黒坂岳央です。
昨今、「AIがあれば誰でも高度な知的作業ができるのだから、もう学歴の価値はない」などと言われがちだ。しかし、筆者はそう思わない。
確かにAIを使えば、高度な計算も、難解な英文の翻訳も、専門的なプログラミングもできる。だが、だからといって学歴の価値までなくなるとは思えない。
なぜなら、学歴の価値は結果よりも、そこに至るまでのプロセスにこそあるからだ。学歴は単に知識量の証明ではなく、その人がこれまでどのような人生を歩み、何を積み重ねてきたかを示す実績そのものだ。
持論を述べたい。

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長期間、コツコツ努力できる証明
難関大学に合格するためには、言うまでもなく相応の学習時間が必要になる。
毎日机に向かい、苦手科目を克服し、模試の結果に一喜一憂しながら、何年も勉強を積み重ねる。一般的には難関大学に合格したという事実は、一定の目標に向かって努力を続けられることを示している。
これは社会に出てからも重要な能力だ。仕事もすぐに結果が出ることばかりではない。むしろ、成果が見えない時期にも努力を続け、試行錯誤しながら目標に近づいていく時期は長い。
企業が高学歴者を評価する理由の一つは、こうした継続力を期待できるからだ。
最低限の地頭と学習能力の証明
難関大学の入試では、単なる暗記だけでなく、読解力、論理的思考力、情報処理能力などが求められる。
もちろん、大学受験の成績と仕事の能力は完全に一致するわけではない。しかし、難しい試験を突破した人が、一定以上の知的能力を持っている可能性は高いといっていいだろう。
企業が採用したい人材とは、新しい仕事を覚えられ、複雑な問題を理解できるか人だ。また、仕事ではつきものの「未知の課題」に直面したとき、自分で考えて解決できる力量も期待される。
電卓を使って難しい計算ができる人と、数学を深く理解している人は同じ結果を出しても人材として同じ価値ではない。後者の人材は前者よりAIを上手に活用できるからだ。
社会のルールに適応できる証明
大学を卒業するには、入学試験に合格するだけでは足りない。決められた授業を履修し、課題を提出し、試験を受け、必要な単位を取得しなければならない。
そこには期限を守ること、ルールに従うこと、自分の行動を管理することなど、社会生活の基本となる要素が含まれている。また、大学という集団の中で、教員や学生と関わりながら一定期間を過ごしてきた経験もある。
無論、高学歴だから人格者だというつもりはない。高学歴でも非常識な人はいるし、犯罪を犯す人もいる。ただ、事実として学歴と犯罪率は概ね相関することは統計に表れている。ここでいっているのは絶対的な0−100ではなく、確率論と統計の話だ。
とはいえ、企業側からすれば、これも採用時の一つの判断材料にはなりえる。
家庭環境や親の愛情を推測する材料
これは数値化されない要素だが、学歴には、本人の能力や努力だけでなく、育ってきた家庭環境が反映される側面もある。
これは筆者自身の経験からも強く感じることだ。筆者は幼少期から家庭が非常に荒れており、経済的にも貧しかった。そのため、子供の頃は大学に進学するという発想自体がなかった。大学進学を考えるようになったのは、社会人を何年もやった後になってからである。
世の中には、親が子供の教育に熱心で、幼い頃から塾や習い事に通わせ、大学進学を当然の選択肢として考えている家庭がある。一方で、そもそも大学に行くという選択肢を持てないまま育つ子供もいる。
この差は決して小さくない。大学進学には学費だけでなく、長年にわたる教育への関心、進路相談、精神的な支えなど、さまざまな家庭のサポートが関係してくる。
そう考えると、大学に進学できたという事実は、親から一定の教育的支援や愛情を受けられる環境にあったことの、一つのバロメーターと考えることもできる。
もちろん、経済的に豊かだから愛情が深いとは限らないがここで言いたいのは、学歴には本人の能力だけでなく、その人がどのような環境で育ち、どのような支援を受けてきたかという情報も含まれ得るということだ。
知識や学問、努力を尊重する姿勢
難関大学に入り、卒業するまでには、少なくとも一定期間、知識の習得に時間と労力を投じる必要がある。
難しい本を読み、理解できない内容に向き合い、試験や課題を通じて自分の理解を深めていく。こうした経験は、単に知識を増やすだけではない。
自分が知らないことを認識する。専門家の知見を尊重する。根拠をもとに物事を考える態度が身につきやすい。
もちろん、大学を卒業した人が全員こうした態度を持っているわけではないし、大学に行かずとも知的好奇心が旺盛な人は大勢いる。学び続ける姿勢や知的な謙虚さには価値がある。
◇
AI全盛期の今、あたかも東大生と小学生が同じスタートラインに並んだような印象を受けるかもしれない。確かに、AIに質問すれば両者とも高度な計算結果や専門知識を一瞬で手に入れられる。知識そのものは急速にコモディティ化している。
だが、ビジネスにおける人間の市場価値は、知識量だけでは決まらない。学歴には、長期間努力してきたこと、難しい試験を突破したこと、学校という組織に適応したこと、学問に時間を投じてきたことなど、その人が歩んできた過去が含まれている。
だがAIが代替しているのは「結果」であって、「その人がそこまで歩いてきたプロセス」ではない。それゆえに筆者は、AIによって学力の実用的価値は下がっても、学歴の価値まで同じように下がるとは思わないのである。
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