皇帝のいない国:首相退陣論から振り返る「この国のかたち」

2011年06月05日 00:22

 菅直人首相がついに今夏までの退陣表明に追い込まれました。戦後最大と言える未曾有の危機の最中、その収束の目処が立たない時期に、政務の「引き継ぎ」に伴って発生するコストを払ってまで首相を変える必要があるのかという疑問は湧きますが、与野党の双方から噴き上がる「菅降ろし」に抵抗しきれなかったわけです。なぜ日本の首相は(よくも悪くも)リーダーシップがかように弱いのかについて、歴史的に振り返ってみます。


今回の菅氏の敗北の最大の要因は、国会議員の政治的生命に対する生殺与奪を一手に握る「解散権」を封印されたことでしょう。参議院は憲法上解散がないため、従来からいったん野党に過半数を明け渡すと(首相の機嫌を損ねても解散の心配がないので)全面的に抵抗される上に、衆議院も大震災下の現在は事実上、総選挙を行える状況にないため、いくら“自分に逆らうと解散するぞ、全閣僚を罷免してでもするぞ”とプレッシャーをかけても信憑性に乏しかった。反対勢力を牽制する上で最大の武器となる、人事上の任免権(相手が議員の場合は解散時期の決定権)が使えなければ、いくらトップといっても張り子の虎に過ぎません。

 東アジアの歴史上、最強の「人事上の任免権」を掌握したのはもちろん中国の皇帝で、宋朝下では貴族制度が全廃されて行政府が科挙合格者のみに独占されたほか、最終選考は「殿試」として(名目上は)皇帝自らが試験監督および採点を行う形が採られました。これは科挙合格後に、採点者と被採点者とのコネを通じた派閥形成が起きるのを防止するための工夫で、逆にいえば皇帝本人が合格者に対して“お前を合格させたのは俺だぞ”と恩義を売ることで、中間管理職の頭越しに官僚全員を事実上「子飼いの部下」の地位に置いたのです。これが「東洋的専制」とも呼ばれる皇帝独裁の権限の基盤でした。

 これに対し日本の歴史文化の特徴は、かような「皇帝専制」への芽が常に事前に摘まれてきたことにあります。宋朝以降の近世中国を模倣しようとした後醍醐天皇や足利義満の君主集権への試みは、貴族制的な家職制(既得権益)を維持しようとする臣下の造反によって不首尾に終わりました。江戸時代の藩主も実質上、譜代の家老層(派閥)の連合体に担がれているだけの名目的な主君に過ぎず、家格を無視した人材登用や配下の更迭を繰り返すと、最後は家臣団一同による「押込」の憂き目を見てきました(主君押込の対象者は、志村けん式のバカ殿のほかに、「儒教思想=中国的政治モデルを学んで現状打破を図った理想主義者」も多い)。究極の「名目的な主君」はもちろん天皇で、特に戦国時代の混乱を生き延びるためにいわば“平和と国民統合の象徴”として諸勢力のあいだで中立を守り、政治的決断を控える慣行を採ったことが、中国のような「易姓革命」を回避し、皇室の存続を可能にしてきました。

 儒学思想の強い影響(たとえば水戸学は一種の儒教)の下に起こされた明治維新は本来、かような天皇を政治の現場に引きずり出していわば「中国皇帝化」する試みだったのですが、それに歯止めをかけたのが伊藤博文らによる西欧的な立憲制(憲法条規を通じた君権制限)の導入でした。ところが、“総理大臣が天皇陛下よりも権力を持つのは不敬だ”という発想から、伊藤が当初目指した大宰相制は否定され、帝国憲法下の総理大臣は①他の国務大臣の罷免権がなく、②「統帥権の独立」のため戦時の用兵には口を挟めないという、驚くべき弱小な権限しか与えられなかった。つまり、たった一人でも大臣に反旗を翻されたら「閣内不一致」で総辞職という“江戸時代の「主君押込」以下”の弱体な権力基盤の下で、かの東條英機ですら首相・陸相(官のトップ)と参謀総長(軍のトップ)を兼務すると「統帥権の独立違反」との批判が湧きおこり、最後は岸信介国務相の離反によって総辞職しました。

 換言すると、西欧型の「法の支配」=明文化されたルールによって権力を縛る伝統が弱く、かつ中国式に道徳的理念によって王権を基礎づける文化も持たなかった日本では、多元的な政治グループのあいだでの勢力均衡(専門用語でいう「統治機構の“分立制”」)によって、全権委任的な強力な指導者を生み出さないことによって、個々人が自らの権利を守ってきたのだということができます。しかしそれは裏面で、トップが全責任を負って大胆な決定を下すことを不可能にし、結果的に丸山眞男がいうところの「無責任の体系」に帰結してきました。

 かつては民主主義を「期限を区切った独裁」に喩え(これは必ずしも誤った比喩とはいえない)、震災後は被災地への「巡幸」や、徳治主義的(=超法規的)な浜岡原発停止の決断を下すなど、ある意味で東アジア文化圏的な“強いリーダー”を標榜してきたと思しき菅直人首相が――ある程度はそれを実現したライバルの小泉純一郎氏と異なり――日本的な政治文化の前に敗れ去り、人々に呆れ果てられながら退場する姿には、ある種の空しさを禁じ得ません。しかしながら一方で、立憲主義の伝統が弱い地域でいたずらにトップへの権限集中を求めることは、文字通りの「東洋的専制」に帰結する可能性もあります。大連立から首相公選制まで様々な政治改革案が飛び交う今こそ、歴史を振り返り、長期的な視座に支えられた新制度を構想する、心の余裕を持ちたいものです。

與那覇潤(愛知県立大学准教授/日本近現代史)

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