日本が「変な国」であることを示す典型例をもう一つ見つけました。
以前の米重さんの提言に刺激されて、私なりにインターネットを活用して選挙を盛り上げる方法が何かないかと模索していたのですが、なんと現行の公職選挙法では、候補者がインターネットを使って選挙運動を行うことはおろか、選挙中は自らのサイトの更新すら出来ないのだということがわかりました。
サイトの更新は「文書図画の頒布」にあたるとされており、公職選挙法には一枚一枚に証書を貼ったビラの枚数まで規定されていますが、インターネットなどという摩訶不思議なものについては規定がないので、何をするのも駄目ということのようです。
ちなみに米国にいる友人に米国の状況を聞いてみたところ、インターネットは特に選挙期間は大活躍で、オバマ陣営は、どこでどう調べたのか彼のメールアドレスにコンタクトしてきて、政見を詳しく説明した上、「この考えにもし賛同して頂けるなら少しでもよいから献金してください」とまで言ってきた由です。HPを見て一回だけ質問したら、今でも毎週オバマ大統領の名前でメールがきて、色々なことを丁寧に説明してくるとのこと。
オバマ大統領選出にはインターネットの力が極めて大きかったことは定説になっていますが、このような体験談を聞くにつけても、また、その戦略を作ったのが、Facebookの共同創始者の一人であるChris Hughesだったことを知るにつけても、「成程なァ」と頷かされます。それにつけても、何故日本ではこんなにも事情が違うのでしょうか?
ある人に聞いたところでは、かつて民主党は「選挙活動にインターネットを解禁する法案」を上程したらしいのですが、自民党の反対で潰された由です。自民党が反対したということは、「日本でオバマ現象のようなものが起こることを嫌った」としか思えませんが、ということは、インターネットをいつも使っているような「チャラチャラした若い奴」は出来るだけ選挙に興味を持たせないようにして、「素性の知れた固定票」だけで勝負したいということなのかと、いやでも疑わざるを得なくなります。
ところが、そうでもなさそうなのです。
私のネットの先生である渡部薫さんが、「誠」というサイトを教えてくれましたので、早速アクセスしてみました。ここでは、まさに「オバマに出来たことが何故日本では出来ないのか」ということが議論されていて、「構想日本」の伊藤伸さんの公職選挙法の解説や、衆議院議員の河野太郎さんの発言などが詳細に掲載されており、なかなか勉強になったのですが、面白かったのは、ここに大々的に自民党のPRページが貼り付けられており、これがなかなかよく出来ているということでした。
自民党の先生方の中には、Mailも打てない方も相当おられるとは思うのですが、当然といえば当然のことながら、インターネットを駆使できる人も多くおられ、党としてはインターネットをフルにPRに使うすべもよく心得ているということが分かりました。
私なりの結論はこうです。
先ず、現行の公職選挙法は滅茶苦茶だということです。これは日本の恥といってもいいぐらいの代物だと思います。しかし、残念ながら、それを本気で改正しようという意欲とその能力を持った人が、これまではいなかったということです。
本気でやろうとする人がいれば、反対論の根拠を一つ一つ潰し、それこそインターネットをフルに活用して、幅広い人達の支援を取り付け、(祭りにしろとは言いませんが)問題を大きくして、必ず改正へと持ち込むことは出来たでしょう。
しかし、いつの時点でも遅すぎるということはありません。意見や感想を述べるだけでは何事も動かせませんから、組織的に人を動かす能力と、執念を持って実行する気力を持った人が、これから出てくることを期待してやみません。
松本徹三
コメント
実は明確にインターネットを制限する法律はありません。
規定がないので、何をするのも駄目ではなく、何をしてもよいということになるのではありませんか。
政府(総務省?)が現状法律の解釈でインターネットを制限しているようですが、別に政府に法律の解釈権を持っているわけでもありません。
日本人はよくこのような変なルールを守ってきたな、と思います。
わたしは
・守らなくてもよい
・守らないほうがよい
と思います。
裁判になったら絶対勝つ自信を持っています。
確かにその通りですね。
候補者にすれば「グレーなものは避けたい(リスクを犯さない)」という心理が働いているのかもしれませんが、もともと苦戦を覚悟している候補者なら、むしろ裁判覚悟で積極的に打って出て、この法律や解釈の後進性を攻撃し、ウェブ上で議論を盛り上げ、棄権を決め込んでいたような若年層の票を呼び込むことを考えるべきでしょうね。
すみません。今回の記事は不勉強すぎるのではないでしょうか。
公職選挙法成立当時は、お金のある候補者が選挙運動時に街中に大量にビラをばら撒いたり、ポスターを色んな所に掲示していました。そのような候補者が有利に働く選挙運動は問題があると当時は考えたのだと思います。
ですから、一定同じ水準で選挙運動を行えるように、まず、ありとあらゆる文書図画(パソコンに表示が出る以上、インターネットもメールも同じ)を禁止し、その中で使用可能なものを提示する形式になったのです。
確かに時代に合わないのは、間違いないですが、法律は、その国のあり方、その成立過程により、色々なものがあります。恥と書くのは暴論ですね。
最後に、色んな意見はあると思いますが、短絡的なこうしたらよくなるじゃん的なその場限りの議論がこれまでもインターネットの使用を妨げてきたのだと思っています。できたら、このような議論を継続的に続けてほしいものですね。
ノーライフキング様
この記事はもちろんご指摘されたことを理解した上で書かれたと思います。
時代に合わない法律はぜんぜん改正されず、ずっと運用されたのは、わたしも恥だと思います。当時の法律を作った人間の恥ではなく、法律を改正しないいまの日本人の恥ですよ。
なぜ暴論といいますか。
インターネットは現状明らかに規制されています。それをグレーなものというのはやはり不勉強ではないでしょうか?
ホームページやメールは画面に文字や文書を表示する以上、文書図画からは免れません。これはそもそも法律を作成したときからの趣旨に沿うものであり、後付的な解釈の余地はありません。
もちろん、文書図画の頒布であるという総務省の判断も疑問はあります(ネットの中から文書や図画のデータをビラのように取ってくるからというものだからと聞きました)。しかし、もう一つの掲示(ポスターや映写やTVがこれに当たる)に対する制限があり、これは司法判断に委ねなくとも免れないのはお分かりですよね。 (続く)
それから、暴論と言ったのは時代に合わない法律が運用されてきたのは、間違いありませんし、早く正して欲しいとは思いますが、時代の要請で作られた法律そのものを恥とまで言うのはおかしいと思ったからです。
そもそもインターネット解禁の議論は、国会質問に総務省が定義付けして回答したことから端を発しますが、もう10年以上ですよ。今回は、オバマ大統領の話が加わったのか・・ぐらいの感想しかないくらいです。結論として書かれていますが、今までインターネット解禁を本気で改正しようと意欲を持った人がいなかったのは、間違いないと思います。
私は日本の政治が恥だと思います。そして政治が恥に成り下がっている原因は公職選挙法にもあるのではないでしょうか。選挙法が有能な代議士が生まれることを阻んではいけないと思いますし、有能か無能かを判断する根拠としてインターネットはひとつのツールとしては使えると思われますから、そういうことがきちんと議論されるよう早く政権を交代させる必要があると思います。まして阻んでいるのが法律ではなく、政府=官僚なのだとしたら、まったく国民を馬鹿にしたひどい話です。