民主党はシュウカツを事業仕分けするべきだ

2011年01月22日 17:44

シュウカツは百害あって一利なし。直ちに禁止するべきだ。時代錯誤の経団連は、就職活動の開始日を二ヶ月遅らせて3年生の12月1日とすることとした。根本的に間違っている。実は、現政権も同様に間違っており、就職浪人した留年生や既卒生を2年間は新卒扱いとするようにとした。

大きな間違いだ。現在の二十歳前後の若年者の労働市場が混乱しているのは、彼らが守ろうとしているプロセスであるシュウカツそのものにある。したがって、現在のシュウカツの枠組みを維持したまま学生のサポートをすることは害悪なのだ。

このままでは、日本経済はシュウカツによって沈没する。


労働市場において重要な要素は3つ。最適なマッチングをすること、勤労意欲を引き出すこと、有効な人的資本を蓄積させることだ。

シュウカツにおいては最適なマッチングはもちろんはかれない。まず、学歴と面接ではビジネスマンとしての潜在力はほとんど測れない。各社様々な工夫をしているし、私の昔の経験や入試の面接においても、ある程度はわかるということはわかる。しかし、やってみないとわからないというのは永遠の真実だ。百聞は一見にしかずの比ではない。
学生の側としても、一生働くことになるかもしれない会社を中身を見ないで決めることなど、本当なら恐ろしくてできない。社風やその会社というコミュニティの文化は、一緒に働いてみないとわからない。取引先にも社内の事情の本当のところは良くわからない。しかし、中で働けば一発でわかる。

現在の壮大なるシュウカツプロセスを経ても、お互いのことはほとんどわからない。インターンシップで最低でも4週間ぐらい働いてみないとお互いのことはわからないだろう。

企業が本気のインターンシップをやらない理由は3つ。ひとつは面倒だからだ。4週間も入るかどうかわからない人間を現場が受け入れたがらないということである。仮に人事部がインターンシップの必要性を認識しても、インターンを受け入れる現場がインターンの学生を大切に扱わないとインターンはむしろ逆効果になる。インターンの面倒を見るのは面倒だから、まず受け入れたがらない。人事部に押されて受け入れたとしても、仕事の邪魔だから、なるべく邪魔にならないような同でもいい仕事を与えておく。あるいは逆に、バイトと同じように使い倒す。

新人を育てる以上にインターンは大変で、入ってもらいたいお客様でもあり、将来の有望な新人であると同時に、社会人の常識もない使えないやつであり、会社に入ってくるかどうかわからない他人でもある。したがって、時間もエネルギーもかかって仕事には明らかにはマイナスだろう。

人を雇い、育てるというのはそういうものなのだ。私が昔インターンをしたIMFでは、インターンは一人前以上に扱われる。重要な会議にはすべて参加させられ、トップはむしろ温かくいつでも話をしてくれるし、時間も使ってくれる。お互いがお互いを見定めている段階であるにもかかわらず、それでも全力で向き合ってくれる。すばらしい体験だった。IMFが外からの印象とは逆に温かい組織であり、さらに温かい人々だということがそのとき初めてわかった。P&Gで学部生のころインターンをしたときも、それは日本でのことだったが、本当にすばらしい体験だった。IMFは3ヶ月で、多くのインターンが就職を希望し、P&Gは未知数ということであったが、いずれにせよ、そのときビジネスのプロと向き合った時間は私には貴重であったし、就職してもしなくても、好意を持ったし感謝している。こうなってくると、日本の組織は人を大切にするというが、本当なのかという疑問も生じる。

さて、企業がインターンを嫌うもうひとつの理由は、学生に現場を見せると来なくなってしまうのではないか、という懸念である。芸能界も同じかもしれないが、私も大蔵省に入って驚いたことは多い。入って1年間は、同期とたまに会うと、いつ辞める?というのが挨拶になっていた。誇れる職場ではない、のである。芸の世界は厳しいし、プロの世界は厳しい。華やかな概観や印象や報道のイメージがあるところは、実際はまったくその逆であることはよくあることだが、まさにその典型だった。

しかし、これは現代においては、無駄な抵抗だ。今は正社員、終身雇用を切望しているが、それが困難であるからこそ、その地位を得ることのできた若年労働者はそれなりに優秀で、ほかのオプションがあるから、あまりにひどい職場はすぐに見切りをつける。また、逆に、インターンという重要なお客さんを迎え入れることにより、職場が開かれた常識的なものになり、活力も生まれる可能性がある。したがって、両サイドにおいて、企業には、この点では、改善をする、すなわちインターンを受け入れるインセンティブがある。

インターンを必要としない企業側の最大の理由は、企業はマッチングは必要ないと思っていることにある。企業が求めているのは、基礎力があるという前提の下で、素直でフレッシュであるということがほとんどすべてなのだ。そうでなければ新卒にこだわる理由はない。

これがシュウカツが無駄であり、悲劇をもたらし、日本経済を沈ませる結果となる真の原因なのだ。

透明であると言うことは、学生は、卒業するまではできるだけ透明であることを求められる。色が付かないように、体育会をやり、同棲をせず自宅から通い、ゼロであることが求められる。最も貴重な学生時代が知的な人的資本の蓄積の期間にならない。だから社会も大学教育には何も求めない。もちろん高校教育も中学教育も、有名大学に行くことと英語を習熟すること以外はどうでもよくなる。それは、有名大学に入るための投資であり、それは大学にはいった瞬間に価値が失われる。しかし、大学入試は、基礎的な頭の良さだけを見る手段であり、企業は基礎力をそこに依存する。悪くはないが、真の知的人的資本ではなく、周りよりも優れていることを示すための投資だから、試験とともに消える。

シュウカツも同じである。周りよりも少しだけ優れていることを見せるゲームに勝つために投資される。それはシュウカツが終われば消える。企業に就職した後も同じである。その企業でうまくやるためにすべてを費やす、つまり投資をする。これも人的資本の蓄積だが、経済学的に言えば、文脈的投資だ。つまり、その文脈でしか価値を持たない投資であって、別の会社や世界に行けば価値があまりないものに投資することになる。しかし、社内選抜を勝ち上がって上に行くためには、根本的な力も役に立つが、やはり社内人的資本のほうが直接的だから効率的だ。したがって、こちらの投資が過大になる。

これだけみなが文脈投資をすれば、それをその文脈で生かすのが一番ということになり、このゲームに勝ったものがっ出世するが、社外に出る、転職するものは、要はひとつのゲームに負けたものだから、基礎力や努力において、やや劣った人材ということになり、中途採用に対してはディスカウントが働く。

こうして、日本経済の底時からとなる基礎的な人的資本の蓄積は過少になる。その象徴がシュウカツなのである。

この結果、社内人的資本蓄積ゲームに負けた社員は、転職してもチャンスは広がらないから、やる気をなくし、勤労意欲は低下して、社内にとどまる。そもそもこのゲームに参加できなかったシュウカツ負け組みは、ゲームに参加できないから、当然勤労意欲も低下する。一旦このゲームから退出して、出産した女性達も当然参加はしない。

こうして、日本は有効な基礎的な人的資本が低下していき、経済成長できなくなるのである。

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