今朝のテレビのニュースで、講談社が京極夏彦氏の新刊をiPad向けに電子出版し、配信開始から2週間は紙の書籍の定価1700円の半額以下の700円で発売されると報じられていた。
「電子出版では紙や印刷のコスト、流通経費が不要になるので、その分安くできる」とのコメント付きである。
世間を見渡しても、
「電子出版は紙が無い分、安くなるはずだ。」
「紙代や流通コストがかからないんだから、その分安くしろ。」
という考えの人は多いようだ。
さらに、経済学をちょっと知ってる人は
「供給される価格は長期的にはコストと同じになるはず。電子出版だと”コスト”はゼロだから、長期的には販売価格も限りなくゼロに近づくはずだ。音楽市場を見るとまさにそれがあてはまっているではないか。」
といったことをおっしゃっていたりする。
こうした考え方の人は、もしかすると、「コスト(原価)」とは何か、「市場の競争構造がどうなっているか」ということを、今ひとつよく理解していない可能性がある。
かくいう私も、社会人になってから会計士の予備校に通って勉強したのだが、受験科目の一つである「原価計算」は、最初は何をやっているのかさえチンプンカンプンだった。半年過ぎたころにやっと「ああ、原価計算というのは『原価』を計算することなんだ」ということがわかった次第(笑)。
つまり、「原価(コスト)」のイメージは、わかってしまえばさほど難しくは無いが、イメージをつかむまでに多少のこつや鍛錬が必要なのだ。
個人的には「コスト」というものを会計的・経営的・経済学的に本当に理解できる実力があれば、会計士試験に受かると言っても過言では無いと思う。
ということで、出版物の原価計算についてここですべて説明するのは困難なので、ごく簡単なポイントに絞ってご説明したい。
■「コスト」と「売価」は別のモノ
まず、「コストが安くなる」というのを「売価が安くなる」という意味で使ってる人が見受けられる。確かに、消費者であるその人から見ればコストとも言えるが、売る側の企業から見れば売価なので、まずこの点を混同している人も多そうだ。
そして、書籍を供給する側の企業にとって、コストがいくらかということと、売値をいくらに設定するかということは、全く別のことである。
先日ツイッターで、
「直接費下がるんだから電子出版だと安くなるはず」という論理の人を見ると、女性にからんで嫌がられて「けっ!減るもんじゃねーだろ!」とクダまいてる酔っぱらいおやじを連想する。コストがタダに近いことと著作者が安く供給するかどうかは全く別の話。
と書いたのだが、女性が男性とイチャイチャする金銭的コストがゼロだからと言って、女性が男性の求めに応じなければならないわけではない。この例で「供給」を決めるのが女性であるのと同様、出版物の場合にも、権利を保有しているのは著作者及び出版社であり、コストがいくらであるかということを、売価をいくらに設定するのかということは基本的には関係がない。
■管理ノウハウが大きく変わる
ただし、電子出版で事業の構造が変わることは事実だろう。
特に従来の「紙の」出版社は、その運営にかなりの経営管理スキルが求められるものだった。印刷しすぎると在庫になるし、取次、書店と何段階もの流通経路があって、出荷して売れたつもりでも後で返品されて来ることがある。出荷と入金のタイミングも大きく異なる。
電子出版では、基本的にそうした管理面で頭を悩ます必要はかなり減少するはずだ。基本的にはiPadなどを経由して最終消費者に売れたときが出版社にとっても販売時点であり、在庫を持つ必要も無い。
しかし、「管理のノウハウが簡単になること」と、「コストが下がること」は、直接にはあまり関係ない。
むしろ、今まではそうしたノウハウを知っている人がいないと出版界に参入できなかったのが、ちょっとプログラミングができれば参入できるようになり、競争相手が増えて競争構造が変わることの方が大きい。つまり、「コスト」が変わるというより「売価」の決まり方が変わって来るのだ。
■競争構造・代替性に注目する
企業は、基本的には利益(利潤)が最も大きくなるように供給を行う。
