ついに今週末から、「坂の上の雲」のドラマ化作品が、NHKで放送されるらしいですね。こんな時ばかりは海外暮らしの身が恨めしくなります。(香川クン演じるところの正岡子規が一番観たい。)
「所詮民族は歴史の所産である。」と喝破したのは、歴史学の巨人、宮崎市定さんですが、幕末から明治・日露戦争にかけての、いわゆる近代日本の黎明期のストーリーは、日本民族が共有する大切な一大民族ロマンでしょう。
歴史を共有することが民族としてのアイデンティティーの根本にあるのであれば、なぜ異なる民族間において歴史認識を共有させよう、共通の歴史教科書を作ろうなんていう不毛な試みをしているのか。私は愚かなことだとおもうのですが。
閑話休題、言帰正伝。
幕末・明治の歴史は現代の我々にとっては身近です。そのためか憂国の士を気取る輩は短絡的に
「今の世に、海舟、西郷、桂、大久保、龍馬...ありせば...」
などと天を仰いで慨嘆してみせます。
そういえば来年の大河ドラマは「龍馬」でしたね。
今月初め、日本に一時帰国した際、空港で「歴史街道」なる雑誌を買ったのですが、いかにも特定の年齢層のそれなりのグループをターゲットにしているらしく、童門某氏が「坂の上の雲」の秋山兄弟を評した「総論:見返りを求めず、明治国家に人生を賭けた潔さと気高さ」などという小文が巻頭を飾っていました。おっしゃりたいことはイタイほどよくわかるのですが、大久保利通がその慧眼と信念をもって、旧武士階級、旧幕臣に対する生活保障と救済策の一環として、官僚や幹部軍人への道を彼らに開放したことが、秋山兄弟や、秋山好古の同期生であった柴五郎(*1)などのキャリアを可能にしたのです。ですから歴史の大きな流れを見ずして、コマ切れの部分のみを照射し、そこに恣意的に見いだされた「無償の努力」を賛美しても、片手落ちだと思うのですが。この一事をもってしてもこの「歴史街道」なる雑誌が現代日本の逃げ切り世代をターゲットにしている雑誌なのだなということがよくわかります。
このような「明治の精神よもう一度」支持者には申し訳ないのですが、私は今の日本が置かれた立場は幕末は幕末でも、どちらかといえば江戸幕府ではなく、鎌倉幕府の末期から南北朝の時代、つまり太平記の時代に酷似している気がしてなりません。
日本歴史文学の巨人にして、司馬遼太郎の発見者であり育成者でもあった海音寺潮五郎さん(*2)は、その「悪人列伝」の「北条高時」の段で、鎌倉幕府という統治機構が崩壊した理由として、当時の日本社会の変化を次のように分析しています。
1.農業生産の急速な増加(二毛作の始まり)。
2.手工業の発達。
3.増加した余剰農作物と手工業製品の交換の場としての「市」の発達。そして同業者集団としての座(日本版ギルド)と、座の特権の保護者としての宗教勢力とのつながりの強化。(そういえば最近どなたか高野山詣でをされていたご仁がおられたような...?)
4.外国貿易の興隆。
5.貨幣経済の発達。
多くの読者が親しみやすいようにと懇切丁寧に書かれた海音寺さんの史伝では物足りないという方は、網野善彦さんの「蒙古襲来 転換する社会」をお薦めします(*3)。
こうした当時の日本を取り巻く急速な経済環境の変化が、農業生産者たちの指導者層という性格をもった当時の御家人階級の経済的没落を招き、彼らの利益を確保する存在であった北条執権をトップとした鎌倉幕府の滅亡させたのです。
このように、従来の政治手段と政治機構が、経済環境の変化についていけなかったという点、経済のグローバル化についていけていない現在の日本政府を彷彿とさせませんか。
この上、「徳政令の乱発」などということになったら、冗談ではすまない気がしますが。
この中世日本における経済環境の激変は、鎌倉幕府という政治的統治機構の滅亡を招いただけでなく、日本民族の性格をも変えてしまいました。鎌倉時代には質実剛健が尊ばれ、「一所懸命」を合い言葉に質素倹約かつ勤勉な生活をおくることが良しとされ、奨励されていました。しかし「太平記」の時代になりますと、高師直や佐々木道誉などに代表されるバサラ大名が現れ、権力者たちは不毛な権力争いに終始し、「天下は破れば破れよ、国はほろびばほろびよ、人はともあれ、我のみは栄えむ」というモラル破綻の時代に突入するのです。
さて現代の日本社会はどうなるのでしょうか。
はっきりしていることは鎌倉幕府が滅亡し鎌倉武士の矜持が破綻した背景には、彼らのソーシャルコンパクトであった「ご恩と奉公」の社会システムが維持不可能になったことが基本にあります。
現代日本でもサラリーマン奉公が終身雇用という形で報われなくなり、ちゃんと納めてきた税金や年金がいかにデタラメに運用されていたかが白日の下になりました。
乱世の幕が切って落とされるのはもうすぐなのでしょうか。それとも、もうすでに乱世は始まっているのでしょうか。その内日本の為政者は「日本国王臣源道義」などと名のってお隣の大国に朝貢し、私のようなあぶれものは倭冦働きでもするしかなくなるのでしょうか。クワバラクワバラ...。
こんなご時勢なのですから、日本の為政者はすでに維持不可能になった「ご恩と奉公」システムがまだ機能しているかのようなふりをするのを辞めて、あらたな「坂の上の雲」を提示すべきだと思うのです。「明治の精神」を創出したのは四民平等、身分制度の撤廃という究極の規制緩和だったことを思い出すべきでしょう。
*1会津藩出身。戊辰会津戦争の折、まだ幼い男子を生きながらえさせるため、おつかいにだされ、その間、祖母・母・姉妹が自害して果てるという経験をする。義和団事件の際の北京篭城連合国部隊の指揮官(1901年)。太平洋戦争の敗戦に際して割腹自殺を試みるも、老齢の為未遂。しかしその傷が癒えず、後日死亡。
*2海音寺/司馬の比較に関しましては、以前書き留めました私の小文、「余は如何にして反司馬遼太郎信徒となりし乎」(コチラ)をご参照ください。
*3
コメント
佐々木道誉~足利義満(日本国王臣源道義)~の時代は幕府だけでなく大名や有力者たちが中国沿岸からいわば世界と「貿易」をしてそれとともに日本列島が商品経済で賑わった時代です。宗教や芸能なども盛んになった。庶民レベルも含めてモラルなどというおめでたいことを言っておれない混乱した時代であったことは確かですが、反面いわば地方分権・規制緩和時代であったと見ることもできます。
興味深いお話ですね。利権構造の変化に照らし合わせて現代と過去を比較、論じていらっしゃるので非常にわかりやすいです。利権はヒトや組織を動かす原動力ですから。利権(の配分方法が変わるとか)が動くとき、まさにその時、歴史が動くのでしょうね。
単純に過去の日本人の精神は崇高なる・・・・云々という、わかったような、わからないような議論は単なる精神主義、神秘主義の域を出ないような気がします。歴史小説にありがちですね。小説は小説として楽しむだけならそれでいいのですが。