
今月出た、辻田真佐憲さんの新刊を読んでいて「ほぅ」と思った。テーマは日本の戦後史。最終章は、日本にも近現代を専門とする歴史博物館を設けるべきだという、同氏の年来の持論だが、そこにこんな事例が出てくる。
千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物館は、近年、近現代史の展示に力を入れ始めた。うち「大衆文化から見た戦後日本のイメージ」というコーナーには、いま、こうしたパネルがあるという。

戦後の日本は、喪失に殉じた少数の人びと(引用者註、軍関係者や民間右翼など)を残して、戦後の復興から成長の道を歩み出した。それは過去の自分や社会・政治をすてて、もうひとつの自分に転換していくことを意味した。
それは「人間宣言」を発して「神格」からの転換をはかった天皇にはじまり、庶民レベルでも、軍国主義から平和主義への変身がなだれを打ってはじまった。その総転向の物語が戦後の日本を特徴づけている。
228頁より重引
改行し、強調と註は原文ママ
転向とは、原義としては戦前の激しい弾圧の下で、共産主義の思想を棄てることを指す語彙である。投獄されても「非転向」を貫いた立場からすると、これは “悪いこと” なので、戦後はずっと否定的なニュアンスで使われた。
対して、いやそれを言うなら8.15を境に起きたのだって、自分の価値観を棄てる「転向」じゃん? と言ってきたのは、福田恆存とか江藤淳とか吉本隆明とかのつむじ曲がりだけで、要はクセのある人たち限定の主張だった。

それがいまや、国の施設の歴史展示に、はっきり書いてある。ちょっとじんと来ないでもない。
辻田氏がこのパネルを評価するのは、それが戦前と戦後をまったく別の時代と見なす「断絶史観」を、乗り越える入口になるからである。あたりまえだが転向といっても、玉音放送を聞いた “瞬間” に起きたりはしない(笑)。
「俺はまちがっていたのか?」との疑いが生まれ、真実を模索し現実と葛藤する中で「まちがいを認めて、今度こそやりなおそう」という境地に至る。だから転向には時間がかかるし、ペースも人ごとに違うまだら状になる。
逆にいうと “一瞬” で転向し、「もう新しい時代なんだ!」と自分を正当化し始める人は、時局便乗的な言い逃げ屋としての本質において、実は前と変わっていない(苦笑)。日本の大衆文化には、ズバリその代名詞もある。

辻田著が言及しないのが意外だったが、こうした転向の「よし悪し」に最もこだわった戦後史家は、加藤典洋である。とはいえ最近は、ニワカに加藤応援団に転じる鮫島伝次郎があまりに多すぎたから(失笑)、あえて避けたのかもしれない。

とりわけ加藤が問題視したのが、”前衛意識” ゆえにふだんは「ポスト戦後」みたいなことを言う人ほど、なぜか安全保障の話題のときだけ「戦後マンセー!」になる9条への転向だった。
戦後という時代に “限界” が来ており(ないしそもそも “欺瞞” であり)、「終わらせなければならない」といった未来への断絶史観の主張は、かつて70年安保でも叫ばれた。ところがそれを貫徹した人は、ほとんどいない。
令和のいまも、高市批判のデモでは「憲法最高、戦後日本は理想の国」と叫び、家に帰るや「日本クソ、この国は最低」とSNSでまき散らすネオ伝次郎ズは多い。そんな歴史認識の日内変動は、もはや病気の “症状” にも近い。
だとすると「一瞬で新しい時代に!」ではなく、曲がりくねる転向の道すじとして戦後史を語れるようになることは、そうした現状を治癒する処方箋にもなる。まさに物語作りがいまや、精神医療の技法でもあるのと同じだ。

嬉しいことに文藝春秋+のライブ配信が、辻田さんの同書と、拙著『なぜ「まちがえた」と言えないのか』のWプロモで、飲みながら気さくに語る “文春Bar” を企画してくれた。10/26(月)20:00~が、開店の目安だ。
なぜまちがえたと言えないかというと、それは「まちがえたけど、それを認めることで、自分は成熟してゆく」という物語を、語らせようとしない社会が生まれたからだ。令和を転向を抑圧する時代にした犯人を、拙著では探究している。

それは “まちがいなく”、かつて戦後を「戦前とは別の時代」として、もっぱら断絶史観で人びとに受容させた力学とも、つながっているはずだ。ぜひそんな観点から、歴史と現在を往復しつつ、忖度なしで自由に議論したい。
ライブなので視聴者のコメントも読めるし、もちろん両著を読んでない方からの「素朴な疑問」も歓迎だ。前回の浜崎洋介さんとの文春Barに続いて、多くの来客をお待ちしています!
参考記事:1つめは第1章から抜粋!


(ヘッダーは、日本一有名な戦後史のBar。松竹のコラム記事より)
編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2026年10月25日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください







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