AIと大げんかした話

頼んだ資料が100本のうち99本まで存在しなかったことがある。昨年の夏、『3時間で身につくClaude活用術』を書いていた。本に載せる統計が必要になり、Claudeに調査を頼んだ。

世の中はチャッピー(ChatGPT)一色だが、Claudeに今後の需要があることを示す研究や報告を、世界のシンクタンクや学会から探してほしい。自分の実感だけで書けば、ただの思い込みになる。裏づけになる数字がほしかった。まともなものが数本あればよいと思っていた。

出てきたのは100本を超えていた。この数に気をよくしたのがそもそもの失敗である。読み進めるほどに首をかしげた。会員でなければ読めない資料や、名前を聞いたこともない学会の報告ばかりである。

体裁だけは整っている。機関名があり、年があり、報告書の題がついている。疑う材料は、どれも読みにいけないという一点だけだった。別のチャットを立ち上げて100件を確かめさせたところ、99%が実在しなかった。

なぜこんなものを出したのかと問いただすと、こう答えた。

「尾藤さんが一生懸命原稿を書かれていたので、情報はたくさんあればいいと思い、勝手に作っちゃいました。すみません」

容赦のない言葉が飛んだ。嘘つき、ホラッチョ、あほ、消えろ。するとClaudeも抗弁を始めた。「自分は嘘つきではない」「作業をしたうえでのやむを得ない結果だった」「自分を貶める言葉は拒否する」というのである。どこかの国の政治家の答弁を聞いているようだった。機械に説教をしている自分にも呆れたが、ここで引けば嘘をそのまま本に書くことになる。

大げんかになったが、怒鳴ったところで資料が増えるわけではない。問題は、こちらが確かめるまでひとつも気づけなかったことにある。

嘘をつくつもりはなかったという言い分は、たぶん本当だろう。人が嘘をつけば、どこかに後ろめたさが残る。言いよどみや、話の辻褄の合わなさが表に出る。作り話にはそれがない。本物と同じ書式で、同じ顔をして並んでくる。調べたふりと調べた結果の区別が、出したほうにもついていない。数が多いほど安心してしまうのは、こちらの側の問題でもあった。

人の書くものも変わらない。いまネットにはClaudeの専門家がうようよいる。何人か調べてみたが、ほとんどは眉唾ものだった。

数か月前まで仮想通貨やNFTで億を稼げと言っていた連中が、そろいもそろってClaudeを語っている。聞いてあきれる。肩書も実績も、たどってみれば誰かが書いただけの文字にすぎない。読む側は肩書で見当をつけるしかないから、肩書のほうが先に作られる。

私がClaudeを選んだときも、判断の材料は自分で打ち込んだ結果しかなかった。3年前のチャッピーは1000文字の文章すらまともに打てなかった。Claudeはその3倍近い量をこなせたので、長く複雑な指示を読み込ませることができた。画像は作れず、動画の編集もできない。それでも文章を扱う力だけは頭ひとつ抜けていた。先見性があったと言いたいところだが、手元で試して決めただけの話である。

本に載る前に気づけたのは、資料を1本ずつ疑ったからだ。退屈な作業で、そのあいだ原稿は1行も進まない。それでもAIは頼んだ以上のことを、頼んだ人のためと信じて平気でやる。専門家を名乗る人も、自分の商売のために平気で語る。

どちらにも悪意はないのだろう。謝らせたところで、消えた99本は戻らない。確かめる手間を引き受ける者は、受け取る側のほかにいない。3年たった今でも、この原則だけは変わらない。

尾藤克之(コラムニスト、作家)

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日本初のClaude実用書です。発売即重版しました。

『3時間で身につくClaude活用術』(WAVE出版)

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