黒坂岳央です。
社会や企業では「多様性を尊重しよう」という言葉をよく耳にする。国籍、性別、文化、価値観の違いを認め合うことで、より豊かな社会や強い組織が生まれるという。だが正直、本音で求めているようにはあまり見えないのだ。
むしろその逆で社会や企業が実際に高く評価する人間は、多様どころか似通った金太郎あめみたいな優秀な人ばかりである。

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社会は多様性より「金太郎あめ」を求める
筆者はこれまで、外資系企業を含む複数の大企業で働き、さまざまな国籍や文化的背景を持つビジネスマンと仕事をしてきた。その経験から感じたのは、世間で語られる多様性とは正反対の現実である。
優秀で会社から評価され、役職が与えられるような人物は似たりよったりだ。一流大学を卒業し、有名企業でキャリアを積んできた。論理的で協調性があり、社会的な常識をわきまえている。
学歴や職歴という分かりやすいブランドを持ち、仕事の進め方まで共通のビジネス規格に最適化されている。性別や国籍が違っても、ビジネスマンとしての中身は驚くほど似ているのだ。
そしてメールの書き方、会議での発言、仕事の進め方、キャリアに対する考え方までも似通っている。外資系で評価されている日本人、アメリカ人、中国人といえば国籍は多様でもビジネスマンとしてのスペックはほとんど変わらないのだ。
社会は予測可能な人を求める
なぜ、このようなことが起きるのか。
理由は単純で、企業にとって能力が高く、予測可能で管理しやすい人材は価値が高いからだ。独創的でも何をするか分からない人より、協調性があり、期待どおりに成果を出してくれる人材の方が安心して仕事を任せられる。
表向きは「弊社は多様性を尊重します」といいながら、本音では「よく分からない人はいらないので、使いやすい人に来てほしい」と画一的なコモディティを求めている。
これは会社だけではない。人間関係でも誰もが本音では多様性より予測可能な人が欲しい。
結婚相手を選ぶ場面でも、「人それぞれの個性」と言いながら、実際には安定した職業、経済力、学歴、容姿、コミュニケーション能力といった、分かりやすい条件が評価されやすい。
奇抜で何を考えているか分からない人物より、誰もが知っている勤務先やスペック、社会的な信用があり、将来の生活を予測しやすい人物の方が安心される。
つまり、人々は口では多様性を称賛しながら、実際の選択では同質性や標準化を求めているのである。
消費者は「多様性」にお金を払わない
そしてこれは、商品やサービスの世界でも見られる。
近年、映画やゲームなどのエンターテインメント業界では、多様性を重視する動きが広がっている。作品にさまざまな人種、性別、文化的背景を持つキャラクターを登場させ、従来とは異なる価値観を作品に取り入れる。
こうした動きが進むアメリカでは、ナイキやマクドナルドなどの企業広告から、ハリウッド映画やゲーム作品に至るまで、多様性を巡る議論や反発が起きている。多様性を重視する企業の姿勢に賛同することと、その企業の商品を買って応援することは別問題なのだ。
一方、日本のアニメやゲームに対して、海外のSNSユーザーが「日本はポリコレに染まらないでほしい」といった趣旨のコメントを寄せる光景も見られる。
誰もが口先は建前を言うが、真の本音は財布から出すお金だけだ。
◇
結局のところ、人々は多様性を「尊重する素晴らしい自分」をPRする道具にしているだけで、本音ではほしいとは思っていない。自分の生活や仕事には、理解しやすく、扱いやすく、期待を裏切らない相手を求めている、これが本音なのだ。
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