- 金利上昇は長期化する:インフレと国際秩序への不信から、低金利時代には戻りにくい。
- ドル覇権が揺らいでいる:米国の金融制裁や中国の資源外交が国際経済を不安定化させている。
- 低金利は格差を拡大する:金融緩和は資産家を優遇し、弱者に不利益をもたらす側面がある。
- アベノミクスには社会的意義があった:金融緩和によって弱者を切り捨てず、社会の連帯を守ったと評価する。
- 金利上昇時代こそ社会の絆が重要:市場原理による淘汰と弱者保護を両立させる必要がある。

なんか気づいたら皆が「金利のある時代」がやってきた!って言うようになっている事に関して、台風が来た!とか疫病が来た!ぐらいの天変地異みたいな言い方をしてるのが面白いなと思ってしまうんですが(笑)
でもそもそも金利って何なんだろうね?というのは考えれば考えるほどわからなくなりますよね。
いや、「お金借りた時に追加で払う利率のこと」っていう定義は誰でもわかりますけど、それが上がったり下がったりするというのはどういうことなのか?というのは、考え始めるとどんどんわからなくというか、
おカネ(法定通貨)というものの本質
…に関わる大問題が芋づる式に見えてくる感じになる。
今回はその「おカネの本質」みたいな部分について歴史的な背景ごと掘り下げながら、ある意味で「アベノミクスとはなんだったのか」的な部分に何らかの答えを見出したいというような野心的な記事を書きます。
1. 「おカネ(法定通貨)」の本質にこれでもかと迫る名著の紹介
ちょっと大げさな小見出しにしましたけど、本当に「すごい」本だと思ったんでぜひ興味があれば読んでほしい本があるんですよ。
ケネス・ロゴフはアメリカの経済学者なんですけど、読めばわかるとおり、実地と理論のどちらにも偏らず、また例えばドル覇権を維持したいアメリカ側とそれに抵抗したいアメリカ以外の国・・・といった「対立する逆の立場」の視点を両方とも丁寧に往復しながら議論する能力がずば抜けていると感じます。
彼は1953年生まれのアメリカ人なんですが、経済学者になる前は世界的なチェス・プレイヤーで、冷戦期のソ連に行って対戦するなどの経験をし、長年連れ添った奥さんはその旧ソ連出身であったりするというところが大変ユニークな点なんですよね。
つまり人生経験の全体像として「アメリカ人経済学者”ムラ”」の内側だけで生きている人ではまったくない。
また、チェス・プレイヤーをやめて経済学に専念した後もアカデミア(学問の世界)の内側だけにいたのではなく、IMF(国際通貨基金)やFRB(いわゆるアメリカの中央銀行)のエコノミストとして実際の「国際的な市場混乱を当事者として間近に見る」経験を豊富にしてきています。
結果として、ある理論だけから「現実は絶対こうなる」という議論をすることがないし、例えば「ドル覇権を守りたいアメリカの立場」から見れば「当然こうだ」ということを、「しかし逆側に立たされて”ドルを使わされている国”からすればどう見えるか」ということを常にフェアにまるでチェスゲームを分析するように往復しながら考察することができる。
「自分の立場を無意識に絶対化」したような議論が多いこの分野において、網羅的に歴史を遡りながら、実際にIMFエコノミストとして見聞きした歴史的エピソードなども織り交ぜながらトータルな世界観を描き出した本書を読むと、今まで断片的にしか理解できていなかった「なぜあの人はこのタイミングでこういう発言をしたのか」の背後にあった全体像が急激に理解できるようになっていきます。
いや、ほんと、この問題ってすごい近視眼的に議論されてることが多いんですけど、彼の視座は百年単位で色んな「本当にあったこと」の実務的詳細と理論的分析に裏付けられてるんで、
「なるほどそういうことだったのか!」
って思うポイントが沢山あって本当におすすめな本でした。
