先の記事に対するコメントの中に、「なぜ立証可能性が難しいのか、それは単にコストの問題です。違法な取り立てに対して、債務の数百倍から数千倍の懲罰的賠償責任が発生すれば、優秀な弁護士が着手金無しで一生懸命面倒見てくれると思います。完全歩合制でね。これは貸し手にとって大きなリスクですから違法な取り立てを行わない事になり、enforcementは保たれます。」というのがありました。
ただし、ここで指摘されていることは、実は経済学者の間では月並みな常識です。
期待コスト=発覚する確率×発覚したときのペナルティの大きさ、ですから、発覚する確率が低くても、発覚したときのペナルティの大きさを十分に大きくすれば、エンフォースメントは可能だというのは確かです。ときどき学生にいう例だと、駐車違反がなかなかなくなりませんが、駐車違反をしたら必ず「死刑」ということにしたら、駐車違反をする人はまずいなくなるはずです。
ただし、人権への配慮ということとかがあって、文明社会では、罪の大きさに見合わない罰を(いわば見せしめ的に)課すことはできません。とくに日本の法制だと、(刑事罰ではなく)懲罰的な課徴金を課すことさえままなりません。米国においては、不当利得の数十倍の罰金を課すことができます。ところがわが国では、不当利得を得た者は、基本的にはその利得分を返還すればいいだけなのです。それでは、(発覚しない可能性がある限り)不当行為はやり得だということになってしまうのですが、そうした経済学者の意見は適法だとしてもらえません。
課徴金制度は、金融商品取引法や独占禁止法において、有効なエンフォースメント・ツールなので、その拡充には(私も微力ながら関与して)努力してきています。その結果、現状では、多少は懲罰的な効果を持つ額を課せるようにまではなってきていますが、発覚確率の低さを補えるようなものになってきているとは残念ながら思われません。内閣法制局の壁は厚いものがあります(政権交代で、何か変化があるかもしれませんが...)。。
改正貸金業法に批判的な人は、よくヤミ金融に言及します。そして、ヤミ金融が存在して当たり前かのようです。しかし、いうまでもなく、ヤミ金融は完全に違法で、犯罪行為です。そうした完全に違法なものも取り締まれないというのであれば、「厳しい取り立て」を取り締まれるわけはありません。20%の上限のときに100%の金利を受け取ったら違反だということですから、金利規制違反の立証は比較的容易です(それでも、中古品の売買に偽装する等の形での脱法行為を摘発するのにはコストがかかります)。それゆえ、ヤミ金融が違法行為をしているという点は明白です。にもかかわらず、ヤミ金融でさえ完全に撲滅するところまで至っていません(本当は、ヤミ金融をしたら、必ず「死刑」ということにすればいいのでしょう...)。
これに対して、「厳しい規制」というのは、何が「厳しい」ものかの定義でまずもめます。そして、明らかに「厳しい」といえるような行為に関しても、したかしないかで争いになります。実際には脅迫まがいの行為をしていたとしても、していないとしらを切ることは簡単です。その立証のためには、すべての会話は録音し、直接のやり取りはすべてビデオに撮るといったことをしている必要があります。したがって、この種の行為規制は、その違反摘発(立証)がきわめて困難であることから、エンフォースメントしがたいところがあります。そうであれば、そうした行為が法律上禁止されていても、行われるし、実際に行われてきたと判断しています。
行為規制で直接に禁止することができないのであれば、そうした行為を行うインセンティブを除去するという対策が考えられます。「厳しい取り立て」を行うにもコストがかかりますから、それに見合う利益が上がるという見込みがなければ行われません。(数量に関わるので立証か容易な)金利上限規制と総量規制が導入されると、取り立てに成功しても得られる利得が少なくなりますから、その分、「厳しい取り立て」を行うインセンティブが弱められます。この観点からは、「厳しい取り立て」を伴うようなビジネス・モデルが成り立たない程度まで、厳し目の金利上限規制と総量規制を入れる必要があるということになります。
しかし、年収の3分の1を超えて貸してはいけないというような内容の総量規制がバインディングする(拘束力をもつ)というのは、そもそもあきれたことです。ほとんどが低所得者層(あるいは貧困層)の顧客に、たとえ利息制限法の金利であっても、年収の3分の1超を貸し付けて、まともな形で返せるというのでしょうか。貸すべき者には貸すが、貸せない者には貸さないという職業倫理(貸し手責任)が守られていたら、こんな総量規制など、有名無実の実効性のないものになるはずです。闘争技術の行使を前提としていなければ、貸すはずがない額です。
[追記]最後の2つのパラグラフを後から追加しました。
コメント
貸金業法を2007年12月に改正することにより多重債務問題を解決し、悪質な業者を排除するため、貸金業を始める場合の総資産額を引き上げたり、夜間に加えて日中の執拗な取り立て行為などの取立規制を強化することで、貸金市場の適正化を図る、と言う。
この貸金業法改正は中小企業や個人が関係する”金融問題”を解決することができるのだろうか?
