歴史入門 (中公文庫) [文庫]
著者:フェルナン・ブローデル
出版:中央公論新社
★★★★☆
本書の原題は『資本主義の活力』。著者の『物質文明・経済・資本主義』の内容を要約した講演だ。原著は、いわゆるアナール派を代表する古典として知られているが、訳本で全5巻4万円の大著を買うのは大変なので、その内容を手軽に知るにはいいだろう(文庫による再刊)。
資本主義というのは、多義的に使われる厄介な用語だ。これをマルクスの言葉だと思っている人もいるが、彼は一度もKapitalismusという言葉を使ったことはない。これを最初に使ったのは、20世紀初頭のゾンバルトやウェーバーである。一般には市場経済と同じ意味に使われるが、著者は両者をまったく違うシステムととらえ、現代社会をこの異質なシステムの複合と考える。
市場経済というのは明確な概念である。それは経済学の教科書に書かれている等価交換システムで、最終的な均衡状態では誰も損も得もしない。資本主義も古代からあるが、これは遠隔地貿易を行なう商人が国家の特許状を得て大きな利潤を上げる不等価交換システムで、市場経済とはおよそ反対のものだった。両者が結びついたのは、近代以降の西欧に固有の現象である。
マルクスは、市民社会(市場経済)が必然的に資本家による搾取を生み出すと考えたが、両者の関係はそれほど自明ではない。古来からあるローカルな市場における交換は、現代社会のような大規模な工場による生産を生み出さなかった。それに必要な資本蓄積ができなかったからだ。工場が初めて生まれたのは、18世紀のイギリスである。産業革命の本質は技術的な発明ではなく、植民地から搾取した資本を株式会社によって蓄積する制度的なイノベーションだった。
このように資本主義は、その生い立ちからグローバルなシステムだった。等価交換の均衡状態になったとき資本主義は終わるので、それはつねに変化しながら国境を超えて広がり、中心部が周辺部を搾取し続けなければならない。資本主義は不平等で有害なシステムだが、今のところわれわれはこれよりましなシステムを見出していない。その弊害を国家の介入によって是正しようとするケインズ以来の「修正資本主義」も、市場経済に社会主義を接ぎ木して市場の機能をゆがめてしまった。
著者は資本主義が市場経済と共存できる唯一の経済システムだという経済学者の主張は誤っていると指摘し、別の経済システムが市場経済の上に成立する可能性はあるという。しかしマルクスがそのような搾取なき市民社会として構想したコミュニズムは、現実には逆ユートピアになってしまった。著者も、資本主義に代わるシステムを提案しているわけではない。残念ながら向こう100年ぐらいは、人類はこの出来の悪い経済システムとつきあってゆくしかないのだろう。
コメント
生物の生態系が、「食う、産む、食われる」の関係で成り立っているなら、その中で生まれた人間社会がそういう生態系として進化するのも自然なことかもしれません。ただし、個人よりも組織が中心で、多くの個人は組織の部品として機能する能力で共生しているわけです。
民主主義が「食う、産む、食われる」を否定しても、それが個人をより活かすものであるとは限らないし、そういった社会そのものが、「食う、産む、食われる」の世界で試され、結局は、より多様に、より良いものをより効率的に産み出せるシステムが強いということになりそうです。
生物世界の多様性というのは、日々新しいものが生まれてきて、その可能性が試されていった結果だと言えます。既存の生態系を破壊し、新しい生態系が形成されるということも、可能性の一つです。そういった自然や社会が、個人や個体の幸福のためにあるとは必ずしも言えそうにありません。ただ、幸福を求めるという動機で動く存在としての可能性が追究されていくだけです。たぶん、不幸の可能性も追究されるのだろうと思います。