単純に彼の「すごいな」というエピソードをあげると、チェスプレイヤーとして一流なので、「発展途上の初期のチェスAI」が人間のプロに勝てるか勝てないか・・・という時代(2012年)に、「プロ級の人間代表」としてAIと対戦してるんですよね。
で、当時はギリギリ勝てたらしいですが、その後もチェスAIの進化を「ちゃんとAIが指した棋譜を自分の判断で見る」ことで「どれほどすごいか」を理解し、かなりはやい時代から「AIが世界を根底的に変える」という意見を持っていたらしいんですよ。
一時が万事そんな感じで、「よくある通説」に依拠しないで、ちゃんと「それ自体」を自分の目で見て自分で判断して意見を持つ・・・という精神がすごくあって、かつ理論的にも実務的にも幅広い経験がある人の分析を読むのは本当に勉強になりました。
2. 何かを「固定」するのは本当に難しいという教訓
ケネス・ロゴフの本は、そもそもの貨幣というものの歴史みたいな視点を持ちつつ、特に戦後の「ドル覇権」的ものが確立してから今までの間に国際的な通貨取引の中にどのような問題が起きて、どのように政策当局が対処してきたのか・・・を色んな事例をあげながら分析していく内容になっています。
その一個一個がかなり勉強になる(当然ながら日本が大きな役割を果たす項目も沢山ある)んですが、全体としてのメッセージは、
「何かを固定する」というのは大変なんだな・・・
っていうことなんですよね。
「国際貿易」を滞りなくやって経済が発展するためには、「通貨のレートが異様に変動する」と都合が悪いんですよね。単なる商取引自体のリスクに両替レートのリスクが上乗せされてわけがわからないことになるので商取引が萎縮してうまく動かなくなってしまう。
それへの対応策として、第二次大戦後しばらくの国際通貨はだいたいドルと固定相場で繋がっていたんですが・・・これが本当に「大変」なんですよ。
それを引き受けるドルを持ってるアメリカ側も大変だし、固定してもらう側の国も大変。
アメリカの大変さというのは、世界経済が発展するには十分な量のドルを世界中にばらまかないといけないんだけど、当初はドルを金(ゴールド)と必ず交換する約束つきだったので、「世界に十分のドルを供給する」=「それだけの金を溜め込む義務を持つ」ということでこれが本当に大変だった(そのうちその約束を果たせなくなって反故にしてからは、ドルの信任が揺らいでインフレになりまくってその退治のためにすごい利上げをして国内経済がめちゃくちゃになったりして色々と大変だった)。
逆に「自国通貨をドルに固定する」側から見ると、その通貨が売られれば外貨準備を使って買い支えたり、金利を上げて資金流出を止めたりしなくてはいけなかったりする。自国では不況なので本当は利下げしたいのに、通貨を守るためには利上げしなくてはいけない、といったことも起きる。
要するに「通貨レートを固定する」というのは、単に為替市場だけを固定する話ではなくて、その国の金融政策や景気対策まで固定相場に合わせなくてはいけなくなる、ということなんですよね。
色んな理由でそれは維持できなくなってどんどん先進国間は変動相場になっていったんですが、未だに新興国通貨などは何らかの形でドルと固定的につなげようとしている例も多い。
でもこれが、本当に大変なんだな!という感じで、そういう「固定化」はたいてい市場の荒波に揉まれて洗い流されてしまってきたのが通貨の歴史という感じですね(いくつかの新興国通貨や、香港ドルなど、一応まだ頑張って固定してる通貨もある)。
一番有名なのが、英国のポンドが欧州通貨との固定相場制を維持しようとしたけどぶっ飛ばされた1992年のポンド危機なんですが、そういう「固定化」は、何度も市場の荒波に試され、そのたびに維持できず崩壊したり、より強固な制度への作り替えを迫られたりしてきたのが通貨の歴史なんですね。
3. 「ドル覇権」は「公共財」。アメリカも勿論利益を得ているがアメリカ側も維持が大変なシロモノである。
