「地域間格差」はもっと拡大すべきだ - 池田信夫

自民党総裁選では、谷垣禎一氏と西村康稔氏が「小泉改革が地方経済の疲弊や格差を生んだ」と批判する一方、河野太郎氏が小泉改革を継承する姿勢を打ち出し、争点が明確になってきました。谷垣氏と西村氏が「地方」を強調するのは、国会議員票より多い地方票を意識してのことでしょうが、はたして今までのように地方に補助金をばらまくことが「地方の重視」になるのでしょうか。


そもそも地域間の格差が拡大したのは、小泉政権が原因ではありません。前にも紹介した図のように、地方から都市への人口流入は戦後、一貫して続いています。90年代に地方の公共事業によってわずかながら逆流し、小泉政権が公共事業を減らしたため元に戻りました。これによって地方の土建業が苦しくなったことは事実でしょうが、無駄な公共事業をいつまでも続けることは不可能であり、これは戦後ずっと続いている長期トレンドに戻っただけです。

この人口の都市集中が都市と地方の格差を拡大したことは事実ですが、それがなぜ悪いのでしょうか。格差が問題なのは地域ではなく、個人です。いくら村がさびれようと、移動の自由があるのだから、職のある都市に移住すればいい。人口が減って困るのは、村役場の公務員だけです。

たとえばロンドンから郊外に出ると、建物がまったくなくなり、田園風景が広がります。これはゾーニングによって都市の境界を決めているからです。ところが日本では、東京からどこまで郊外に行っても、切れ目なく住宅が続きます。これは大規模な戦争を経験しなかったため、城壁としての都市がなく、農村の田畑の上にそのまま家が建ち、スプロール的に都市化したからです。このため薄く広くインフラが必要になり、公共投資の効率が悪い。高速道路や新幹線や光ファイバーを津々浦々まで引く必要はないし、財政的にも不可能です。

比較優位から考えても、農業や在来型製造業から知識集約的な都市型の産業に労働人口が移るのは当たり前で、成長率を高める上でも、知的労働者を都市に集中しないと国際的な都市間競争には勝てません。過疎化した市町村は合併し、行政サービスは道州のような大きな単位に集約したほうがいい。

このような都市化によって、古きよき日本のコミュニティが崩壊して伝統が失われるという批判もあるでしょう。しかし戦後60年以上の間に、日本の総人口の90%以上は入れ替わり、国土もすっかり姿を変えました。いま伝統と称されているのは、国宝や文化財を除けば、たかだか明治以降にできた習慣にすぎない。それを守ろうとするのは自由ですが、そういう趣味の領域に国家が補助金を出す必要はありません。

ハイエクもいったように、伝統とは多くの場合、既得権の別名にすぎない。都市化によってそれが失われることを恐れているのは、地方公務員と政治家だけです。そして1票の価値に大きな差のある選挙制度が、島根県民の一人あたり公共投資が東京都民の2倍に達する「逆格差」を生んでいます。今後は高度化するインフラ整備はコンパクト・シティに集中し、過疎地は自然や文化財を保存してリゾートとして生き残ればよい。それぞれの地域が個性をもって競争するために、「格差」はもっと拡大すべきです。

コメント

  1. shlife より:

    格差(収入?)が広がるのも辛いので、個人に対する再分配が必要と思います。
    確かに地方の効率が悪いのは大問題だと思います。限界集落の人々には中核部に移住戴いて、残った土地は、農業法人なり森林保全法人に任せるとかできないですかね。

    ただ一極集中は、災害などのリスクがあっるので、補完できる都市をまばらに持つ必要もあるかと思います。

    人類的な課題を背景に、社会構造・制度・機能のリストラが必要になってきた、新たな時期(世紀)に入ったものと思います。

  2. marcgrn より:

    一票の格差は、正して欲しいですね。
    政治力(国会議員を選出する力)が国民で差があるなんてどう考えてもおかしい。
    もし、地方に税金をばら撒くにしても均等な政治力の結果、都市部の人たちの承認を得てから行うべきだ。
    この国は政治力の偏在によりかなり歪んでしまっていると思う。

  3. hogeihantai より:

    東京都にも寄生虫みたいな自治体は多数あります。例えば、青ヶ島村。人口157人、94所帯、年間歳入10億円、うち村税は4.5%、残りの殆どは交付金と都の支出金。これと別に、国と都が直接執行する公共事業は年間10億円。主要産業は農水産業で年売り上げ4,600万円しかないのに、一所帯当たり2千万円の税金を受け取っている。程度の差こそあれ全国の離島や過疎地は似たようなものだ。北方領土など、のしを付けてロシアにやりたいくらいだ。こんな金食い虫を返せ、返せと叫び続けるのは狂気の沙汰だ。

    地方には金で買えない綺麗な空気、水、景色、静寂、広い空間がある。地方に住むか都会に住むかは個人の選択の問題で誰かに強制されるものではない。地方が嫌なら都会に住めばよい。

    確かに東京一極集中は大地震などの被害を考えると国の経済、安全保障の面でリスクが大きい。地方分権や規制緩和が進めば、企業が東京に立地する利点も少なくなるだろう。

  4. hidekih_hpo より:

    池田信夫先生、こんにちは、

    ちょうどタイムリーに北海道の夕張市に行ってきて、まさに集約すべきかせざるべきかを強く感じて帰ってきました。

    http://d.hatena.ne.jp/hihi01/20090919/1253361033

    http://d.hatena.ne.jp/hihi01/20090918/1253250543

    国としてそこに定住したいという人の想いを権利として認めるか、否かという問題だと思います。また、ついこの間まで国防の問題、国土保全の問題も含めて、地方に人が住むことが国として大切だと認め、政策に反映していたともいえると私は思っています。その政策を反転するのか否かという問題ではないでしょうか?