このため、売価を下げた方が儲かるなら売価を下げるだろうけど、下げても販売数量の増加が見込めない場合には、売値は下げないだろう。
ご参考:日経新聞電子版で考える「電子出版物の価値とは何か?」
http://agora-web.jp/archives/967202.html
売価は「市場」やそこでの「競争の構造」で決定される。
書籍というのは、基本的には一点一点のタイトル毎に異なるものだ。つまり、例えば「1Q84」という書籍は、村上春樹氏(新潮社)が独占的に供給しているもので、他の人が供給することはできない。
しかし、書籍がタイトル毎に一点一点違うといっても、強い代替性が働くものと、全く代替物が無いものとでは、競争の構造が異なっている。
つまり、「その本が絶対無いと困る」という本、例えば、読んでおかないとその業界でバカにされるような基本的な専門書だとか、熱烈なファンがいるアイドルの写真集といったものは、それが必要な人にとっては欠くべからざるものだ。
価格を下げることによって、その周辺層まで購入を促すことが見込めるようであれば、価格を下げることも考えられるだろうが、一部の専門家やオタクを除いては需要が全く見込めないような商品の場合には、出版社側の都合だけを考えて利益が最大になる価格を付ければいい。
一方、代替性が非常に高い書籍もある。
例えば、「京都旅行ガイド」のような本は、著作物としてはタイトル毎にそれぞれ世界で一つだけのものだろうけど、他の京都の旅行ガイドと激しく競合する。
特に最近は、ネットの無料の情報との競合も激しい。
先日聞いて興味深かったのは、「最近、法律書の売上が激減している」という話。特に、「アパートを借りる際の法律知識」といった日常的な法律については、ウェブを検索すればいくらでも出て来るので、すでに出版するのが難しいレベルに達しているそうだ。
一方で、同じ法律書でも江頭憲治郎教授の「株式会社法 第3版」といった本は、教授の会社法に関する見解をコンテンツとして手に入れる方法が他にないので、会社法に携わる仕事をしているかなりの人や会社が、この本を購入しているはずだ。
■音楽と書籍の違い
「電子出版は音楽に学べ」という意見も多い。CDがMP3でファイルになったり、アップルのiTunesで売られるようになった歴史的経緯は、書籍でも繰り返されるに違いない、という見解だ。
しかし、音楽と書籍の「価格」の違いに注目するのも面白いかも知れない。
つまり、不思議なことに、音楽のCDの値段は、売れているアーティストでもそうでない歌手も、ほとんど同じ値段で変わらないのだ。
これに対して書籍の場合には、500円の本もあれば、何万円もする高額本も販売されている。
前述の「代替性」に着目して考えてみよう。
音楽の場合には、たとえば「仕事上どうしてもこの曲を聴かないといけない」という人は少ない。
「そのバンドのコアなファン」といった人もいるだろうが、多くの人は「娯楽」として音楽を聴いているだろう。しかし、「娯楽(pastime)」の方法は文字通り他にも山ほどある。
つまり、音楽の場合には、「携帯電話で彼女とメールのやりとりをする」「ミクシィで日記を書く」「ウェブやテレビを見る」といった、数々の他の「娯楽」との競争をしなければならない。
このため、音楽が「電子」化されてコスト(限界コスト)が下がった場合、売価をコストに近づける強い力が働くことになるだろう。
■電子書籍の「規格」はどうなるか
一方、書籍の競争構造は、前述のように「必読の専門書」のようなものから「趣味」のものまで、非常に幅広い。
デジタル情報の複製コストは限りなくゼロに近いので、供給者として、この複製をなんとか制限したいと考えるのは当然のことだ。
こうしたデジタルコンテンツの複製をコントロールする方法は、DRM( Digital Rights Management)と呼ばれる。
一般にDRMというと、音楽などのコンテンツのファイルに暗号・認証技術などを用いて複製を制限する技術のことを指すことが多い。しかし、Digital Rights Management、すなわち「デジタルの権利をマネージする方法」という意味からすれば、たとえばサーバー側にコンテンツを置いて、それをネットで見せることで複製を行いづらくさせる方法というのも、「広義のDRM」と言ってもいいかも知れない。