人間は今日も明日も「同じ条件」がずっと続いて航海が安定してたら嬉しいなという切なる願いを持っているわけですが、上記のように「何かを固定する」というのはそれ自体かなり大変なんだ、ということがわかった上で、第二次大戦後一応ずっと続いてきた「ドル覇権」みたいなものは、もちろんアメリカは特権的な利益も得ているけれども、アメリカ側からしても「維持するのは大変」なものなんだな、という事が、ケネス・ロゴフの本を読んでいるとよくわかります。
この本は邦訳タイトルの印象と違って「ドル覇権はもう崩壊するのだ!」という本じゃないんですね。
「ドル覇権というのは、アメリカ側から見ても非アメリカ側から見ても維持が大変な制度だが世界中の人がその恩恵を受けているし、今のところ代替可能な存在は見えていない。しかしトランプ政権になってからのように”ドルの特権”をアメリカがあまりに武器のように使うようになると徐々に今後は危なくなってくるだろう」
…ぐらいの感じです。
アメリカがトクしてる部分も当然あるし、一方でアメリカの大変さも当然ある。ドル・システムを使ってる側のアメリカ以外の国が得ているメリットも実はものすごくあるし、一方でドルに依存することがそういう国にとって大変なコストや障害になっている面もある。
こういう問題って、例えば20世紀型の左派っぽい立ち位置の人は、「アメリカがアメリカのエゴによってドル覇権システムを世界中にゴリ押しし、世界人民はそれによって搾取されているのだ!」という議論にしやすいですよね。
で、アメリカの覇権があまりにも当然すぎるほどの隔絶したパワーがあってその支配がもたらす歪みを是正することが第一に重要だった時代には”そういう立ち位置”で良かったんですよね。
しかし今やその「アメリカ自体が隔絶したスーパーパワーではなくなってきて、今まで果たしてきた役割が果たせなくなってきている」タイミングにおいては、「アメリカのエゴ」を追求するだけでは「次の安定的な着地点」を描いていけない時代になってるんですね。
ケネス・ロゴフが指摘するように、最近の(特にトランプ第二期の)アメリカは、その「ドルの特権」(に限らずアメリカが果たしている特別な地位)を武器のように使ってまわりに威圧的な圧力を加えまくっていて、結果として「ドル覇権のままではいられない」という必死の各国の模索を引き出して不安定化させてしまっているんですが・・・
一方で、ケネス・ロゴフは、暗号通貨や国際的な通貨バスケット制のようなものや、中国による人民元の国際通貨化の野望など、「代替案とされてるもの」が現状ではなかなか難しい事を冷静に分析してもいるんですね。
「ドル覇権」はアンフェアな部分が当然あるし、そしてアメリカ自身がその維持負担に耐えかねつつあるが、しかし「ドル覇権」以外に安定的に国際流通を滞りなく運用できる仕組みが現状見当たらず、仕方なくギクシャクした状態で無理やり延命させられている。でもあまりに最近はアメリカが自分たちの事しか考えていないような動きをするので、余計に混乱に拍車がかかっている。
こういう現状↑は、ドルの部分以外のアメリカの軍事力とかその他の影響力も含めて考えるべき、「今の人類社会の最大問題」みたいな感じのことで、そこを「誰が悪い、こいつが悪い」みたいな話を超えた次元で「どうあるべきか」を描いていくことによってしか解決できない課題なんですよね。
そのあたり、米中首脳会談があるたびに「もう全て米中が決める時代になるのでは?」などと危機感を持つ声がでてくるけど、問題はそんな単純じゃないんだ・・・という趣旨で書いた以下のx記事などもお読みいただければと思います。
今回の米中会談は結局大した決定なしに終わりそうだけど、それは『アメリカという仕組み』が人類にとって”アメリカ人が考えるよりずっと”重要すぎる為に、いくらトランプでさえも勝手には壊せない限界があるからではないか?という記事を書きました。
— 倉本圭造@新刊発売中です! (@keizokuramoto) September 26, 2026