    私は地方に住む人間として、どれだけ困窮しようとその地方を守るべく自分の力を発揮したいと思っています。

  5. hogeihantai より:

    定住したいという権利を認めない人は一人もいません。ご自由に好きな所に御住み下さい。

    北海道や沖縄、侵略されそうな所には自衛隊や米軍がいます。殆どが都会の人間が払った税金で賄われています。

    国の政策が不満なら(例えば北海道が)独立する選択肢もあります。

  6. bobby2009 より:

    >国としてそこに定住したいという人の想いを権利として認めるか、否かという問題

    自己責任で定住しても良いが、上下水道を含めて、税金による行政サービスは受けられませんよ、という事が明確であれば良いのだと思います。

  7. tokin2007 より:

    過疎地域から都市部への移住が進めば、十分な医療を受けられない人口は減りますね。行政サービスは地方自治体がスリム化するとともに遠隔地に追いやられますが、電話と郵便、もしくはITがあれば過疎地に残留したいという人々がサービスを受けられないことはないでしょう。国民情報を一元的に管理するIDが必要だと思います。

    移住を推奨した上で、残された土地には大規模農業などを運営できるよう企業と協力してはどうかと思います。郵便局は維持した上で、余裕がある地域の人員には森林保全などをやってもらってはどうかと思います。

  8. https://me.yahoo.co.jp/a/OyB67zJmS.taOxkxb1xc.6JDFAPcVXtw#a1f88 より:

    都会の人は自分たちが地方の人に自分たちの邪魔なものや不便なものを押し付けて「文句があるなら金払えばいいんでしょ?」で忘れる。
    が、しかし、そのうちに金を払ってることに不満を覚えて「人口が少なくて、俺らの金(税金)を持っていくなんて許せない」
    と言い出す。
    地方が疲弊しました。「いやなら都会に出てくれば良いでしょ?」行ける人は出ますよね。さらに地方が疲弊します。
    東京や大阪の人は国内産の安全かもしれない野菜は東京や大阪の工場で出来てると思ってるのかな?わからないわけないと思うんだけど。
    格差があるのは仕方ないと思うし、利便性や効率を考えればある程度の集中はすると思いますよ。
    それぞれの地域は単独じゃ完結してないんですよね?それぞれの都道府県で独立国家みたいな形で決済したら
    東京には人はたくさんいてるし大きな会社もある。それに伴って巨大な資金があると思います。
    それだけでしょ?食料は自給できない。発電所もたいして無いのかな?(わかんないですけど、需要はまかなえないですよね)二酸化炭素の排出に関して言っても出しすぎですよね?
    その辺は忘れて「地方に税金(俺らお金)出すのは嫌」なんだったら、如何するんでしょうね

    田舎ものの愚痴ですいませんでした

  9. disequilibrium より:

    私はこの問題の解決策の1つとして、東京に原子力発電所を建設すべきだと思っています。
    東京の電力は東京で賄える様にし、同時に地方優遇を一切無くすべきではないでしょうか。
    ついでに、送電ロスも減り、省エネに繋がるおまけ付きです。
    原子力発電の比率が上がればCO2排出量も減ります。

  10. crepscule より:

    東京人が東京に住みたいから住んでいるように、島根人は島根が好きだからずっと住んでいるのではないでしょうか。すべての国民には居住の自由があり、都市圏の生活が好きだという人ばかりではありません。

    エントリを読むと、「東京に行けば仕事がある。田舎には仕事がないからと言って税金投入することは無駄だ」と言っているようにも聞こえますが、本当に東京には仕事があるのでしょうか?生まれおちた土地で死ぬまで暮らしたいという人の幸福をぶち壊しにするような提言は受け入れられません。

    だいたい東京人だって、もっとライバル(同じ首都圏に暮らす人間)が減ったほうが、暮らしやすくなることは目に見えています。

  11. hogeihantai より:

    東京に原子力発電所を建設した場合、現在東京に電力を供給している地方の発電所の発電量の9割以上は余ってしまいます。その地方は年千億円前後の減収になるがそれでよいのですか?

    香港もシンガポールも食糧は100%近く輸入してます。東京も米国やオーストラリアから安く輸入すればよいのです。地方の農産物は全く価格競争力がないので東京には売れなくなります。地方は益々、困窮します。それでいいのですか?

  12. citroen0724 より:

    >香港もシンガポールも食糧は100%近く輸入してます。東京も米国やオーストラリアから安く輸入すればよいのです。地方の農産物は全く価格競争力がないので東京には売れなくなります。地方は益々、困窮します。それでいいのですか?