>ほとんどが低所得者層(あるいは貧困層)の顧客に、たとえ利息制限法の金利であっても、年収の3分の1超を貸し付けて、まともな形で返せるというのでしょうか。
貸金業法で年収の3分の1を越して貸してはならない総量規制の導入は、2010年6月までに施行される予定と言う。
消費者金融で多額の借入れを行っている者の借入金の使途の多くはパチンコなどの遊行費 である。
多重債務者の多くは、借りては返す「自転車操業」に陥っているので総量規制の導入の導入は、彼らの(一時はヤミ金融でジテンシャを漕げるかもしれないが、早かれ遅かれ)”ゲームオーバー”をもたらすだろう。
>貸すべき者には貸すが、貸せない者には貸さないという職業倫理(貸し手責任)が守られていたら、こんな総量規制など、有名無実の実効性のないものになるはずです。闘争技術の行使を前提としていなければ、貸すはずがない額です。
これら多重債務者たちの”ゲームオーバー”は今後の日本に社会不安と社会情勢に不測の事態をもたらす、に違いない。
>貸すべき者には貸すが、貸せない者には貸さないという職業倫理(貸し手責任)が守られていたら…
などの机上の問題ではなく、大企業や政治的関係が深い企業には、資金ショートは社会的影響が大きいという理由で、政府あるいは政府保証の資金が、様々な形をとって貸し出されるという、金融の職業倫理にダブルスタンダードがあることなのです。
リーマンを潰したから、破綻のショックが大きかったと言われているが、反対に、リーマンを潰したから経済の立ち直りが早い、と言えるかも知れない。
では、現在の日本の政治経済状況で、中小企業を沢山潰したら、経済の再生が早くなるのかどうなのか?。経済学、金融学は、答えられるのでしょうか。
複雑系で答えられないが正解でしょう。
satahiro1さんは、無知と偏見をさらけ出したようなことを書いて、何が楽しいんだろうね、。「消費者金融で多額の借入れを行っている者の借入金の使途の多くはパチンコなどの遊行費である」って、どこの統計に基づいて言っているの? どうしてそんなこと知っているの? 調子に乗って、デマを書くんじゃないよ。
そもそも、多重債務問題の本質的背景は貧困問題だから、金融制度をいじったくらいで片がつくような軽い問題ではない。そうしたことには到底思いが至っていないだろうね。まあ、前にも紹介したけれど、とりあえずダイヤモンド・オンラインの辻広さんの記事でも読んでみて(この記事については、私も取材を受けた)。
http://diamond.jp/series/tsujihiro/10034/
直接的な課題にだけ限定しても、多重債務者の新規発生の防止と、既に多重債務を抱えている者の問題解決というのは、別の問題だから、改正貸金業法を施行したくらいで、両方すべて解決されるなんて誰も言っていない。いろいろとやらなければならない。それで、政府に「多重債務者対策本部」というのが設置されていて、その本部長は金融担当大臣ということになっているのだけれども、今度の亀井大臣はちゃんとやるかなぁ。
--池尾
中小企業の経営者は、借金に担保保証を求められるから、消費者金融に向かうのです。
多重債務問題とは、中小企業問題ですよね。
「多重債務者対策本部」というのは、金融の職業倫理を政治が肩代わりするということなのでしょうか。
税金を、大企業に入れたらいいのか、中小企業にしたらいいのか、「子育て手当」は財務大臣のいう直接的福祉経済による景気対策だが、中小企業の多重債務者は生まれ来てはいけない子供なのでしょうか。
不良債権を抱え銀行が潰そうにも潰せない効率の悪い老舗中小企業が、日本には山ほどあります。そこには政府支援を受けた銀行の貸し出しが当てられています。最近では、自分の一生をかけて、銀行の不良債権隠しなどに付き合っていられないと、銀行との相談なしに、経営者側から倒産を選ぶケースが増えています。
貸すべき者には貸すが、貸せない者には貸さないという職業倫理(貸し手責任)など、日本の金融機関にあると思う方がおかしいのです。
おそらく倫理的な「善悪」のフレームで考えている限り違法な貸金はなくならないでしょう。
「悪」であってもそれが「得」なら行う人が必ず出てきます。違法な金融及び取り立てが「損」になるようなシステムを作る必要があります。そのためには懲罰的な課徴金制度がどうしても必要ですね。
oh3hoさんは、コメントする相手を間違っているのか、国語読解力に問題があるのかのどちらかですね。
だから、職業倫理(貸し手責任)が守られていたら、と(仮定法で)いっているわけじゃない。そのなものがないのが現実だったら、非効率で副作用の大きな上限金利規制や総量規制といった統制経済的なやり方を採用するしかない。なのに、そんな規制はおかしいみたいなことをいう人が少なくないので、いろいろと説明しているわけじゃない。私もこんな記事を書くのは全く楽しいわけではないけれども、無知を偏見は正す必要があるから、あえて書いているわけ。
--池尾
懲罰的な課徴金が困難であれば、営業停止命令はいかがでしょうか?証券会社等に対しては行われていると思いますが。半年から一年の営業停止にし、その間の利子は請求できない、元本も返済を受けられないとなれば、違法行為を行わないという強いインセンティブがはたらくのでは?