こういう時代だからこそ、単純な20世紀型の左派性で「誰が悪いか」というレベルの話をするんではなく、トータルなシステムとしてどういう着地点を描けば皆のためになるのか・・・という視点を徹底的に一貫して築いていく事が必要だし、日本にはそういう議論をちゃんとやれる土壌があるはずだと私は強く感じています。
4. 「金利が上がる」ということの本質は、「アメリカ的平和」への疑念の積み重ね
で、ここまでの「法定通貨とは何か」的な話を掘り下げた上で、昨今の金利上昇について考えてみたいんですが・・・
「直接的な原因」は、例えばAI用のデータセンターに溢れるほど投資しまくっているアメリカのIT大手(いわゆる”ハイパースケーラー”)が、溜め込んだ現金だけでは足りなくなって社債で資金調達をするようになって、国債で運用されていたような資金をどんどん吸い上げてしまったというのが大きな原因になっているらしい。
また、コロナがあってウクライナ戦争があってさらにイラン戦争があって・・・という原因で世界中でインフレになって、インフレになるということは、例えば10年後に2%の金利がつきますとか言われてもインフレがそれ以上の数字だったら「損」になっちゃうわけで、当然要求される利回りも高くなっちゃうよね、という話もある。
ただ、最近私が考えているのは、そういう「具体的な原因」の背後に「ドル覇権と、それと連動した先進国通貨システム」みたいな総体的なものへの「疑念」のコストが徐々に膨らんでいるという見方ができるんじゃないかということなんですよね。
さっきも少し書きましたが、第二次大戦後しばらくの間は「ドルを中心としたシステム」を構築するにあたってアメリカは「ドルを金(ゴールド)と必ず交換します」という約束をしてたんですよ。
ゴールドの価値がドルの価値を担保していた。でもそれは維持しきれなくて、1971年にニクソンがやめちゃったんだけど、それでも一応世界はドルを使い続けた。
それ以後はドルの価値を最終的に保証するものは、金の塊ではなく「アメリカという国家とその制度そのものへの信用」(それに追加してドルと連動した西側先進国群とその制度への信用)」に移ったんですよね。
最初はコワゴワという感じで、実際にアメリカでは「ドルの信任低下」→大変なインフレ→政策金利20%!という強引な利上げでインフレを退治という一悶着があったりもしたんですが、そのうち徐々に、
・もう昔のようなコントロール不能なインフレは起きない
・先進国はいくらでも通貨を発行できるし、国は低利率で借りることができる
…というのが「アタリマエのこと」とされるようになっていったんですよね。
先進国の国債は「安全資産」として、ほとんどタダみたいな利率で発行されても買い手がつく状態が続いていた。
考えてみれば、これは途方もない信用ですよね。
「10年間あなたにおカネを貸します。ほとんど利息はいりません。場合によってはこちらがおカネを払ってもいい」
…と世界の投資家が先進国政府に言っていたようなものだからです。
でも、今「コレ」が壊れつつあるという巨視的な見方ができるんだと思うんですよね。
突然「ドル覇権は崩壊する!」とか「円は紙くずに!」という話ではないが、一方で「絶対に安心だから、ほとんど利息はいりません」という世界ではなくなりつつある。
「あなたの国債は買います。ただし10年預けるなら、以前よりもう少し利息をください」
…そんな変化が起きているのだとすれば、昨今の金利上昇とは、長い間ほとんど無料だった「アメリカを中心とする先進国の通貨・金融システムへの信用」に、再び値段がつき始めた現象とも見ることができます。
さらに抽象度を上げれば、「アメリカを中心として組み立てられてきた世界秩序」への小さな疑念の積み重ねでもある。