    どう考えても新鮮な野菜まで輸入に頼るのは無理だと思うしそれで大体食の安全とかどうのこうの言わなくなるんだろうか?

    現実問題原発は多量の冷却水が必要なので臨海部しか建設できないでしょ?東京のどこにそんな土地があるのかと
    「お前ら暮らせなくなるけどいいんだな?」って言う脅しにしか聞こえません

  13. disequilibrium より:

    >citroen0724
    もし建設するとしたら、臨海副都心の沖にある、中央防波堤周辺のゴミで埋め立てた土地に建設するのが最適だと思います。
    どうせ、ゴミの上に住む人なんていないんだし、原子力発電所ができても問題は少ないのではないでしょうか。

    もしくは、さらに沖にメガフロート方式で建設するという方法もあります。
    海上での原子炉の運用は、既に諸外国が原子力空母として運用しているので、技術的問題は生じないはずです。

  14. disequilibrium より:

    すいません、他の埋立地も実は江戸時代からゴミで埋め立てて作ったもののようで、既に住んでいる人は大勢いました。

  15. citroen0724 より:

    湾内は排水熱の観点からそもそも無理があるかと思いますし、コストや安全性から言って現実的ではないと思いますよ

    それに原発が出来たら解決するわけでもないと思いますし。

    現在の地域格差も古くから日本の首都である東京が発展するのは当然だと思いますし、他の大都市も歴史的や地理的に発展して当然の理由もあったと思います。
    しかし、高度経済成長期までは全国各地にそれなりの水準で発展してきたと思いますが、高度経済成長期以降は地方から人を集め、集中的に都会に開発の手が入ったと思います。
    地方の人は「次は自分たちの番だ」と思っていたら「人がいないから無しの方向で」って言われれば「勝手だな」と思うんじゃないでしょうか?
    そもそも、都会に住んでる有利な点を謳歌しつつそれが損なわれる地方に富を分配する行為に反発してるとしか思えません
    地方では予算も限られて中で公教育を行い、都会レベルとはいえないものの必要とされるインフラの整備も行いそこで育った子供たちが大人になって都会に出て都会に税を収める
    再分配を考えなければ地方がクタクタになるは目に見えてると思います

  16. hidekih_hpo より:

    bobby2009さん、はじめまして、こんばんは、

    >自己責任で定住しても良いが、上下水道を含めて、税金による行政サービスは受けられませんよ、という事が明確であれば良いのだと思います。

    ご指摘のポイントこそが、日本が政策転換すべきか、否かという岐路なのだと私は思います。そして、田舎で建築屋をしている私からすれば、わざわざ政策転換をこのタイミングでする必要はないと思っています。

    憲法に根拠を求めるのは、私の信条に反するのではなはだ遺憾なのですが、まず、国民の権利として、「居住移転の自由」が認められています(日本国憲法22条)。かつ、「最低限度の生活」(同25条)も認められています。したがって、青島に住もうと、夕張に住もうとも、私の街に住もうとも、国土の中である限り、政府はそもそも基本的な生活に必要な水道などのインフラと、教育、医療、警察といった公共サービスを提供しなければなりません。つまりは、憲法を変えなければ田舎に住む人には公共サービスをしませんとは言えません。

    http://bit.ly/3JXcSC @wikipedia

  17. hidekih_hpo より:

    そして、日本国全土に適当な密度で人が住んでいるという状態は、冷戦下で国防の問題もあるし、治安の問題もあるし、なにより公共工事も増えるしで、これまで右肩上がりの情勢下では日本の政策に適合していたことは誰も異論はないと思います。

    先の憲法にも、完全に平等にとは憲法の中で書いてはいないので、都市生活と田舎での生活ではその密度に差があるのは当然だと思います。また、べき乗則的に都市に人口が集まるのは世界的な傾向であることも理解できます。ほっておけば、関東、その中でも東京に、人口のかなりの割合が集中する未来がすぐそこまで来ているのでしょう。

    余談ですが、建築屋的視点でいえば、600坪くらいの土地があって、電気と通信さえ来ていれば、井戸を掘り、合併浄化槽を埋め、畑を耕し、上下水のインフラなしでもかなり自給自足の生活ができると思います。それでも、必要なのは雇用なのですが、この問題は私の手にあまります。

  18. https://me.yahoo.co.jp/a/2RgLcuJ3Yaax3jlb32egf9UNhLNT#4891d より:

    基本的に同意する部分が大なのですが、東京都民でもあった経験からすると都市部の方が人口を背負う覚悟が足りないような気がします。
    東京都市圏を中心として考えて見ます。
    日本国籍を東京都市圏の市民権に読み替えます。選挙権もこの東京市民権で整理しなおします。一票の格差も解消し、土地区割りとは異なった連携も進めやすくなります。
    地方への投資や地方機関の維持は東京市民の税金でまかなわれますので、不要な機関は整理されることになります。
    非常に極端な想定では、首都圏に全国民が住居を移すこともありえるとします。当然、東京でも伝統や景観より、高度に集中した都市機能整備、産業政策などを当面は優先することになります。東京は東京なりの負荷を背負うわけです。
    地方へは農業・鉱業・観光業など、地域に依存した業務やメンテナンスの従事者が地方派遣手当てを受けて赴任します。今の都市部調整手当ての逆ですね。一方、その土地が好きで住み続ける人は、社会インフラの不足の甘受や、自己投資による整備の必要性など、国が整備する東京の都市機能を利用できない不利益が負担になります。