借り手による違法行為の立証が困難であれば、第三者の専門家の力を借りたらどうでしょう?せっかく消費者庁ができたのですから、そこに専門の相談窓口とG-MANを配置すればよいと思います。
池尾さんは貸してと借り手の情報の非対称性について触れられて、貸し手側の圧倒的有利性を強調されていますが、私は全く逆ではないかと思います。金の貸借契約の内容で借り手が知る必要がある情報は限られてます。金利、返済期間、返済が滞った場合のペナルティ、保証人の義務、担保(があれば)の処分/受け渡し、くらいのもので貸し手が提供しない訳がない。この程度のことは借り手に専門知識がなくても義務教育を受けていれば分かるはずです。一方、借り手側の情報は、収入、負債総額、資産、解雇の危険性、健康状態等で、貸し手が正確に知ることは極めて困難です。
ところで亀井静香氏の暴走はエスカレートして、元利ともに返済猶予するとか、追加融資するとかいいはじめてますが、ぜひ池尾さんのコメントをお願いします。
私も、同じくあなたの仮定上でお話ししているつもりですが…
どうも貴方は、学者の言のためか、経済学の原理のためか、理想の状態を、例えば、性善説とか性悪説とかが前もってあるように仮定し、つまり、貴方の経済学が常に正しいことを、その正しさは、自分がその専門家であることを論拠にしていて、その正しさを問い詰めると、国語読解力に欠けるとか、それは仮定の話であるとか、複雑系だからとか、それは心理学が解決するとか、でも結局、金融工学はサブプライムローン破綻を生み、迷惑を掛けたではないか。つまり、反省がないあなたには、今どれだけ良いことを言っても信用が無いと言うことなのです。
経済学は構造変化を想定できない、つまり、構造変化の後追い学なので、このような政治的問題、つまり複雑系などといってあなたが逃げてしまう政治的問題に首を突っ込むと、政治に利用されるだけだと忠告したい。これからの時代を語るには、自分の経済学金融学を構造変化させてから出直して欲しい。古い武器では戦えませんよ。
貴方の唯一の拠り所、肩書きに傷がつきますよ。
hogeihantaiさんには、本当にやれやれだね。営業停止命令なんかちょくちょく出されていますよ。しかし、「その間の利子は請求できない、元本も返済を受けられないと」することなんかできると思っているのですか。憲法の財産権に違反する措置がとれるわけないでしょう。普通の法治国家の枠内で実行可能なことかどうかも考えないで、思いつきを書かないで下さい。
また、取り立て行為に関する違法性の立証は、貸金業者の外務職員に一対一で調査員を付けるくらいのことでもしないと確実に可能とはならないというのも、まだ分からないのかな。摘発されているのは、きわめて執拗かつ継続的で、やる方がバカで証拠を残すようなへまをしたものだけです。隠すつもりで、巧妙にやられたら、お手上げです。
それから、貸し手が職業的でプロで、借り手はアマだから、前者に第一義的には問題解決の責任があるといっているだけで、借り手の信用リスクについては、借り手が情報優位で、貸し手が劣位だというのは当たり前じゃない。そうでないとどこで私が書いている? そうした劣位を乗り越えられたのは、事後の「取り立て」に自信があったからだと書いているでしょう。
--池尾
いまのところ、私がみた中でこの件に関するコメントとして、一番秀逸なのは、磯崎哲也さんのそれですね。いまは大塚副大臣が10数人の若手与党政治家を集めて鋭意検討している最中とのことですから、その結果が分かるまでは、この磯崎さんのコメント以上のことで、とくにいえることはないのではないですか。
http://www.tez.com/blog/archives/001463.html
池田さんへ。上のコメントには、その前に
失礼しました。oh3hoさんは、「仮定法」という言葉の意味も取り違えられているようなので、もう何も申し上げません。
--池尾
私は改正貸金法に関するこれまでの池尾氏の論旨に同意見です。
改正貸金法は良い仕事です。将来評価されるであろうと考えています。
もちろん法(システム)に完全な時点は存在しません。
理想の方向に今後も改正されるべきと考えています。
改正貸金法に批判的な方も「市場」のメカニズムを尊重する方だと思います。
でしたら「市場」を育む規制を客観的に評価する視座を持つべきではないでしょうか。
批判的な方の視座は一部のセクター・企業益を評価する視座に偏重しているように思います。
または一つの法がすべてを解決することを求めて批判しているように思います。
いずれも論点でしょうか。
「市場」を第一に考え直してみていただけませんか。
たとえば「市場」を構成する「客」の質が低下すると日本の経済はどうなるのか。
一般的にノンバンクは遅れていますが他のセクターの企業は「客」の質を選別する戦略を既にとっています。
日本の経済をこれ以上縮小させたくないのであればその選別から漏れない「客」を育むことが求めれます。
ノンバンクはこれまで以上に金利リスク信用リスクを減らす事業構造の変革競争に向かいます。
これらは私が改正貸金法を評価する主な理由です。
otafukusource21さん。どうも失礼しました。そうした印象を与えたようでしたら、お詫び申し上げます。
少し疲れているのかもしれません。
先にも書きましたが、私は消費者金融問題について、楽しくて書いているわけではありません。むしろ、このような記事を書くことの機会費用はきわめて高い(その時間、研究でもしていた方が遙かによい)。しかし、私からみると、単なる偏見や事実関係に関する無知にもとづく誤った理解が横行しているので、それを是正する必要がある(私は「多重債務者本部」の下請けの委員会の委員をしていますから、評論をしているだけではない)と思うからあえて書いています。
こちらは、これだけの機会費用をかけているのに、少し調べれば分かるようなことも踏まえないでコメントしてくるような印象を受ける(私の勝手な印象ですが)書き込みが多かったので、そうしたコメントは匿名をいいことに許されるものではないと考えているので、ご批判のような姿勢になったかと思います。安易な書き込みに対しては、これからも反撃権を留保したいと思いますが、もっと品位のある書きぶりを心がけたいと思います。
--池尾
市場が完全であるならば、余計な規制はすべきではありません。ここで言う「完全な市場」とは、参加者が皆合理的経済人である市場だと思って下さい。このような市場の参加者は「価値破壊的な経済活動は長期的にはマイナスである」ことを知っているので、価値破壊的な経済活動を行わない倫理が保たれた市場となるでしょう。しかし実際の市場は完全ではなく、参加者は合理的経済人ではありません。不完全な市場では池尾さんが主張するように何らかの規制が必要になるのも致し方ない気がします。
ところで、私は懲罰的な課徴金が有効だと思うのですが、何故導入されないのでしょうか?
