私が6月18日の「アゴラ」に、『在日韓国人の差別と日本人の対応』と言う標題で「在留証明書の常時携行義務が差別だとか、在日韓国人に参政権を与えなければ差別解消が出来ないと言う理屈は理解出来ない」と言う趣旨の一文を寄せた処、膨大な数の反響が寄せられ、日韓関係の微妙さに改めて驚かされたものでした。
爾来、半年近くを経た11月6日に、民主党の山岡国対委員長が「外国人選挙権付与法案を、今国会に議員立法で成立させる」方針を表明したかと思うと、小沢幹事長は「参政権付与は外交政策が背景にあるので、政府として提案すべき」だと直ちに山岡発言を修正しました。
その後、小沢氏が韓国民主党代表と会談し「総選挙前に在日民団に参政権付与を約束したので、この約束は必ず守る」と述べたと言う記事を読み、純然たる内政問題である筈の「地方参政権付与」が、国民向けの約束ではなく韓国に対する約束だと言うからくりを知りました。
内政干渉を禁止されている筈の民団が「公然と民主党支援の選挙運動を行って来た」と言う報道と合わせて考えますと、憲法で保障された国民固有の権利である「参政権」を、選挙対策のために「外国に売る」心算であったとすれば、誠に不謹慎な言動だと言わざるを得ません。
私は「反韓国」でも「鎖国主義者」でもなく「帰化条件の大幅緩和と、海外からの移民への門戸開放が日本の将来に重要だ」と考える、積極的開国論者の心算です。然し、外国人参政権付与を推進する人々から、参政権付与が日本と日本人にプラスになる理由が全く示されない侭に法案を提出する事に不信を感じている事は否定しません。
更に重大な事は、「外国人への参政権付与」そのものが、日本国憲法第15条の「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」と言う規定に違反するのではないか?と言う疑問にも、推進論者が答えていないことです。
民主党の提案する国家の改変方針の大半に賛成する私ですが、地方分権の強化、道州制導入論議が始まったばかりの現状を考えますと、法制度も行政インフラも未整備な侭に外国人に参政権を付与する拙速は絶対に避けるべきだと考えます。
「友愛で参政権くらいあげても良い。定住外国人に国政参政権を与える事も考えるべきで、政治や行政は其処に住むあらゆる人によって運営されてしかるべきで、それが出来ないのは、日本人が自分に自信の無い事の表れである。」という鳩山迷走発言は更に続きます。
曰く「しかし、友愛はそうは行かない。日本列島は日本人の所有と思うなと言う発想は、日本人の意識を開くことである。私は其処まで日本を開かない限り日本自体の延命はありえないと信じる」。この考えが日露首脳会談で鳩山首相が提示した「独創的アプローチ」だとすれば、北方領土の将来は暗澹たるものです。
以上申しあげた通り、「外国人参政権付与」論に説得力を感じない私ですが、反対論の多くに見られる「在日の人々」に対する激しい偏見は、筋の通った反対論の効果を薄めるだけでなく、日本人の恥部をさらけ出した醜い論議で、誠に残念至極です。
日本の憲法と異なり、外国人の参政権を憲法で禁止していない米国では、1800年代までは可也の地方が外国人参政権を認めて居りました。その後、反移民感情や女性の参政権を巡る対立から、外国人参政権付与は急減し、州レベルや連邦レベルでは皆無の状態です。
その後も、外人参政権を巡っての論戦は米国でも盛んに行われています。その代表的な論議は「住民はその社会のあり方の決定に参加する権利がある」と言う賛成論と「市民の様に運命共同体としての責任のない外国人には参政権を与えるべきではない」と言う反対論に分れ、現在では後者が圧倒的多数論です。
米国人が永住外国人への参政権付与に反対する最大の理由は、国家と憲法への忠誠に対する疑問です。帰化待望組が大半の米国永住権者でも問題にされる忠誠心を、帰化を望まない日本の在日韓国人に望む事は不可能でしょう。日本国憲法や国家への忠誠と参政権との関係についても、国民的論議をすべきではないでしょうか?