これまでドルを中心とする金融システムは、政治的立場を超えて利用できる普遍的なインフラだったわけですよね。反米国家の民衆ですら(というかそういう国の人ほど)ドルを欲しがり、中国のように米国と政治的に対立する国も、安全性と流動性を求めて巨額の外貨準備や米国債を保有してきた。
ところがウクライナ戦争後、ロシア中央銀行の外貨準備が使用不能化されたり、主要銀行がSWIFT(国際銀行間通信)から排除されたりとかして、アメリカとその同盟国は国際金融システムそのものを強力な制裁手段として動員するようになってしまった。
ロシアみたいな例だけじゃなくて、例の国際刑事裁判所の赤根智子所長みたいな人が、ピンポイントで狙われてアメリカの制裁でクレジットカードが使えなくなるみたいな無茶苦茶な「武器化」が行われるようになってしまっている。
その是非とは別に、「ドルに深く依存することは、いざという時に米国やその同盟国の制裁権限から完全には自由でいられない」という事実が可視化されたわけです。
そういう「相互依存の武器化」は西側だけの話ではなくて、中国もレアアースや重要鉱物など、自国が強い供給力を持つ品目へのアクセスを外交・通商上のカードとして使うようになってますよね。
いわばアメリカは「金融」を、中国は「製造と供給網」を、それぞれ政治的な力として使い始めた。
その結果、冷戦後に広がった「最も安く上手に作れる場所で作り、それを世界で融通すれば全員が豊かになる」という国際分業そのものに、「安全保障」という別の値札が付くようになったんですよね。
安いから中国で作ればいい。しかし、それだけに依存して大丈夫なのか。
安全で流動性が高いから米国債を持てばいい。しかし、政治的に対立した時にも自由に使えるのか。
「歴史の終わり(byフクヤマさん)」に象徴された、経済的相互依存を深めれば世界は一つの安定した秩序へ統合されていくという冷戦後の楽観が、曲がり角に来ていると言える。
眼の前の「単純に金利が上がる」という現象の背後には、こういう「トータルなアメリカ+西側先進国的平和への疑念のコスト」がヒタヒタと積み重なってきているのだ、という見方をしてみると、そう簡単には「低金利・低インフレ」の時代には戻らなそうだな、という「覚悟」を決める必要がありそうだと個人的には考えています。
5. アベノミクスの背後にあった「左派的」な思いの蓄積
このように歴史を振り返ってみると、アベノミクスの背後にあった「世界中の”左派的”な思いの蓄積」みたいなものも見えてくるんですよね。
私は2000年だったか2001年だったかの年に、京都大学経済学部の自分がいるゼミと東大の財政学のゼミでディベート対決イベントををやったんですが、その時のテーマが「インフレターゲット政策は是か非か(大枠でいうと今でいう”リフレ派”的な課題に繋がる論題)」だったのを未だに覚えています(自分がどっちがわの意見を代表したかは忘れたけど勝ったことだけ覚えているww)。
その頃から、日本は「デフレ」の傾向が出てきていたわけですけど、特にアメリカの左派的な経済学者などから、「自国通貨をいくらでも発行できる国がデフレで困るなんてありえないだろ。そんなのただの政策担当者の怠慢では?」みたいな批判をしょっちゅう受けていたんですよね。バーナンキとか、クルーグマンとか言った「アメリカの左派(進歩派的)な経済学者」が、かなり強力に「金融緩和で全てが解決するはず」という意見を世界に広め始めていた。
その後色々あって、結局アベノミクス時代がはじまり、そういう「アメリカの左派経済学」のモメンタムを「実際にやっちゃう」最前線の実験国家みたいな役回りに日本がなっていったという流れがあるんですよ。
元FRB議長のバーナンキ氏が「ヘリコプターでカネを撒いてもインフレにならないとでもいうのか」みたいな「バーナンキの背理法」とかいう話を公言したり、クルーグマンが「さっさと不況を終わらせろ!」みたいなタイトルの本を出したりしていて・・・
この現象をより本質的に考えると、さっきも書いたような「アメリカと先進国群が連動したシステムへの白紙委任状的な信頼」というのが当時はあって、それを前提として