  19. hidekih_hpo より:

    子どもっぽいという非難を受けることは承知の上で、私は手塚治虫の「メガロポリス・ヤマト」という図から離れることがどうしてもできません。手塚治虫が40年前に「火の鳥・未来編」で描いた未来の日本は、都市に人口の99.99%が集中し、国土は荒廃し、都市生活の中で気概を失っている人々が描かれています。ああ、同じく「アポロの歌」で描かれる未来世界もそうでした。

    http://bit.ly/YpEUk

  20. hidekih_hpo より:

    都市と田舎のバランスを失うことは、もっと根本的ななにかをうしなうことではないでしょうか?

    日本の田舎にはまだまだ豊かな文化が残っています。ほっておいても数十年のうちには消えてしまうほどはかないものです。それを政権が変わったから、目先の財政が緊迫しているからといって、手放しにしてしまってよいのでしょうか?

    http://bit.ly/wjCLt

    文字数の関係で分散コメントしてしまいました。お詫びいたします。

  21. tinycrop より:

    池田さんがおっしゃるように、戦後一貫して地方から都市に人、金、物が流入し、東京に人口や富が集積していきました。今、東京で活躍している学者、文化人、経済人なども、その多くは地方出身者、少なくとも親の代は地方出身者という方が多いのではないでしょうか。

    企業の本社も官庁も、また大学も東京をはじめとした首都圏に集中しています。こうした人材の東京一極集中は望ましいことなのでしょうか。また、本当にやむを得ないことなのでしょうか。

    一方で、エネルギーや食糧の供給、廃棄物の処理は地方任せであり、東京が自立して生存していけるわけではありません。

    こうした国のカタチは、私には非常に奇妙に思えます。皆様よくご承知のように、米国でも主要な西欧諸国でも、国際的な大企業の本社や政府機関、主要な大学は、国内各地に分散しています。少なくとも、最大の都市に何でもかんでも集中しているのは、発展途上国型の国のカタチです。

    日本の国土は狭く、通信や交通の発達は世界有数です。広い国土の欧米で可能な分散型の国土が、日本でできない理由はないと思います。

  22. pote_tetsu より:

    誰も東京に全員集合!って言ってないですよ。
    地方を無くすわけで無く、有る程度以下(10人以下の村落とか)を無くせば、っていう話じゃ無いですか?

  23. disequilibrium より:

    田舎に人が住むメリットもありますけど、デメリットがそれを上回っているので、止めようという単純な話ではないんですかね。

    人口がこれ以上増える見込みがないので、地方を発展させる意義が消滅して、また建築技術など、各種技術が発達して、東京に人口が集中するデメリットが薄れている。

    そういう現状で、東京への集中を高める準備は整っているのではないでしょうか。

  24. https://me.yahoo.co.jp/a/2RgLcuJ3Yaax3jlb32egf9UNhLNT#4891d より:

    一度800字制限で切られたもので、少々話を単純化しすぎました。東京市民権云々言った者です。
    まず集中ありきの方向性は地方都市の再構築にも活かせると考えています。地方は市町村合併もあり、面積は大きくなったものの、その中に複数の拠点を抱え、非効率な都市機能の分散が固定化しています。いわゆる中心市街地の活性化に本気で取り組む気があるのなら、どこを新たな中心とするのか、地域の中で選択しスクラップ&ビルドすることも含めて集中化を図らねばなりません。
    バスしか公共交通機関の無い状態でも自家用車のみに依存しない都市を設計するには人の集まる拠点の整理・集中が必要です。それには都市部への居住が標準である社会、郊外生活は贅沢なものである、といった方向への認識の変更が必要なのではないかと考えます。当然、いわゆる中心市街地の高度利用を妨げているしがらみや伝統なども変更が迫られます。結果、池田さんのご意見には賛成、となります。
    ただ、今の東京は道路を拡幅するだけでも何十年もかけている区域もあり、首都として自覚が足りないのではないかと思うのです。

  25. ysk_bunji より:

    東京や大阪、名古屋に都市圏を作るという発想自体が明治からの習慣ではないですか?

    地方の人間からすれば、人と物を集中していく「都市」は東京じゃなくてもいいじゃないかとなります。地域格差を進めろというなら私のような沖縄の人間は日本からの独立を考えます。

  26. susumu_2009 より:

    近年、地方の疲弊を加速させている大きな原因は、公共事業の減少でしょう。戦後最長といわれた2002年からの好況時にも北海道に代表される公共事業頼みの経済は低迷していました。

    自民党総裁選の討論会の映像を見ましたが、西村氏、谷垣氏は、地方のコミュニティを大事にするとか、地方に活気を取り戻すとか、抽象的な話ばかり。河野氏には、公共事業を増やすつもりですか?と突っ込んで欲しい。

  27. wqi7jq より:

    各県は、県内の最大人工都市に人を集約するような施策をもっと考えたらどうかと考えます。過疎地域の人間は優遇措置を与えて移住を勧めるぐらいのことをしてもいいのではないでしょうか。(どのみち過疎化が進むしかないのであれば、加速した方がよいのでは?)