「課徴金制度は、金融商品取引法や独占禁止法において、有効なエンフォースメント・ツールなので、その拡充には(私も微力ながら関与して)努力してきています。」
池尾さんも懲罰的課徴金が有効だと考えておられるようですが、日本においては何が導入の障害となっているのかご存じでしょうか?
やっぱりヤ○ザ関係のことが絡んでいるのかな・・・。
「逃げてはだめですよ」といったコメントはやめてください。こういう相手の表現を攻撃する議論は、非生産的な「炎上」を誘発するので、それに対する反論とともに削除しました。
oh3noさんについては、これ以上ルール違反を続けると、コメント禁止にします。
なお、
http://www.fsa.go.jp/policy/kashikin/index.html
から基本的な情報が得られますので、コメントの際には参考にして下さい。
「多重債務者本部」の下請けの委員会は有識者会合といいますが、会合はいつも公開でやっていますし、議事録も公開していますから、どのような議論をしているかは知ろうと思えば知ることができます。知ろうと思えば知ることができることも無視して、ただ質問されたりすると正直に言って苛立ちます。
その昨事務年度(事務年度というのは、7月から翌年の6月)最後の会合(第14回)の議事録は、
http://www.fsa.go.jp/singi/tajusaimu/index.html
からみられますから、読んでみて下さい。全文読むのは大変だったら、「池尾」というので、検索していただければどんな主張をしているかは分かるはずです。
--池尾
一般論の焼き直しで申し訳ありませんが、紛糾しているのでコメントしたくなりました。
飛んで火に入る夏の虫でしょうか・・。
借り手が高金利でも借りるのは資金需要があるからではありますが、その内訳として一過性の資金繰り危機への対応よりも、延命的な(その後の成長可能性の少ない)資金繰りのためが多ければ、上限金利の引き下げは経済活動に本質的な影響を及ばさないという指摘には説得力があります。
話を単純化しすぎかと思いますが、高速道路の法定速度を無制限にすべきか100kmか150kmか、というような議論と類似していると思います。(隠れて飛ばす人もいますし)150kmで得する人もいますが代わりに事故も増えます。損失を被る人がいても皆が安心して走れる速度として100kmにしようとする行為は多少社会主義的でも納得できればよいと思います。(エクイティとの住み分けもありますし)
得する人も損する人もいますが、そこはトレードオフ前提で答え出さなきゃいけませんから。どのようにバランスをとるかで対立軸を明確化するためか二元論的な議論が目立ちます。
経済規模を見せ掛け上大きくみせるよりも、持続可能性の低い資金繰りを可能な限り抑制することは、淘汰を推し進めるという意味で環境さえ揃えば実はマクロ的にみて正の効果を期待できはしないのでしょうか。そもそも、なぜ多重債務者が存在するかといえば、これは金利によるものだけではなく、無理な延命せざるを得ない状況が発生しているからです。つまり資金繰りせざるを得ない環境に個人が置かれてしまうことが根本的な問題です。この問題に対する解決策は、月並みな意見なのですが、債務不履行に伴う倒産コストの引き下げと効率的な破綻処理の構築になるかと思います(再起機会の構築はここでは省略)。
ただ、これは言うは易く行うは難しの問題で、「良いリタイア」のモデルの構築はまだまだ模索段階にあるという認識です。特に日本の場合は破産すると無形の人的・生活ネットワークも破壊されるという悲惨な状況に身を置くことになります(一方でタコツボ社会のメリットもありますが)ので、余計に難しいというのもわかります。
そういう中で、現状として上限金利の引き下げは、一つの方策として有り得るのだと思います。こういう考えがスピード狂の心に響かないのも知っていますが。
bobbob1978さん。
ちょっとネットから引用させてもらいますが、カント[1724 – 1804]ドイツ観念論哲学の創始者に関わる説明として「刑罰は社会正義の要請から、予防目的の実現のためには科すこと許されず、ただ単に罪を犯したからという理由で科すべきであるとした」とあります。
こうした目的刑主義を否定する応報刑主義的な考え方が、大陸法には伝統的にあり、日本の法制もそうした考え方に従っています。要するに、罪刑法定主義と呼ばれるような考え方が桎梏になっているのです。英米法では、ここが違うわけです。
--池尾
授業料も払っていないのに高名な池尾先生にご教授頂くのは恐縮ですが、出来の悪い生徒に、もう一つだけ教えて頂けますか。
”その間の利子は請求できない、元本も返済を受けられない”
と私が書いたのは、”営業停止中に掛かる利子は請求できない、停止中に期限が来た元本の返済は停止中には受けられない。”の意味で、営業再開後は(停止期間を除く)利子も元本も返済を受けるという意味です。舌足らずで申し訳ありませんでしたが、これでも、財産権の侵害になりますか?