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音楽の場合、90年代中盤にインターネットが登場した時にも、気が早い人は、
「音楽の複製コストは限りなくゼロに近づくので、これからは音楽データはプロモーションとして無料に近い金額で配り、アーティストはライブなどのパフォーマンスで収入を得るようになる」
という趣旨のことを言っていた。
こうした「インターネットは無料」という考えに頭が染まっている人にとっては、DRMは非常に評判が悪い。
前述の、
「減るもんじゃねーだろ」
という理屈である。
もちろん、書籍においても、書籍は販促ツールの一つでしかなく、メインの収入源はセミナーやコンサルティングだ、といった著者は今までも多かっただろう。そうした著者は、昔なら書籍にしたであろう情報を、今ではホームページやブログなどで無料で供給しているかも知れない。
そういった供給が行われる領域においては、有料の「書籍」は供給することができないのだ。
しかし、書籍の著作者には音楽よりも多様な思惑がある。(つまり、書籍の印税がメイン[つまり「ライブ」をやらない]という人も多い。)
このため、すべてその「フリーミアム」的なモデルで資金回収を図ってくれ、というわけにもいかない。
つまり、音楽の場合でも業界側としてはそうであったと思うが、書籍の場合には音楽以上に、DRMが必要ということになるはずである。
現状では(特に日本では)、こうした書籍のコンテンツデータをどういう形式で保存したり、その複製をどうコントロールするかという規格は、まだ定まっていないし、今後も当面、定まらないだろう。
読者は、紙の本であれば本棚に並べるだけでよかった。
ところが、電子出版においてこうした多数の規格が乱立すると、読者としては、書籍のコンテンツを一元的に管理することが難しくなるし、家のパソコンで読んでいた本を、iPhoneや会社のパソコンでは見づらいといったことが、あちらこちらで発生することになるに違いない。
私は、現在出版されているようなすべての本の中から好きな本を選んでiPadなどで読める時代は当面来ないだろうと見切りをつけて、スキャンされた本のpdfをiPadやパソコンで読むことにした。
これなら、DRMもかかっていないし、自宅では読めるがオフィスでは読めないといったこともない。
(紙の本を愛する人の目には「人でなし」の行動と映るかも知れないが、PLUSの裁断機でサクっと背表紙を裁断して、このスキャナにかければ、レンタルCDを借りて来て iTunesにデータを落とすのと同じくらいの手間しかかからずに、書籍をpdfファイル化することができる。
この方法は、ネットを検索するとYouTubeなどでのビデオでの解説を含めて山ほど出て来る。)
私は、規格やプラットフォームの競争のドタバタが落ち着いて、使い勝手のいい規格が定まるまで、当面、この「使い勝手のいい電子書籍」でiPadを楽しむことにした。


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この例えはフェアでは無い(誤解を招く)と思います。
おそらく、”「直接費下がるんだから電子出版だと安くなるはず」という論理の人”の殆どは、”女性”を”供給者(職業としての著作者)”と考えたりはしていないであろうし、これをコストの問題とも考えてはいないでしょう。磯崎さんはどうか知りませんが。
そもそも、”コストがタダに近いことと著作者が安く供給するかどうか”を一緒にしている人なんて殆どいないでしょう。
DRMが難しいので価格を下げて相対的に違法コピーのコストを上げるしかない、が、複製・流通コストを下れば著者の収入はそれほど下げずに済むのではないか、という話だと思います。
ちなみに、本の価格は”単行本>文庫本”なのでほぼ、製造原価に比例と考えて良いのではないでしょうか。古本などは需給で決まっていそうですが。