    ある程度の人口を超えれば、行政サービスや医療などの様々な問題が無理なく解決できると思います。当然仕事も増えるでしょうから、経済的な発展も期待できます。

  28. disequilibrium より:

    現状と比べれば、多くの村や集落に人が分散しているよりも、地方の中心都市に人が集まった方が効率が良いのは確かだと思います。

    しかし、そのためにはコストがかかるし、どうせ移住するなら、寂れた地方の中心都市よりも、東京を選ぶ人が多いのではないかと思います。

    何も、東京東京言うのは、都市=東京とするただの比喩表現ではなく、現実に、あらゆる都市から文字通り東京に一極集中することを示しているのだと思います。

    私はそのことに賛成だし、東京でもっと多くの人が暮らしやすいように投資すべきだと思います。

  29. bobby2009 より:

    >ご指摘のポイントこそが、日本が政策転換すべきか、否かという岐路

    まさに、今がその時だと思うからこそ、池田氏がこの記事を書いたのではないでしょうか。

    >誰も東京に全員集合!って言ってないですよ。

    仰る通りですね。更に言えば、「地域間格差」と「道州制」は、セットで考えられるべきものでしょう。各道州内の首都や中核都市へ「集合」してゆくべきでしょう。

    >広い国土の欧米で可能な分散型の国土が、日本でできない理由はないと思います。

    民族性という前提条件が違います。欧米でど田舎に住んでいる人は、「田舎の不便」を自ら進んで受け入れる精神が前提ですが、いまの日本人は「俺が住むとこに行政が税金使って電気と水道を引っ張るのは当然」と思っているでしょう。

    日本国憲法第22条は、居住の自由を保障していますから、山を買い、山奥に山小屋を建てて自己責任で居住する事は自由と思われます。しかしながら、国が予算内で行える事には限度があると考えられますので、行政のサービス範囲を合理的根拠に基づいて制限する事は、「公共の福祉」に反していないと思われます。

  30. somuoyaji より:

    行政サービス=住民に密着したサービスとしたら道州制とどう結びつくのでしょうか。都道府県でさえ大きいのではありませんか?

  31. tinycrop より:

    >民族性という前提条件が違います。欧米でど田舎に住んでいる人は、「田舎の不便」を自ら進んで受け入れる精神が前提ですが、いまの日本人は「俺が住むとこに行政が税金使って電気と水道を引っ張るのは当然」と思っているでしょう。

    何か誤読をされているのでしょう。
    欧米の国際的な企業を考えてみてください。
    ボーイングでもマイクロソフトでもグーグルでもフィリップスでもダイムラーでもフォルクスワーゲンでも結構。著名な大学でも結構。

    彼らは、「田舎の不便」を自ら進んで受け入れているのですか?創業や開学の歴史もあるでしょう。しかし、日本の多くの企業が(たとえ地方の創業であっても)本社を首都圏に集中させていることと比較して考えてみませんか?

    広大な国土の中、たとえ移動のコストがかかったとしても、地方の方が本社ビル(を含めた本社機能)のコスト、従業員の住宅や通勤のコストが遙かに安くすみます。そのため、欧米では首都や経済の中心地から遠く離れた場所に、あえて本社機能を置いているのです。

    さて、それでは日本です。どうしてこうした「グローバルスタンダード」が通用しないのでしょうか。

  32. disequilibrium より:

    >31. tinycropさん

    アメリカでは、そもそもニューヨークに本社が集中しているわけではないので、ニューヨークに本社を設置するメリットが少ないというのも大きな違いですが、

    日本では、テレビが放送する内容もありますが、とにかく、文化的にも、経済的にも、政治的にも、全て東京が基本になっているので、日本人の価値観が東京中心になっているせいではないでしょうか。

    それでも、九州の人なんかは、文化的な差異があるせいか地元に強い思い入れがあるように思いますけどね。

    アメリカのように、田舎でも広大な平地があるのと違い、火山列島の日本は山ばかりなので、そういう地形的な違いもあります。

  33. tinycrop より:

    価値観ではなく、単純にコストで考えてみたいと思います(とはいえ、正確な数値による分析をしたわけではありませんが)。

    明治維新以来、政府は先進国に追いつくため、首都圏に政治、経済、文化機能を集中させ、効率的な発展と地方への波及を図りました。それは功を奏し、先進国の仲間入りをしたわけですが、少なくとも高度経済成長後、政策を転換すべきではなかったのでしょうか。

    そうした試みがなかったわけではありません。日本列島改造論しかり、国土の均衡ある発展をうたい文句とした地方での道路や箱物整備です。ただ、この政策の盲点は、お金は地方に回しても、道路や箱物を使うはずの「人」は、引き続き首都圏に集中させ続けたことです。

    結果、地方に投じられた税金の多くは無駄や非効率のそしりを受けるようになりました。人もお金も、同じように地方に投じられれば、生きた社会資本整備となり、国全体でみてもより安いコストで分散型国家ができていたのではないか、と夢想しております。

  34. hogeihantai より:

    地方の空港の東京行き月曜の朝一便の乗客の半分位は、陳情に上京する県、市町村の職員です。民間会社でも、役所の許認可が必要な仕事は、規則が不透明で役人の裁量に任されている部分が広く、中央官庁を訪ねざるを得ない。従ってどうしても東京に本社や技術部門を移したほうが便利になる。

    米国の様に地方分権で行政の透明性が高ければ、ワシントンに行って、役人にお願いすることもなくなります。又、米国では一流の大学が全国に分散しているので、ハイテク企業が自然に大学の近くに起業しシリコンバレーのような産業都市が発展する。地方分権を進め、自治体が起業にやさしい行政を行い、地元の大学の質を高める努力をすれば、自然と地方も発展するでしょう。

  35. disequilibrium より:

    >33. tinycropさん

    人を地方に回すために、インフラ整備をし、公共事業で雇用を作り、農業を保護し、地方の放送局を保護し、一票の格差で政治力を高め、補助金を出してきたわけですけど、この国はそのために膨大な借金までしてきました。最大限以上の努力をしてきたわけです。
    それでも地方の過疎化は止まらなかったのだから、もう仕方ないのではないでしょうか。
    まさか江戸時代のように、関所を設けて移住を制限するわけにもいかないでしょうし。

    東京に人が集中するのは、ただの不公平ではなく、合理的な理由が数多くあるためでもあるので、何をやっても東京への一極集中が止まることはないと思います。

  36. miya0246 より:

    都市居住者と地方居住者では基本的に考え方が相容れないところが存在するのではないでしょうか。池田先生も地方の実態を御存じない。あくまで都市居住者としての御意見でしょう。高度成長期以前の田舎では小規模農家でもそれなりの生活が営めました。しかし、高度経済成長と共に経済がグローバル化し諸外国に対抗できない農業は真っ先に衰退。結果が今のように人口の流失による過疎化でしょう。
    生活水準を求めたければ都市に移動すればいい、地方への投資は無駄な投資だという意見が大半のようですが、国民の大半が都市に移動して場合、果たして今の日本にシンガポールのように三次産業に特化した都市の営みが出来るでしょうか?
    欧米の用に広々した土地は、人手を入れなくても自然は保てます。でも日本のように急峻な国土は人手を入れ続けなくては国土の保全は難しいです。そんな当たり前の事も都市居住者には分かってもらえないと思います。機械では対応できないところも多いです。やはりある程度の人がそこで営みを続けて初めて可能となるのです。
    ここでの発言は皆さん机上の論理で経済一辺倒の論理みたいですね。
    自分さえよければそれでいい、そんな気がしてなりません。

  37. disequilibrium より:

    >36. miya0246さん
    政府の財源が無限にあれば、何でもできるということになりますけど、
    そうではなく、今まで無理を続けてきて、もう無理も限界に来てしまっているのだから、現実に起きている問題は、もっぱら経済的な問題です。
    ですから、経済という机上の論理の机上の問題に立ち向かわなければどうしようもないのではないですか。

  38. hogeihantai より:

    山林の管理に人手が必要という話は耳にタコが出来るくらい聞きます。それは木材の収穫を前提に造った、杉等の人工林の話ではないのですか?山林の過半数を占める人工林のせいで国土は荒れ果ててしまったのでは?花粉症は杉林のせいです。杉の落ち葉は腐食せず土にもどらず保水力が無く、ちょっとの雨で川は濁り、洪水も土砂崩れも起きやすくなる。下流の沿岸部では魚もとれなくなる。

    人手の入らぬ日本古来の原生林は環境破壊的であったのですか?地球の歴史の99.99%は場所を問わず原生林しかなかったはずですが?

  39. shlife より:

    >36. miya0246さん
    都市と田舎の対立ではないと思います。都市でも効率が悪い、社会公共性に乏しい事業はやめる必要があるでしょう。
    (使わない駐車場とか歩道橋?)
    過密で整理が必要な地域の人々が郊外に移住できれば、すばらしい。

    森林も急峻な地帯は、可能なら平安の姿にしてあげるのが良いと思います。(杉だけではダメでしょう)

    農業はベストを尽くしても太刀打ちできないので、何らかの保護が続くでしょうが、すでに事業自体が小規模では背負にくい。

    できるところから始めないと。 各個人に公共に対する我慢、割切り、援助、信頼が求められます。公共は必ずしも個人に優しくないかも。

  40. tinycrop より:

    感情や好みの面は排して。一つの経済問題としての思考実験です。

    なぜ日本は発展途上国型の国のカタチで、欧米型の国のカタチにならないのか。経済はグローバルスタンダードを唱えても、都市と地方との関係では、なぜ(カギ括弧付き)グローバルスタンダードに背を向けるのか。

    このため、医療や福祉の面では、施設の絶対的な不足という点で、首都圏も地方も同様の問題を抱えています。片や過密が、片や過疎が原因になっています。公共交通機関や道路にしても、過密状態を緩和するための設備増強には膨大なコストがかかります。一方では、整備しても車の通らない高速道路や空港があるといった具合です。これらはコインの裏と表です。