この不景気で、金融業に限らず、一般企業でも、(売り掛け)債権の保全には苦労しています。取引先の信用調査を興信所に依頼しても報告書は半分位しか判断材料にならないのです。結局、営業マンが頻繁に顧客を訪問し、キーマンが辞めていないか、雰囲気が悪くなっていないか、大口の債権の焦げ付きがないか、手間隙かけて、足と感で判断せざるをえないのです。”プロの貸し手は返せる見込みのある者しかカネを貸すべきではない。”と仰ってますが、小口の融資に大金をはたいて信用調査はできないと思いますよ。
池田さんの、理性的な判断。有り難うございます。
池尾さん、大変失礼しました。
次回は、「サブプライムローン破綻の反省」を是非書いて下さい。
素人の意見からでも、良い知恵が生まれるかも知れません。
池尾さん、お忙しいところ教えて頂きありがとうございます。
罪刑法定主義の立場上導入しにくいのですね。
懲罰的課徴金制度は刑事訴訟ではなく民事訴訟に関わることだと思っていたのでそこが桎梏になるというのは思慮外でした。しかし、言われてみれば確かに目的刑的な面がありますね。勉強になりました。ありがとうございます。
たしかに亀井氏の話も他の閣僚の話も二転三転して、真意がよくわからない。最初に亀井氏が「モラトリアム」といったとき、誰もが連想したのは関東大震災のときの「震災手形」だと思いますが、どうもそういう一律・強権的な返済停止を考えているようではない。
他方、大塚副大臣は明らかにやりたくないので、「申請ベースで」とかいっているが、磯崎さんも指摘するように、これは「うちの会社は資金繰りが回りません」と世の中に宣言するようなもので、その後の融資はなくなるでしょう。
他方、鳩山首相のいっているのは10年前の「貸し渋り対策」に近い話のようで、これはほとんど効果がなく、不良債権の長期化という副作用だけ出てくる。
・・・というわけで、金融庁が具体的にどういう法案を出してくるか見てみないと何ともいえませんが、どっちにしても役所が民間の金融契約に介入するのは有害無益だと思います。
>23. hogeihantaiさん
私は、法律の専門家ではないので、確定的なことは言い難いのですが、やはり債権債務関係に国家が介入して、その履行を一定期間停止するということになると、今回のモラトリアムの話と同じで、国家補償とかをしないと違憲ということになるでしょうね。
中小企業金融の改善の議論にも、かつて少々関わったことがあるのですが、確かに小口に審査費用なんかかけていられないというのが銀行などの本音です。信用保証が100%だとモラルハザードの懸念があるので、80%とかの部分保証にしようという話になったら、20%でも貸し倒れの可能性があるなら審査しなければならなくなる、だったら貸さないことを選ぶと抵抗されました。だから、事後の恐慌的な取り立てを認めたらいいということにはならないので、情報の非対称性を少しでも緩和する工夫をしていくしかないというのが、ぱっとしませんが結論です。
http://www.chusho.meti.go.jp/koukai/shingikai/kihon/index.html#shinyo
--池尾
これからは、品位のある対応を心がけたいと思いますので、論理的に意味があり、答える価値があると思う質問にはできるだけ答えたいと思いますが、そうだと思わないものについては、全く無視することにします。もし私が論理的に筋が通った反論であるにもかかわらず、無視したならば、多くの人たちからの信頼を私は失うことになると思いますので、こうした対応で規律が失われることはないでしょう。
--池尾
いつも記事を楽しみに見させて頂いております。
池田氏と完全に意見が一致しているわけではないところとそれを遠慮なく仰られるところが気に入っています笑
池尾氏の意見を手軽に聞けるいい場だといつも楽しみにしています。
さて、あまりにも池尾氏の意見へのレベルの低い反論が多いので見かねて初書き込みさせていただきます。
池尾氏の意見に以前からまったく賛成。ここ一連の記事でますます納得。
なお、池田氏の意見は、どうも木村氏と繋がっているのでは?と思う記事が池田氏は続いています。なんというか池田氏は論理的に説得力のある説明を避けてらっしゃる気がします。
池尾氏はまじめな方なので丁寧に反論してあげたんだと思いますが、レベルの低いコメントされる方は相手にしない方がいいと思います。池尾さんはもっと大きな仕事をしていただかなければならないので、読解力のない方の相手を丁寧にしてあげる必要はないと思います。
この経験をもとにネットはレベルの低い粘着質の方もいるということをお知りになって今後は相手せず本でも読まれ新たな研究の役に立てて頂いた方が有意義だと思います。
応援しています。この貸し金関係の議論はよっぽど鋭いコメントでない限りは基本的に池田信夫氏と議論するところを見せていただいた方が読者としては勉強になります。
取り立て方法の行為規制ではなく金利規制を採用すべき理由は,規制の実効性という専ら取締りの便宜と理解したのですが,素朴な疑問として,本当に取り立て方法の規制は,金利規制よりも困難なのでしょうか?
