代表的家計について - 池田信夫

池田 信夫

池尾さんの記事へのコメントの続きですが、ライブドアのコメント欄は800字以内なので、記事として書きます。非常にテクニカルなので、マクロ経済学に興味のない人は無視してください。


池尾さんがリンクを張っているKocherlakotaの論文は、おおむねその通りですが、1.は「経済学が異質性を無視していない」と書いているだけで、池尾さんのいうように「代表的個人がすべてを決めているわけでもない」と主張しているわけではありません。

The heterogeneity comes in different forms. It may be heterogeneity in terms of income or wage realizations. It may be heterogeneity in terms of job arrivals. It may be heterogeneity in terms of sex or age. It may be heterogeneity in terms of information about the macro-economy.

これらは最適化の主体としての代表的家計の仮定を放棄しているわけではなく、それがどの程度の異質性のもとで妥当な仮定かを調べているだけでしょう。この分野の新世代の代表であるAcemogluの教科書も、Sonnenschein-Mantel-Debreuの定理を引用して、異質な個人の選好を単一の代表的家計の合理的な効用関数として集計することはできないと認めています。

このように集計が不可能になるのは所得効果が原因なので、全国民の所得が等しいと仮定すれば、代表的家計の仮定は成り立ちます。また所得効果が無視できるCES効用関数のようなものを仮定すれば、集計は可能です。しかしこれらはいずれも、代表的家計の存在をいかに正当化するかという研究で、その仮定を否定するものではありません。その仮定をはずした成長理論も存在するようですが、きわめて抽象的でtractableな定量的結論は出せない、とAcemogluはのべています。

また多くのモデルでは、代表的家計は永遠に生きて無限の将来にわたる集計的な超過需要関数をすべて正確に予見し、最適成長を実現すると仮定されています。もともと代表的家計はRamseyの最適貯蓄の理論で使われた規範的な概念でしたが、それがいつのまにかすべての個人が全能の神のような計画主体であるという記述的モデルにすり替わっているわけです。Sargentはこの点をもっとストレートに告白しています:

Evans and Honkapohja: Do you think that differences among people’s models are important aspects of macroeconomic policy debates?

Sargent: The fact is that you simply cannot talk about those differences within the typical rational expectations model. There is a communism of models. All agents inside the model, the econometrician, and God share the same model. The powerful and useful empirical implications of rational expectations – the cross-equation restrictions and the legitimacy of the appeal to a law of large number in GMM estimation – derive from that communism of models.

私の理解では、代表的家計の仮定はDSGEのコアで、これを除いた「真水理論」はありえない。もちろんCochraneもいうように、今のところDSGEよりシャープな定量的結論を出して計量的な検証にかけやすいマクロ理論はなく、不完全性や摩擦を導入するベンチマークとしては有用だという反論もありうるでしょう。科学理論がすべてそうであるように、問題は他のパラダイムとの相対評価ですから、今のところDSGEが他よりベターな理論であることは私も認めます。しかしそれが「批判よりはすでに前に進んでしまっている」とはいいきれないと思います。

コメント

  1. kazikeo より:

    正直にいって、コメントの趣旨がよく分からない。告白しますが、50歳を過ぎた私や池田さんのような他の分野の経済学者が知っているマクロ経済学が、研究の最先端であるはずがない。サージェントとかのビック・ネームはもはや確実に「過去のある姿」ですよ。

    われわれの知っている現在の(いくつかの意味で)支配的なマクロ経済理論がDSGEで、それが代表的家計の仮定に依存しているところが大きいというのは認めますよ。しかしだからといって、マクロ経済学の若手がリアルタイムでやっている研究が、その範囲にとどまっているわけがない。代表的家計の仮定を外した成長論も、まだ出来が悪いとしても既に存在するのでしょう。それらが整ったものになって、われわれのような周辺にいる者も知られるようになった頃には、研究のフロンティアはさらに先に行っているものです。
    --池尾

  2. kazikeo より:

    思い出したので、補足だけれども、ある機会に私の同僚の櫻川昌哉くんは、(永遠に生きる代表的家計を想定した)ラムゼー型のモデルは嘘くさくて好きではないので、自分は「人が死ぬ」世代重複モデルでしか使わないといっていました。世代重複(Overlapping generations)モデルなら、常に少なくとも2つの異なったタイプの家計が存在することになります。世代重複モデルは、現代のマクロ経済学における代表的なモデル化の1つですが、そこでは代表的個人がすべてを決めているわけではないよね。
    --池尾

  3. 池田信夫 より:

    そうですね。Acemogluも代表的家計の(唯一の)拡張として、OLGをあげています。ただこのモデルは、2種類(以上)の代表的家計を仮定するだけで、集計的な最適化主体という考え方は同じだし、パレート効率性が満たされないのでベンチマークとしては使いにくい。

    誤解のないようにいうと、私はDSGEがナンセンスだといってるんじゃありませんよ。私はむしろ、それは(一般均衡理論が今やそうであるように)規範理論と割り切り、実証モデルはもっとごちゃごちゃした制度的な問題や非合理的行動を入れたhard positivismに徹したほうがいいと思います。

  4. shlife より:

    こんにちは、
    経済学なんて、ケインズとマルクスの名前しか知りませんが、池田先生がおっしゃっている意味合いを次のように感じました。

    数計算には緻密で正確ですばらしいものがあるが、初めの仮定が確かだとは言えない。それを忘れてはいけない。

    間違っていたらすみません。

    素朴な質問ですが、経済の地球規模のシミュレーションて可能なんでしょうか? 
    どなたかシンプルにご教授いただければ幸いです。