    こういった状況を解消するためのアイデアの一つが、都市の生活や企業活動のコストを適正水準まで高くすることです(つまり現在は安すぎ)。需要の多いものは価格が高くなる、当然の原則です。地価は当然高いのですが、資産としての面が大きすぎます。資産課税の強化、首都高速や首都圏の鉄道、地下鉄料金の値上げが考えられます。その収入を、首都圏の企業や人を受け入れる地方の社会資本整備に回すわけです。

  41. disequilibrium より:

    >40. tinycropさん

    なるほど。
    民主党なら採用しそうな案ですね。

    という冗談はともかく。
    その案だけでは、地方の過疎を解消するには不十分だと思います。
    なぜなら、東京に人口が集中するのは社会資本だけの問題ではないからです。
    北海道を除けば、関東平野のような広い平地は日本にはありません。ほとんどは山か海に囲まれた狭い土地ばかりです。
    また、この際文化を除くとしても、経済と政治の中心は東京にあるため、東京に集まることによるコスト的なメリットもあります。
    人口が集中しているために、商業施設などは集客しやすいというメリットもあります。

    過密によるコスト増だけでなく、集中によるコスト減もあり、これらはコインの裏と表です。

    いくら地方を整備したところで、東京に優位性があれば、人はそちらに流れるので、地方の過疎化を止めることはできないし、逆流させることなど不可能です。

    つまり、地方の人口増を当てにした社会資本整備は必ず無駄になります。

  42. tinycrop より:

    たぶん民主党も採用しないでしょう。申し上げたように思考実験です。脳みそを柔らかくしましょう。

    効率の面で適切な集中は必要であり、コンパクトシティ論には基本的に賛成の立場です。それが、首都圏というメガシティに過度に集中すると、個別の最適ではあっても全体の最適を損なっているのではないかという視点は必要なのではないかという問題の提起だと考えてください。コンパクトシティの観点からは、各都道府県の県庁所在位置程度の広さの十分以上でしょう。

    政治や経済、文化の中核が東京にあるということを所与の条件と考える必要はないでしょう。それを前提とすると、分散の議論が成り立ちません。

    東京は大きな富も生み出していますが、同時に壮大な無駄とコストも生み出しています。政府機関や企業が地方に分散して立地すれば、はるかに安いコストで機関や本社機能が運営でき、従業員は、はるかに安いコスト、はるかに短い時間で通勤できます。ほとんどの地方都市に高速道路や飛行場があり、各都市間を2・3時間で結ぶことができます。欧米よりもはるかに優れた条件だと思います。

  43. shlife より:

    >41. disequilibriumさん

    なかなか厳しいですね。
    思いつきですが、こんな社会資本整備はできないですかね?

    「那須に国会を!」 改め 「那須にシルバータウンを!」

    もちろん東京都からの補てんありです。人工都市は何かと歪が多いかな。

  44. livedoa555 より:

    池田先生は一貫して労働力の流動化を求める提言をされており、そのための規制の撤廃などを主張されています。私も理論的には賛成です。

    しかし、労働力の移動には転居か伴うことが少なくありせん。頻繁な転居を前提にした人生設計では、住居形態が賃貸が中心になります。そのためは、まず、これまでの持ち家政策を見直し、賃貸住宅を前提にした政策に転換する必要があります。

    現在の賃貸住宅の業界は無法地帯の状態です。例えば、貸金業では禁じられている暴力的な取立ても、賃貸契約では規制の対象となっていません。部屋の中に無断で不動産会社の人間が侵入することも、巧妙な契約条件のために禁じることができません。賃貸住宅業界では、このような悪質業者が野放しの状態なのです。

    更に、入居時に連帯保証人を要求される慣習も改められるべきです。入居者以外に支払責任を負わせなければ入居できない制度は、転居の著しい妨げになります。

    労働力が自由に移動できる社会の実現には、賃貸住宅市場に自己責任に基づいた公正な制度設計が必要です。

  45. advanced_future より:

    私なんかはdisequilibriumさんの一連のご意見に賛同するのですが、一部の方達と議論がかみ合わない理由はこういうことだと思います。
    需要と供給のバランスを人為的に操作する行為そのもの自体にリスクがあるので、極力排除(もちろんどこまでという議論は成り立つ)しようと考えるのが私なんかの立場です。実際、これまでの地方行政は成功したとはいえないものでした(言い訳として大きな失敗を防げたといわれるかもしれませんが)。操作しようと思えば思うほど社会主義的にならざるを得ないが、不完全な人間による計画の失敗を多々見てきたところからして、無理な操作は行うべきではない。副作用の方が大きいのではないか。そういう問題意識だと思います。
    池田さんの一連の御主張も同様だと思うのですが・・

  46. tinycrop より:

    不思議なんですよねえ。

    生産性が低くコストのかかる田舎に住んでいるのは不合理だから、賃金の高い都会に移住してハッピーになればいいじゃないか、そのためには格差の拡大オッケーと平気で主張する人は多いのですが、そういった(すでに都会に住んでいる)人に、地方に移住して安いコストで一戸建て住宅を持ち、通勤時間も短ければ、可処分所得も可処分時間?も増えて、より人生がハッピーじゃないのというと、論理的とは思えない感情的な反発が返ってきます。