たとえば実務家の印象論で恐縮なのですが,「出資の受入れ,預り金及び金利等の取締りに関する法律」違反(高金利の処罰)被疑事件では,借り手からの苦情などが捜査の端緒になることが多い印象ですが,ほかの借り手なども特定した上で,どのような取り決めで何時いくら借りたのか借り手の供述を得,預金通帳の記帳内容やメモ用紙などの裏付け資料を収集してその信用性を吟味し,さらに貸し手側から帳簿類からメモに至るまで差押え,分析して,貸し手側関係者の身柄を拘束し,自白を獲得するという手順を踏むことが多いと推察されるところ,貸付金額を仮装し,事務手数料名下に天引きを行うなど巧妙な捜査攪乱工作が加えられた小口の事案では,金額の特定から金利の内容の解明まで借り手の供述に大きく頼る捜査になります。
(続き)対して,取り立て方法の規制は,どのような行為類型を不当な取り立て行為として構成するのか(ネガティブ・オプションで禁止される行為を制限列挙するのか,逆に許される取り立て行為を制限列挙するのか)という立法技術の問題はさておいて,禁止される取り立て方法に対する捜査は,やはり借り手の被害申告を端緒として,その供述を立証の柱に進められてゆくものと予想されますが,その捜査手法は恐喝などの粗暴犯のそれとさして変わらないものになるでしょう。
そもそも,高金利自体が不当な取り立て行為を念頭に置いてはじめて成り立ちうるビジネスモデルであるというのも実感として頷けるところであり,それを取り締まるには刑事罰に担保された金利規制でボジネスモデルごと一網打尽にするのが,限りある捜査機関の人的資源の問題からも実効的であるというのは説得力のある議論です。
しかし,一律の金利規制にもコストが指摘されているを考えると,借り手が法人か個人か,消費者か事業者かの区別をしない一律の金利規制以外にも,取締りの実効性にそれほど劣らないかも知れない取り立て方法の規制という選択肢も,なお検討に値するのではないかという気がしてならないのです。
>38. n_humitsukiさん
「本当に取り立て方法の規制は,金利規制よりも困難なのでしょうか?」
これはどう考えても、金利規制のほうが簡単だと思います。
日本における犯罪の取り締まりは、完全とは程遠い状況なので、特に、巧妙な組織犯罪に対しては無力と言っても過言ではないと思います。
もちろんそうした課題に対して取り組むのも無駄ではないと思うのですが、現実に起きている問題に対して、すぐにできる対策があるのに、何十年かかるか分からない対策を待つというのは罪ではないですか?
oh3noさんの不適切な発言とその反論を削除し、彼をコメント禁止にしました。
池田さん対応ありがとうございます。
ただ、不適切な発言の後は、普通にコメントしていたので、コメント禁止までする必要はない気がしますが。
(コメント禁止にすると、先に言われていたので仕方ないでしょうが)
私なんかは枯れ木も山の賑わいと考えコメントしているので、他の論者が1人減ってしまうのは寂しいです。
>33. disequilibriumさん
おかげで番号もずれてしまいましたしね(笑)。
さて,本当にそうでしょうか?
日頃から捜査実務を身近に見ていると,高金利の処罰規定違反事件の捜査と,(もっとも類似していると思われる恐喝等の捜査から見て)刑事罰のある取り立て方法規制を導入した場合では,前記のとおり,さして労力も実効性も変わらないのではないかという印象を受けるのです。
(続き)
ただ,金利規制はかのユリウス・カエサルも導入したものですから,現場だけを見ていては分からない利点があるのかも知れませんね。(「厳しい取り立て」が問題なのではなく,自力更生の見込みを欠く多重債務者の存在自体が問題なのだと言われれば,成年後見制度の導入により浪費癖を含んだ「準禁治産者」が廃止された歴史的経緯に照らし,一理あるといわざるを得ません。パターナリズムの限度の問題はありますが。)
その場合でも,「(ノンバンクの貸付を受けるのは),多重債務のギャンブラーではなく,資金繰りに困った中小企業で」浪費癖で返済の見込みがない多重債務者とは異なり,「手形が落ちる半年後には返済できるものも多い」という指摘http://agora-web.jp/archives/758419.htmlを考えると,消費者/事業者という区分を軸に,金利規制を消費者保護立法と限定的に位置づけることも,できるのではないでしょうか?