これ等の疑問はさて置き、世界の傾向はゆっくりと外国人参政付与の方向に向かっている事は否定出来ません。この傾向を感知した先進各国の政府が、外国人受け入れに向かって着々と法制度の整備をしているのに比べ、日本の賛成論者が憲法との整合性の論議や行政の整備を怠った侭、法案成立を急ぐ姿は情けない限りです。
外国人参政権付与に不可欠な行政インフラ整備に「身分証明」制度の見直しがあります。
流動的人口動態と多民族国家の歴史が永い米国の行政制度は誠に完備されたもので、9・11テロの発生で保安面は大幅に強化されましたが、その利便性の高さを国民は永年に亘り享受してきました。
公的機関が発行した身分証明である「社会保障番号、誕生証明、免許証」さえあれば、米国全国、何時何処でも全ての商取引を含めた日常の身分証明に困る事はありません(逆に言うと社会保障番号がないと、銀行取引やクレデイットカードの発行も出来ません)。その間、役所と接触する必要は皆無です。
「身分証明」を巡る日本の審議経過を見ますと、1974年当時、年金や健康保険などの番号を統一すべきだという議論がありましたが、自治労(社会保険庁の労働組合)が「国民総背番号には反対だ」と主張し年金問題を悪化させる遠因となりました。
1980年の税制改正で「グリーンカード」(少額貯蓄等利用者カード)の導入が決まったにも拘らず、不法所得の露呈を恐れる金丸信氏などの政治家が共産党と一緒になって、「プライバシーの侵害」を理由にを凍結した事実もあります。
1999年に住民基本台帳法が改正され、住基ネットの設置が決まった時きも、公明党などが反対したため、住基カードを納税者番号に使うことは禁じられました。これ等の論議には、外国人参政権付与など全く念頭に無かった事は勿論です。
日本の現行諸制度は、戸籍と実印の古き因習を引きずり、家族単位、住所単位の時代遅れの設計を基本にしており、個人単位の登録、管理を基本とするナショナルIDには役立ちません。
プライバシーを口実に骨抜きにされた住民基本台帳も、行政管理者以外の人間が情報の写しを請求出来る以上、プライバシーの保護も困難です。然も、外国人の人口動態管理は対象になっておらず、外国人参政権の管理には適用できません。引越しするとカードや番号が変る住民基本台帳は、生涯番号が変らない事が条件のナショナルIDには不適格です。
社会保障番号制度は、ニューデイール政策の一環として、1936年に発足しました。米国市民や永住者を対象に、税番号として発行された9桁の社会保障番号は、その後、実質上のナショナルIDの役割を果すようになり、現在では子供の生誕と共に親が請求するのが通例です。さしたる事故も無く、70年以上に亘って複雑で流動的な米国民を管理してきたこのシステムを学ぶ事で、事業仕分けの数十倍の節税効果を発揮する事も請け合いです。
この様に、「身分証明」の根本的見直しは「外国人参政権付与」後の管理には絶対必要な行政インフラの重要ポイントです。
外国人参政権賦与法案の審議に当っては、賛否決定の前に(1)日本の最高法規である憲法との整合性の確認。(2)日本と日本人にプラスになる事の確認。(3)新ナショナルID(納税番号)の設定を前提とする事。(4)外国の利益代表団体の行動規範の設定と登録制の確立。などを条件として論議して欲しいものです。
微妙で根深い感情論が強い在日韓国人を巡る問題だけに、激烈な感情論を避け、現状との刷り合わせではなく、日本の将来を見据えた本質的で建設的な論議が深まる事を期待してやみません。
ニューヨークにて 北村隆司
コメント
最初の住民からして移民であると明白で、移民で成り立っているアメリカと日本人のいる日本とを比較するのが、不適当だと思います。
>日本人の恥部。。。残念です。