「それが可能なのなら、それを使って困っている人を助けるのが当然だろ」
…というムーブメントが世界を席巻していたんだとまとめることができる。
そして、アメリカや特に欧州などでは「反緊縮」という掛け声は「左派」のものだったんですが、日本は”保守派”とされる安倍政権が異次元レベルまでそれを「実際にやってみた」というのがアベノミクスだったのだということがわかるかと思います。
安倍さんやその周辺のブレーンが真空空間から突然魔術のように思いついた政策というわけではなく、「当時の世界的な左派のトレンド」を真に受けて実行せざるを得ない立場に置かれたのがアベノミクスだったのだ、というような理解ができるはず(←そういう世界的な論調の連鎖があったんだと指摘したいだけで、責任転嫁をしようとしてるのではないです。やると決めたのは日本の政治なので)。
こういう「アベノミクスの位置づけ」がどういう意味を今後持つかという話をこの記事の結論として話したいんですが、その前にちょっと別の話をしておきたくて・・・・
6. 「金利を無理やり下げる事のマイナス面」が指摘されるようになった変化もある
最近、これも非常に面白い本を読んだんですが、ギャリー・スティーブンソンというイギリス人で元シティバンクのトレーダーだった人の自伝兼世界経済への警鐘本みたいな感じです。
このギャリーさんは、東ロンドンの貧困層?が集まる街出身なんだけど、数学が得意だったので頭角を表して、LSE(ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス)を経てシティバンクのトレーダーになり、そこで大きな成功を掴みつつこの「資本主義システム」の欺瞞への怒りを抱えてそれを告発する人になった・・・みたいな感じの人です。
実は東京勤務時代にかなり頑張って日本語を覚えたらしく、リハックで斎藤幸平さんと日本語で話してて面白かったです(完璧とは言い難いがそれがむしろ誠実に聞こえる感じの日本語力w)。
この本自体めちゃくちゃ面白かったんででよかったら読んでみてほしいんですが、今回記事に関係ある部分では、このギャリーさんは「貧困層出身の自分」の立場として、
2010年代を通じて世界的に当然視されていた金利を低く保つ政策が、金持ち優遇のクソ政策だったと批判しまくってる
んですよね。これがなんか「なるほど、その発想はなかったな!」というポイントで。
さっきも書いた通り、2010年代に「金利は低い程良い」というのが常識化したのは、その背後には明らかに「弱者保護」的な左派的熱意があったのは間違いないんですよ。
一方で、東ロンドンの貧困層出身で、トレーディングの才能で上り詰めたギャリーさんから見ると、「人工的な金利の抑圧」は、「富める者だけがさらに富み、弱者は延々と抑圧され続けるクソ政策だ」という風に見えていた。
実際、彼に金銭的大成功をもたらしたトレーディングの「内容」自体が、「低金利政策は格差を拡大して経済をぶっ壊すので、しばらく金利を再びあげることはどこの国にもできないだろう」という方向に賭けるものだった・・・というところも面白いところなんですが。
なぜそうなるかというと、要するに経済学は「代表的個人」という抽象化されたモデルで「金利が個人にどのような行動変更をもたらすか」という分析をするんだけれども、実際には「低金利のメリットを得られる人とそうでない人」が明らかに分断されているんだ、というんですね。
・最低限の生活資金は当然維持できる人→低金利でカネ借りまくって投資しまくり、どんどん資産額を膨らませていく。
・最低限の生活資金の確保に必死でリスク回避的になっている人→低金利の恩恵はあまり得られず、むしろ金融緩和で不動産などの価格が上がりまくるマイナス面だけを食らう。結果として”借金して投資しまくってる”人に高い家賃を上納し続ける人生になってしまう。