>36. n_humitsukiさん
なんか微妙に論点が食い違ってると思ったら、
私が誤解していたようです。
私がどう考えてもそちらの方が簡単だと思ったのは、
非合法の取立てを取り締まって、なおかつ取り立て業者と貸金業者との関係を明らかにし、十分抑止力として働く検挙率まで上げることに対して、ただ単に法定金利を引き下げるという法改正を行うことを比較した場合です。
これならどちらが簡単か、誰にでも分かりますよね・・・。
(もちろん当時の自民党にとってという前提もありますが)
n_humitsukiさんが仰っているのは、法定金利より高い金利で融資を行っている業者を取り締まることと、非合法な取立てを行っている業者を取り締まることを比較してだと思います。
それなら、どちらかと言えば、証拠や証人を挙げ易い後者ではないかと、私も思います。
ただ、この2つは別の問題で、比較してどうなるというものでもない気がするのですけど。
もう実質的に結論が出ているようですが、次のように考えます。
金利規制違反であるヤミ金融が撲滅できていないという事実があることからして、金利規制についても、そのエンフォースメントを完全に徹底することは確かに困難です。しかし、少なくとも貸金業法の登録業者で、貸付時に書面交付義務を遵守する程度のコンプライアンス体制ができている先については、金利規制は(取り立て行為規制に比べて、はるかに低コストで)エンフォースメント可能だと考えられます。
ヤミ金のような非合法の世界については、行為規制違反の立証も金利規制違反の立証も同程度に困難な仕事でしょう。これは、振り込め詐欺犯を捕まえるのと同じような話です。
--池尾
>池尾先生
ありがとうございます。
そうなると,非合法な無登録業者の取締り如何が貸金適正化規制全体の実効性を担保することになるわけですね・・・,どうしても悲観的になってしまうんですが。
中小企業への信用供与の問題と,多重債務者の問題,個別の不当な取り立て行為の問題とそれを予定した高金利ビジネスモデルの問題と論点はいくつか別れているようですが,池田先生のご意見も吟味しつつ,もう少し勉強してみたいと思います。
やや私の趣と異なる方向に進んでいるので意見を述べさせていただきます。
>発覚する確率が低くても、発覚したときのペナルティの大きさを十分に大きくすれば、エンフォースメントは可能だというのは確かです。
これはその通りなのですが、懲罰的賠償責任と課徴金は趣が異なります。
相手方が違法行為を行ったら、その当事者が儲かるのが懲罰的賠償責任です。
課徴金は政府だけが儲かるわけですから、当事者は何の(本来の最初の契約に対する)インセンティブも働かず、この点が大きく異なるのです。
また「文明社会では…」はナンセンスですね。 これを真とすれば、アメリカは文明社会では無いということになります。
もしかすると、「経済学者の間では月並みな常識です」と書いたことで、気を悪くされたかもしれません。その点はお詫びしておきたいと思います。
それで、賠償責任と課徴金ではインセンティブの構造が違うというのは、ご指摘の通りですが、そこまで論点を広げるのは論旨を拡散させることになるので本文では書きませんでしたが、懲罰的賠償責任を認めたときに与えられるインセンティブは、一般的には望ましいものだとは考えられません。要するに、そうした制度があると、(罠をかけてでも)相手に非があったことにして巨額の賠償金を得てやろうというような歪んだインセンティブが生まれることになります。この意味で、モラルハザードを引き起こしがちになります。
--池尾
(その2)また、アメリカでももちろん、罪の大きさに見合わない罰を(いわば見せしめ的に)課すことはできません。ただし、損害については広義に考えるところがあって、証券取引における不正行為などの場合に、それによって直接の損害を受けた者の損失だけを考えるのではなく、いわば市場機構の働きを阻害した(market abuseの)罪があると考えます。そして、市場機構の働きが阻害され価格形成が歪んだりすると、経済社会全体が被害を受けたとみなすわけです。そうした損害額すべての補償を不当行為を行った者に求めると、不当行為によってその者が直接に得た利得の数十倍になったりするということです。
--池尾
(その3)上記の点に関しては、私の説明に舌足らずの面があったと思います。日本の場合には、損害の範囲の捉え方が狭く、訴える側に損害額の立証責任があったりして、不当利得だけが損害とみなされがちになります(もっとも、私は法律の専門家ではないので、このあたりの理解にいい加減なところがあるかもしれません。誤りがあれば、ご教示下さい)。資産価格形成を歪めたり、競争を阻害すると、国民全体が損害を被るという認識がわが国ではまだまだ確立していないのです。
--池尾
この問題については「月並な常識」と池尾さんも書いているように、私も賛成です。上限金利を引き上げる代わりに、違法な取り立てを行なった業者を懲役20年以下にするとか、厳罰にすればいいと思います。
昔、大阪のNHKに勤務していたとき、駐車違反がひどいのでどうするかという特別番組をやったのですが、私は「そんなの簡単だ。罰金を100倍に引き上げれば違反はゼロになる」と言ったら、大阪府警の記者が「それでは警察国家になる」とかわけのわからない反論をする。とはいえディレクターが結論を出すわけには行かないので討論番組にしましたが、警察の辞書に「費用対効果」という言葉がないのがよくわかりました。
池尾様
気分を悪くなんてしてませんよ。
ご意見は概ね理解しましたが、問題は国民全体の認識の確立としてお茶を濁してもらっては困るわけで、池尾様は日本がどの様に成ればよいと思っておられるのですか?