    今後、中央と地方のあり方については、冷静な議論や評価が必要なのだろうと思いますし、道州制というのは単なる中央官庁の権限や予算を地方ごとのブロックに移転させるものではなく、国のカタチそのものをどうするのか、長期的な視点でどういったあり方が効率的であり、今後の我が国の成長に結びつくのかということを考える必要があると思います。しかし、現在の東京中心主義は、あまりにも個人が無批判に東京に依存しているようにみえます。

  47. edogawadamo より:

    不思議なんですよね。なんでこんな単純な話がわからない人がいるのか。

    都会であれ田舎であれ、北であれ南であれ、自分が住みたい(総合的に快適だと思う)ところに住めば良いだけの話。その結果、人口が増えるところもあれば減るところもあるし、トレンドも変化する。

    それを中央政府が人為的に抑制したり、ある地方からある地方に所得移転をする必要なんてないという話です。

  48. advanced_future より:

    個人を主体的で自律的で合理的な存在として前提とし、政策を考えるなんていう時代はとうに過ぎ去ったと思っていました。
    都市であれ地方であれ、人間は否応なしに他との関係性の中で生きていて、常に需要と供給のバランスのハザマに立たされているわけですから、個々人の属性や信条に問題の原因を求めるのはナンセンス(短期的な解にしかならないの)で、関係性や個人が置かれている環境に着目すべきだと思います。政策を実行するというのは医学や自然管理に同種のものだと思います。自分の思うとおりに事が進むと考えること自体がリスクだと認識すべきでしょう。ここが「あるべき論」と「するべき論」の違いかなと。

  49. tinycrop より:

    不思議なんですよね。当然の話だと思うのですが。

    国のカタチは、人がみんな自分が住みたいところに住んだ結果としてできたものではありません。国家がまだ生まれていなかった古代ならともかく、(適地や規模の大小はあるとしても)人口が集積すべき場所は、すべて何らかの政治的な意図の元に形成されてきました。そうした意図に従って結果的に人々を動かすため(もしくは動かさないため)に、かつては強制もあったでしょうし、社会資本の整備や経済・政治中枢の集積、税制などの誘導的手段が執られてきました。

    あなたがその土地を離れたくない、または離れたいと思うとき、さまざまな社会的、経済的、政治的な要因が働き、それらを比較検討して人は動くのです。

    東京は、決して人々の単純な自由意志で東京になったのではないのです。

  50. edogawadamo より:

    その政治的意図がマズイと言ってるんですがね。

    日本改造論にしろ文化大革命にしろ。地方振興政策は借金か貧困しか生みません。まあ、こういうと「あれはやり方が拙かった」とか言うんでしょうが。
    この件に限らず、効率的な資源配分を政府が行うなんて発想はもうとっくに破綻してるんですよ。

    都会から地方へリソースを強制的に移すべきと主張する人は多いですが、合理的な理由を聞いたことがありません。宗教の如くまず結論ありきで、あとは屁理屈、議論のすり替え、堂々巡りをやるだけです。個々には指摘しませんがこのコメント欄でも支離滅裂の箇所があちこちに・・・

  51. tinycrop より:

    政治的意図なしには現在の都市も成り立っていないんですよ、といっても無駄ですか。。。

    池田さんが肯定的にとらえておられるロンドンのゾーニングなども、政治的な意図に基づくものに他なりません。もちろん我が国でも土地利用区分は厳然として存在します。だれもが好きなところを田んぼにしたり家を建てたりできるわけではありません。

    あなたの家の前の道も、家に引かれる水道も下水道も、一定の政治的または政策的意図に基づいて整備されているわけです(普段は意識しませんが)。どこまでの区域を都市として許容するか(または、もはや許容しないか)は、まさに政治的意図です。

    都市政策にはそうした政治的な意図が不可分であり、しかも膨大なコストを伴うだけに、冷静な議論と評価が必要だ、そのための思考実験だと何度も申し上げていても。。。

  52. edogawadamo より:

    「都市から田舎へという政策でろくなことはないと言ってるんですよ」と言ってもムダですか。どうせまたとぼけるでしょうから。

    喩えて言うなら「何処そこのダム建設はこういう理由で中止すべきだ」と言う意見に対して、「公共事業の全てが悪ではない。冷静な議論が必要だ」と話を一般化して議論の腰を折る手法です。

    国の形を国が決めるなんているのは計画主義者の幻想ですね。国税という人の財布で買い物をするとろくなことに使われません。住宅地の造成も上下水道の整備も道路や鉄道の敷設も、民間企業が採算が取れる(地方自治体であれば自らの税収だけで賄える)と判断した場合だけやってください。

    要は人の財布を当てにするな、と何度申し上げても・・・

  53. shlife より:

    確かに政府が行う資源配分は、効率的ではない気がします。
    経済学や経験則で答えが出せれば良いのですが、予測確率が低く混沌としているようです。

    私は自由主義や社会主義に任せすぎると、欲望の暴走や凝固みたいな事があって良くない気がします。
    現代は、環境の変化に目ざとく、英知や情を尽くして、適切かなと思われる合意をとるのが政治だと思います。
    反社会的とは何か? 哲学者に聴いてみたいです。

    コンパクトシティー化ができる可能性があれば、効率の尺度にかけて、トライする政策に賛成です。