持ち、揺るぎなき信念を抱かなくてはなりません。それは日頃の鍛錬によるもので、安岡正篤先生が次に指摘されている通りであります。
――人間学が、あらゆる学問の中でも一番根本であって、政策だの、政論だの、というものはこれは手段・方法にすぎません。(中略)議論はいくらでもできるが、それを実際にどうするかということになりますと、結局は人間の問題、人物の問題でありまして、また、したがって人間教育というものが一番大切になってまいります(『先哲講座』)
小村寿太郎の一字「誠」が如何に大事かについては私自身も、これまで当ブログ「北尾吉孝日記」等で幾度となく指摘してきました。それは、人生を成功に導く上で非常に大事だと思うからです。「誠」とはある意味「誠実」ということで、「信・義・仁」に通ずるとも言えましょう。「誠は天の道なり。之を誠にするは、人の道なり」(『中庸』)・「至誠天に通ず」(『孟子』)――「誠」にしろ「信・義・仁」にしろ、自分の全てを投げ出して行く必死の歩みがあってこそ、真の力となるのです。
編集部より:この記事は、「北尾吉孝日記」2026年10月5日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。







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