…という感じで、ギャリーさんの視点から見れば「低金利への誘導は金持ち優遇のクソ政策なのだ」という理解になるというわけですね。
実際、AIに調べてもらった結果としては、その後経済学の主流の分析もこのあたりを丁寧に扱うようになってきて、昔ほど「低金利→弱者保護」という前提自体があまり支持されなくなってきてるらしいです(そもそもなんでもかんでも金融政策で対処しようとする姿勢自体に疑問符がついているらしい)。
もちろん、「低金利が経済を活性化して失業率を下げる」効果はあるので、いざ目の前で失業してる貧困層にとってはやはりゼロ金利が当時はありがたかったというのは否定できないんですよね。
そのあたり、ギャリーさんの議論は「一点突破型で極端」というか、英国型ロックンローラー感があるというか、オアシスが「自分の人生も捨ててかかってるロックミュージシャンのいうことなんか真に受けるんじゃないぜ」って言ってたような?「とりあえず自分は自分の見えてる世界を全面化した意見をいうから、それを現実とすり合わせるのはオックスフォードとかハーバードでてる偉いさんの役割だろ」みたいに考えてるんじゃないか感があったんですが(笑)
ただ、少なくともここ最近の経済学のトレンドは、「2010年代の経済学の主流」とは違っていて、昔は世界中に広がっていた「低い金利に対する左派的な熱意とこだわり」自体が根底的に反省される流れになっている・・・ということは理解しておくと良いポイントだと思いました。
7. 結論
色々とデカい話をしてきましたが、結論として、以下の2つ(A・B)の本質的な理由から、今後は「金利がある時代」になっていく流れはあまり止まらないだろうという事がまず言えます。
A・アメリカと西側先進国の連合体は無誤謬だ!というような前提で組み上がっていた低金利時代の”そもそもの前提”に徐々に疑問符がついてきている。
B・金利は低ければ低いほど弱者保護的に良いのだ、という左派的な熱意にも反省が生まれている。
ケネス・ロゴフも本の中で、
「最近の若い経済学者は、(自分の博士課程指導学生も含めて)”インフレや高金利の時代はもう二度とやってこない”と考えている人が多いが、長い目で歴史を見ればそんなことはないと肝に銘じた方が良い」
みたいなことを繰り返し述べているんですよね。
だから、「どうせまた風向きが変わってゼロ金利とデフレの時代に戻るだろう」という風に油断するのはやめたほうがいい。
「インフレと金利上昇の時代」をこれから生きていくぞ、という覚悟を決める必要がある。
でもそこで、「最先端実験国家としてアベノミクスを大真面目にやった」事の価値は、やはりある程度あるな、と個人的には感じてもいるんですよね。
当時の世界を席巻していた、「先進国経済は無謬であるなら、それを使ってこういう方法を試してみるべき」という「左派的情熱」に対して「NO」と言った国は、かなり国内に民主主義的分断を抱え込んでしまっている例が多いと個人的には感じています。
「当然やればできる」と考えられていた事をやらなかった・・・事に対する、「エリート以外のエリートへの疑念」が日本以上にものすごいことになっている。
アベノミクスはそこで「切り捨てなかった」という言い方が、やはりできるはずで、世界中をガチのネオリベ経済が引き裂いていった2010年代に、アベノミクスとAKBで内向きにグダグダ生きていた事の「遺産」は確かにあるな、と個人的には感じています。
そこを「個人の財産的自由」のような概念だけで全てを引き裂いてしまうような流れには抵抗してきたこと・・・自体が、今後の「金利のある時代」を、幸薄い社会の分断に陥らずに生き抜いていくための大事な「遺産」になりうるはず。
以下記事で書いたような、「ちいかわにでてくる鎧さん」みたいな存在を、単なる「のっぺりとした啓蒙主義的なドグマ」によって破壊せずに来られた事の価値が、これからの金利上昇の時代には本当の意味で試されることになる。

