「日の丸」[君が代」は、そんなに悪者だろうか?-ある都立高校長の「反乱」(2) - 北村隆司

2010年06月24日 16:30

私と土肥さんとで「挙手・採決と学校の言論の自由」について押し問答が続いた後で、話は「日の丸」と「君が代」の問題にうつりました。

土肥さんの「個人的には日の丸・君が代を否定している訳ではないが,好き嫌いは個人の自由で、全員が好きでもない『日の丸』や『君が代』の掲揚や斉唱を強制すべきではない。現に東京地裁が「強制は良心の自由を保障した憲法に違反する」と言う判決を下した例もある。」と日教組の主張に結局戻る御話を伺い、この様な身勝手な考えを持つ先生に教育される子供達の将来が心配になってきました。


「日の丸」「君が代」が気に食わないなら反対ばかりせずに、少なくとも「どのようなものが望ましいか」を具体的に示し、国民に信を問う事から始めるべきではないでしょうか?

国民が国旗や国歌への忠誠を誓うのは世界の常識で、多くの国では国旗や国家への侮辱、破壊行為を法律で禁止しているほどです。それに対してわが国では、外国の国旗に対する侮辱行為は禁止していても、日の丸の尊厳に関しては何も規定が無い事の方が問題です。

教育公務員が例外であればいざ知らず、日本で公務員になる為には「全体の奉仕者として日本国憲法を遵守し、法令及び上司の職務上の命令に従い職務の遂行に当たることをかたく誓います。」と言う趣旨の宣誓書への署名が義務付けられている筈です。自由意志で署名した宣誓書を無視して、気に食わない職務命令には従わないと言う教師に、厳罰を課すのは当然でしょう。

それにも拘らず「公務員を棒に振ってまで宣誓を拒否するなど、とてもできる空気ではなかった」等の言い訳をするとしたら「思想や良心の自由」と言う重大な問題を持ち出して職務を放棄して抵抗する資格はありません。

民主主義は、一般社会の約束事に則って必要とされる手順を踏む(デュープロセス)を前提に成り立っている社会です。日教組は「個人主義」と我侭放題の「勝手主義」を混同しているのではないでしょうか?

公務員とは言え、一市民としての基本的人権は保障されるべきで、公務から離れて個人として「日の丸」「君が代」反対運動に参加されるのであれば私も反対は致しません。

土肥さんのグループは、都教委が「日の丸・君が代に反対すること」を禁止したと解釈していますが、通達内容を見る限り「反対する事」を禁止したのではなく、法律や職務上の命令に反する行為を禁止したに過ぎません。職務を放棄して、個人の考えを教室に持ち込む行動は「個人主義と勝手主義」「自由と我侭」を混同した思想の混乱です。

基本的人権保護を謳った修正10条を、憲法の冒頭に掲げるほど基本的人権に厳しい米国であっても、正式行事が始まる前には殆どの場合、国旗規則に従った姿勢で「私はアメリカ合衆国国旗と、それが象徴する、万民のための自由と正義を備えた、神の下の分割すべからざる一国家である共和国に、忠誠を誓います」と言う忠誠の誓い(Pledge of Allegiance)を暗誦するのが伝統になっています。これは、日本とは事情の異なる移民国である事を考慮しても、忘れてはならない事実だと思います。

テロ社会を迎えた今日、海外で誘拐された場合の被害者本人は勿論、その家族にとっても頼りになるのは母国であり、その象徴である日の丸をつけた車両が近ずくのを見て「救われた!」と喜びの声を挙げた誘拐被害者は沢山居た筈です。「君が代」の「君」を「我が国」と解釈すれば「君が代」ほど日本の救援隊に救われた時の被害者の母国をいとおしむ気持ちを上手く表す国歌を見つける事は至難の業です。

何事にも象徴が必要です。日教組は「日の丸・君が代は、かって日本の支配者・権力者が侵略戦争を鼓舞する為に使った象徴で、再び戦争を起さないためにもこの象徴の使用を禁止する行動をしなければならない」と独りよがりな根拠で「日の丸」「君が代」に反対しますが、これは「日の丸」「君が代」は日本が軍国主義に走る以前か存在した歴史的事実を無視するだけでなく、自分の意志も持たず軍国主義者に利用された被害者の「日の丸」「君が代」を非難する余りにも的外れな主張です。

土肥さんの議論を聞いているうちに、冷静に論議されるべき「日の丸」「君が代」問題が、左右のドグマに分かれて感情的な怒号の対象となっている現状を大変残念に思いました。ドグマ以前に、この問題を子供の福祉も考えた常識的な観点から対話が出来る日は何時来るのでしょう?

                ニューヨークにて    北村隆司

アゴラの最新ニュース情報を、いいねしてチェックしよう!

アクセスランキング

  • 24時間
  • 週間
  • 月間

過去の記事

ページの先頭に戻る↑