米重さんのご意見に賛同する - 松本徹三

松本 徹三

何度も申し上げているように、私は現在たまたまソフトバンクモバイルの役員をしていますが、このサイトには個人の資格で投稿しています。従って、ソフトバンクを非難する記事があっても反論しないこともあるでしょうし、今回の米重さんの投稿のように、ソフトバンクの立場を理解し、擁護して貰えた場合でも、特に感謝の意も表わさないかもしれません。しかし、今回の米重さんのご意見は、一般論としても諸手を挙げて賛同できることなので、つい一言言いたくなりました。「米重さんは個人的には存じ上げない方ですが、さすがは学生起業家。話に筋が通っているし、腹も据わっていますね。」


断っておきますが、私は、ここで話題になっているソフトバンクグループの新しい採用方針については、担当外であることもあり、実はあまり詳しくは知りません。しかし、ソフトバンクグループが「営業」というものの重要性を熟知し、「物を売る力」を徹底的に強化する為に、四六時中あらゆる方策を考えている会社であることは、入社後のこの二年半の間に身をもって理解しました。私は、四十五年を越えるビジネスキャリアーの中で、多くの時間を「物を売る仕事」をして過ごし、「営業」の何たるかについても多少は分っているつもりですが、それでも、ソフトバンクグループで仕事をしていると、今なお日々新たに学ぶことがあるのに、自分でも驚いている次第です。

米重さんの言われる通り、雇う側も雇われる側も、「正しい決定をする為には色々なことを考えなければならない」ということにかけては、基本的に同じ(平等の)立場だと思います。雇う方は、「能力」や「姿勢」が「自社が求めているもの」に最も近い人を雇いたいし、雇われる方は、自分の「能力」や「姿勢」を最も評価してくれる会社を選びたい筈です。恐らく、就職活動をしている多くの人達には、現実にはとてもそこまで考える余裕はないでしょうし、それ以前に、自分の持っている「能力」や「姿勢」がどういうものであるのかについてさえも、深く考えたことはないのかもしれません。しかし、本来はそういうことでは困るのであり、自分自身の「能力」と「姿勢」に確固たる自信を持った上で、「会社が自分を選ぶように、自分も会社を選ぶ」というぐらいの気概を持ってもらうべきです。

さて、今もしソフトバンクが、「携帯電話の営業部門を担う人材」を採用しようとするなら、一番良い選考方法は、「実際に一定期間営業活動をしてもらって、そこでその人の能力や姿勢を見極める」ということであることは、間違いありません。「物を売る能力」というものは、独特の能力であり、学校の成績がよければよいというわけでは勿論ありませんし、「口が達者で、人に好かれる性格だったら、それでよい」というものでもありません。やがて営業部門をマネージする立場になる為には、自分自身に「物を売る能力」があるだけでなく、「営業活動を組織的に成功させる為のいくつかの本質的な要素を、すばやく理解する能力」もなければなりません。一定期間の仕事ぶりを見ていれば、そういった能力は大体見極められますが、普通の入社試験だけではとても困難です。

一方、雇われる方にしても、本当は、「自分がそういう仕事に向いているかどうか」は、実際にやってみて確かめるのが一番よい筈です。もし実際にやってみてうまくいかなければ、「方向転換をして、自分に向きそうな他の職種を選ぶ」ことも出来るからです。ですから、本来ならば、今回ソフトバンクが打ち出したような採用方針は、多くの人にとって歓迎されて然るべきと思うのですが、にもかかわらず、学生さん達の間にはこれを批判したり忌避したりする声が多いということをきくと、少し残念な気がします。恐らくは、こういう人達は、これから彼等を待ち受けている競争社会の厳しい現実というものを、未だあまり理解していないのではないかと思います。

ところで、このようなやり方は、アメリカなどでは、「インターン制度」として多くの会社で取り入れられています。その対象となる職種は、営業などに限ったものではなく、技術開発や、製造、財務経理、業務企画などの多くの範囲に及びます。学生達にとっては、この「インターン制度」は、「夏休み期間の小遣い稼ぎのアルバイト」であると共に、「将来の就職の為の自分の適性のチェック」であり、また、「狙いを定めた会社への具体的なアッピール」であることもあります。一方、会社にとっても、これは、「短期のニーズに対する労働力の確保」と、「将来の社員候補に対する勧誘」、「可能性のある社員候補の能力と適性の見極め」が同時に出来るというメリットがあります。つまり、学生側にとっても会社側にとっても、共に三つのメリットをもった制度であるとして、ごく普通に受け入れられているのです。

そう考えてみると、例によって、日本での議論は何となく変です。学生さん達の側としては、メリットがあると思えば応じ、ないと思えば応じなければよいだけのことなのに、何故「利用される」とか「不公正」とかいう議論になるのでしょうか? 今回のソフトバンクのケースなら、「お、これはチャンス! 俺、勉強しなかったから成績は悪いけど、セールスなんかやらせてくれたら、意外に凄腕で、みんなをびっくりさせることになるかもしれないぞ」と、明るく前向きに受け止める「性格的に営業向き」の若者達がもっといてもいいと思うのに、何故そういう人達の数が現実にはそれほど多くないのでしょうか? 知らないうちに日本は過保護社会になっており、「当って砕けろ」などという言葉は、もはや死語になってしまったのでしょうか? それとも、「手を汚さず、賢く立ち回って、割りのよい安定した仕事にありつく」ことを考えるのが、若者達のトレンドになってしまったのでしょうか?

以前のブログで紹介した中国の通信機器の大手メーカーである華為(Huawei)の場合は、今年も大量のソフトウェアエンジニアを採用していますが、驚いたことに、その採用条件には「三十五歳で定年」ということが明記されているとの事です。にもかかわらず、「三十五歳以後のことが不安」という理由で尻込みする若者は殆どおらず、多くの若者達が、世界に雄飛する大企業である華為(Huawei)への就職に並々ならぬ熱意を燃やして、しのぎを削っているとの事でした。試みに、彼等の数人に「三十五歳になったら、後はどうするつもりか?」と聞いてみましたが、「その時までに実務で鍛えて実力をつけておけば、後は何とでもなる筈」と、全く意に介していませんでした。

将来に夢を託し、「当って砕けろ」の精神でどんどんチャレンジしていく中国の若者達と、あれこれ文句はつけるが、なかなかチャレンジしない日本の若者達。彼等はやがて、世界市場でガチンコの競争をすることになるのです。何となく日本の将来が心配になるのは私だけでしょうか?

松本徹三