こないだ、日銀の政策決定会合で、高市さんが指名した委員が「利上げ」に賛同しなかったことで、「円高方向に少し動いていた」トレンドを腰折れさせてしまった事に対して、金融関係者とかが激怒してたのを見たんですが・・・
まあ、僕もそこは残念だったなと思うけれども、そこの部分の「低金利志向へのこだわりの残滓」は、金持ちもそうでない人も「同じ国」を共有しているんだという「人々が土俵際で信じている義理の連鎖」を象徴しているものでもあるので、あまりに「バーカバーカ、バカ高市!」みたいなことだけをいうのはアンフェアなことだと感じています。
そこの部分を「勝手には切断させないぞ!」という意志を日本国は多大なコストを使ってこの20年守り通してきたんだから、そこを単に目先の1円2円の円安是正のためにどうあるべきかという議論だけではジャッジしない方がいい。
何度もいうけど昨今の日本の選挙情勢を見ていれば、高市さんじゃなかったら「もっと理性的で視野の広く有能な」首相になったかっていうと明らかにそうじゃないわけで、「もっとガチのポピュリズム政党に席巻されるか、高市政権かの二択」こそが今の日本が直面している現実であって、理論的完全を求める贅沢論など言ってる場合じゃないんですよ。
それは根底的に言えば、過去2010年代を通じて「アタリマエ」だった色々な経済の発想自体が、そもそも民主主義を維持するための人々の義理の連鎖のようなものを破壊しまくってきたことへの無反省に対して、そこでしっぺ返しを受けているようなものなので、「批判する対象」を間違ってるんですよね。
英国やドイツなどでポピュリズム政党が第一党レベルになっちゃってどうしようもなくなってるのは、やはり「国という単位」で人々が歴史的に培ってきた義理の連鎖を無視して、「単なる負荷ゼロの個人」というファンタジーだけで現実の全てを切り切ろうとする無茶に対する当然のバックラッシュなのだと私は考えています。
大事なのは、そういう「歴史的に培われた生命的な義理の連鎖」を引きちぎらなくても、むしろそういう「生命的メカニズム」と協業する姿勢を見せることによってのみ、左派が大事にしたい人権の尊重だとか弱者保護とかは、むしろ「かゆいところに手が届く」ような周到さを持って実現可能であるはずだということで・・・
アベノミクスによって「土俵際で切断しきらなかった義理の連鎖」こそが、これからの「金利上昇時代」がもたらす「隠しきれない選別効果」を、単なる弱肉強食ではない「社会的納得を伴った変化(具体的には、ちゃんと高給とマトモな職場を維持している経営主体への緩やかな集約)」へと転換するために重要な資産となるだろう、と個人的には感じています。
「それだけ」でなんとかなるのか、日本社会はもっと引き裂かれてしまわないか・・・というのは、まあこれは本当にやってみないとわからんけれども・・・
でも、クライアントとよく話しているのは、「2010年代をガチのネオリベから距離をおいてきた」蓄積によって、これから来る荒波をなんとか乗り越える事が可能になるはずだし、そこに「両立する道」を見つけることが、世界中でひきさかれてしまった「民主主義」のシステムを再度立ち上げ直し、分断が世界戦争に繋がりかねない危機を乗り越えるための重要な貢献となるだろうと考えて日々色々とできることをやっているという感じですね。
嵐は徐々に来るでしょうが、乗り切れるだけの絆がまだ自分たちにはあると信じて進みましょう。
■
つづきはnoteにて(倉本圭造のひとりごとマガジン)。
編集部より:この記事は経営コンサルタント・経済思想家の倉本圭造氏のnote 2026年9月30日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は倉本圭造氏のnoteをご覧ください。









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