いま日本の直面している困難は、その社会構造にかかわる問題といえるでしょう。中国とアメリカは「中間集団」の求心力が弱い点で共通しており、IT産業のような水平分業型への構造変化には中国のほうが対応しやすいと思います。日本は「中国につくれるようなコモディティから卒業してITに重点を移せ」といわれますが、フアウェイと日本メーカーをみてもわかるように、この分野でも中国のほうが強いかもしれない。これは深刻な問題です。
この一因は日本の伝統的な共同体の構造にもありますが、直接には明治以降の近代化や戦時体制によってつくられた集権的な企業システムが原因でしょう。アメリカの経済危機のコアにある問題は金融システムですが、日本の危機のコアにあるのは企業システム、特に労働市場だと思います。昨今の非正規労働者の問題についても、製造業の派遣を禁止するなど倒錯した議論が行なわれていますが、その原因が過剰な解雇規制にあることは明白です。鶴光太郎さんも指摘するように、解雇規制の強さと有期雇用の比率には正の相関があり、中高年労働者の高い賃金が若者を不安定な非正規雇用に追い込んでいるのです。
このように企業が「雇用責任」を負うことによって社会福祉を代行する「日本的福祉システム」を補強する制度(退職給与引当金や企業年金など)が、社員を企業に閉じ込める退出障壁になっています。このため中途退社のリスクが大きいので、社員は企業に忠誠を尽くし、出世競争を続けます。このようなjob competitionが、日本の労働者の強いインセンティブになり、また労働者をジェネラリストとして社内で配置転換して需要変動に対応してきました。
しかし国際的な水平分業の広がりによって、このようにすべての部品を系列内で調達する「フルセット型」システムは成り立たなくなり、特に中国との競争によって、配置転換ではとても対応できない大きな構造変化が生じています。中間財はアジアから調達し、日本は付加価値の高いソフトウェアやサービスに特化するしかなくなっているのです。ところが企業グループの求心力の強い産業構造が、水平分業を許さない。
このため需要変動の大きいIT産業では、労働者保護の負担を避けるために下請け・孫請けなどの多重下請け構造ができ、製品が多くの企業の「すり合わせ」でつくられるため、中間財の市場が発達しない。その結果、官庁や銀行や通信キャリアを頂点とする「ITゼネコン構造」ができてしまいました。ここではIT企業はほとんど人材派遣業になり、高度な技術を蓄積することは不可能です。その結果、日本のソフトウェアはインドにさえ立ち後れています。
日本で起業が起こりにくい大きな原因も、こうした雇用慣行にあります。会社をやめて起業するリスクが非常に高く、失敗したらやり直しがきかないため、中核的な技能をもった労働者が企業にロックインされるのです。起業しても、ITゼネコン構造の中では部品メーカーは下請けにしかなれず、既存の企業を倒すベンチャーは生まれない。
以上は周知の事実ですが、変えることはきわめて困難です。労働基準法や司法の判例などによって労働者を強く守る慣行が定着しており、こうした制度は補完的に組み合わされているため、一部だけを変えることはかえってシステムを不安定にします。したがって解雇規制を緩和するためには、退職一時金に課税したり年金をポータブルにしたりして労働移動を容易にし、少なくとも「日本型」のバイアスを強める制度をなくして中立にする必要があります。
ところが厚労省が進めているのは、解雇規制の強化などによって日本型を強める政策ばかり。これでは労働の再配分が阻害されて労働生産性が低下し、GDPが落ちて失業が増大する・・・という長期停滞のスパイラルから逃れることはできない。労働者を解雇しやすくすべきだという議論はpolitically incorrectであるため、与野党のどちらからも出てきませんが、この硬直的な労働市場が日本経済のボトルネックなのです。この事実を率直に認めることからしか、日本経済の本質的な改革は始まらない。