日本が占領されてのち、戦勝国の人間としての在日韓国人のやりたい放題は、米軍憲兵が出動するほどのものでした。それ以来在日特権といわれるものが存在しています。また、強制連行でつれてこられた等のウソも平気で言うわけです。すでに感情論になっていて当然ではないでしょうか。
>世界の傾向はゆっくりと外国人参政権付与。。
どこの国でしょうか。国名を挙げていただきたいと思います。
韓国のことであれば、種々の制限があって、参政権を得た日本人はごく少数にしかすぎないと聞きます。エビでタイを釣るように、在日に参政権を与えさせようという姑息な手段です。
ヨーロッパの国々のことであれば、EU統合を目指している国々と日本は違うと申し上げます。
最後に、日韓の葛藤の歴史を知らずに言う日本人が多数いることが、また反在日感情を煽るのです。
微妙かつ難しい問題だと思います。
以前こんなことがありました。先の入国管理法?の修正(日本人と外国人の間に生まれた子は日本人とする)の時に、反対派が多数のビラを作ってポストに投函してきました。
その時の私の印象は、「なにをそんなに騒いでいるの?」というピンボケのものでした。改めてこんな論文を読むと、難しい問題だという印象を新たにします。
多くの人が関心を持って、かつ日常的に議論できるようにしないといけないと思いました。
ISMAELX様
コメント有難う御座いました。
「移民で成り立っているアメリカと日本を比較するのが不適当」と言うご意見ですが、、私は日本の旧態依然たる統治管理方式を改める必要性を強調しただけです。静的で均一性の高い日本の「年金管理」も出来ない日本の統治方式は、複雑化、多様化、高速化の進む社会には不適当で、世界的モデルとなっているアメリカの管理方式に学ぶべきだと思います。移民の有無とは直接か何系のない問題です。
「国名を挙げて欲しい」との御要望ですが、外国人に地方参政権を与えている国の数は資料に依り異なりますが、30-50カ国程度です。具体例にはアメリカ、アイルランド、ベルギー、オランダ、スウェーデン、デンマーク、フィンランド、ハンガリー、ノルウェー、ロシア ニュージーランドなどがあります。
コメントつづき
古くて新しいこの問題は、1992年にマストリクト条約で欧州連合加盟国の「外人参政権の相互主義」を定めた事を契機に、再び激しい論戦が始まりました。論戦が決着していない現在、各国の資格要件も様々です。参政権は制限の歴史でもあり、その理由も宗教、富(納税額)、性別、知識(主として識字)、人種、年齢、犯罪歴、居住地など多くの制限が徐々に緩和され、現在は欧米先進国を中心に「国籍」による制限の是非が論争の的になってきました。この問題については、Migration Policy Institute やTransatlantic Council on Migrationが多くの論文を発表しており、其処から世界の流れがゆっくりと外人参政権の容認に向かっていると感じた次第です。
あんとん様
コメント有難う御座いました。かく言う私も、韓国や中国の人々に謂れもない偏見を抱いて育ちました。頭で理解していた「民族や人種に対する偏見」が、私の身体から抜けたのは米国生活のお陰です。私も、68年のキング牧師暗殺に怒った黒人暴動を目の当たりにして「なにをそんなに騒いでいるの?」と思うだけでなく「だから差別されるのだ」とまで思った事を白状します。
一億を超える人口を持ちながら、95%以上の人間が同一言語、同一宗教、同一民族と言う世界でも稀な「均質国家」に生まれ育った日本人の私は、国内の少数民族の経験がなく、他民族から差別された経験を持ちませんでした。その後、明らかな人種差別の経験を体験し、差別の卑劣さが骨身に沁みました。
米国で、韓国や中国をはじめ多くの異なる民族の人々と肩を並べて仕事や休暇を共にする機会に恵まれ、人間を先ず個人として見る習慣が出来た気がします。偏見を無くす事は「言うは易く、行なうは難し」の典型的問題だと実感します。