もちろん某氏の天敵の某弁護士のような方が跋扈している法曹界には期待がもてないことも事実ですが。
「競争を阻害すると、国民全体が損害を被るという認識」は池田ブログを常時閲覧している者にとっては共通の認識ですし、ネットで調べる限りにおいては、再販制度や新聞の特殊指定などを含めてかなり国民の理解度は進んでいるものと思われます。
池田様もコメントされておりますが、厳罰主義について酒酔い運転に関しては否定的な意見と思われましたが、駐車違反は厳罰で良いのですか?
>45 と >46 にあわせて返答します。
何か、議論が堂々巡りになってきていますね。既に(もうたくさん)書いてきたことをまた聞かれているような気がしますが、もう一度だけ繰り返します。あとは、前に私が書いたものを読み返してみて下さい。
私も、ヤミ金融はすべて死刑で、違法な取り立ても重刑で警察が効果的に取り締まってくれるということであれば、金利規制や総量規制なんか不要だと思います。しかし、そうはできないという事情があることを説明してきたつもりです。
なお、「厳罰主義について酒酔い運転に関しては否定的な意見と思われました」というのは、何を根拠に言っておられるのか分かりません。
--池尾
(その2)文明社会では、社会正義や人権擁護の観点から、極端な目的刑主義はとれない(憲法違反になります)。応報刑主義を基本にするしかない。厳罰主義といっても、応報の範囲のものでなけれならない(すなわち、債務の数百倍から数千倍というのは論外)。すると、立証可能性の乏しさを刑罰の重さで補うという対応には限界がある。経済的ペナルティに関しても、大陸法の伝統に連なるわが国では解釈が厳格で、より弾力的な対応をとる英米のような、かなり懲罰的なものは難しい。
ちょとしたことで国民を銃殺したり、いきなり警察に拘束されて財産を没収されるような独裁(警察)国家と同じようなことはできない。大阪府警(クラブ)の記者は、池田さんに理解できるように説明する能力がなったのでしょうが、こうしたことを言いたかったのでしょう。
--池尾
(その3)私個人は、経済(とくに金融)取引に関しては、コモン・ローの方がいいと思っていますから、本文に書いたように課徴金制度については「その拡充には(私も微力ながら関与して)努力してきています」。具体的には、金融商品取引法における課徴金制度の強化の答申をまとめたりする努力をしてきました。何か評論だけしているわけではありません。しかし、そうした努力をしている際に、国民の理解の高まりによる力強い後押しが受けられたという感じは残念ながらありません。
確かに国民の理解が進んできているという面もありますが、他方で、市場原理主義は間違っているとかいう人が優勢なので、一筋縄ではいきません。
--池尾
>何を根拠に言っておられるのか分かりません。
紛らわしい書き方で申しわけ有りません。
文意から明らかなように、この部分のみ池田様へのコメントでした。
そのほかの件は、池尾様が大変努力されている事は良く理解できました。「国民の力強い後押し」は期待しても難しいように感じます。何せ物言わぬ国民性ですから。
それでも投票行動には表れるように成ってきていますので、池尾様の様な方が情報発信すれば、それほど悲観的では無さそうですね。
大手新聞や放送局など、既存メディアが衰退すればするほど「国民の力強い後押し」は感じられようになると(衰退を)期待しております。
>多重債務問題の本質的背景は貧困問題だから、金融制度をいじったくらいで片がつくような軽い問題ではない。
>多重債務者の新規発生の防止と、既に多重債務を抱えている者の問題解決というのは、別の問題だから、改正貸金業法を施行したくらいで、両方すべて解決されるなんて誰も言っていない。
昨日のNHK「セーフティーネット・クライシス vol.3 しのびよる貧困 子どもを救えるか 」では、次世代の若者たちが人生の早い段階で貧困に巻き込まれ、貧困の拡大再生産が起きていることが放送されていました。
またhttp://www.fsa.go.jp/singi/tajusaimu/gijiroku/20090203.pdfの18Pで2010年6月総量規制の導入について論議がなされていますが、この規制の導入には様々な難問が控えているようですね。
多重債務問題について見聞を広める事が出来ました。
ありがとうございます。
>51.
きつい言い方をして、申し訳なかったかもしれません。しかし、消費者金融で多額の借入れを行っている者の借入金の使途の多くは「借金の返済」です。借り入れの最初の切っ掛けがギャンブルであった者もいるし、借りて返すという悪循環を逃れようとして、一攫千金を夢見てギャンブルに走る者ももちろんいます。けれども、多くの場合に、とにかく返すために借りるということを繰り返しているわけです。
だから、多重債務に陥るわけで、多重債務は単に債務の額が多いという話ではありません。また、かつて消費者金融会社が高収益ビジネスであったのも、借りて返すという循環を(厳しい取り立てを通じて)強制してきたからです。この循環の終着点は、自己破産であったり、やみ金の罠に落ちての生活崩壊であったり、自殺であったりするわけです。この過程の途中で、親類とかに肩代わりしてもらえた者は、きわめて幸福だといえます。
ーー池尾