「円高危機」を叫ぶだけでは思考停止

大西 宏

ドル安・円高が進み、この状態を放置すると輸出産業が打撃を受け、企業の海外移転が進んで国内産業の空洞化を招き日本経済にとって深刻な事態を招く、だから政府は円高対策を打たなければならないという主張が、マスコミを通じて連日のように流れています。しかし、なにかステレオタイプな発想に感じます。円高をどう利用するかという視点や議論がまったく抜けた思考停止のように感じます。


いま多くの議論は、円高が企業の海外移転を促し、産業の空洞化を招き、雇用が失われる、それが日本の経済をさらに悪化させる、だからなんとしても円高に歯止めをかけなければならないという直線的なシナリオにもとづいたものです。

果たしてそれほど単純なのかと思ってしまいます。現実にこれまでもとくに家電などでは海外生産比率が上昇し、結果として、そういった産業の雇用は減少しましたが、小売業やサービス業が雇用を吸収してきました。

しかも海外に企業が投資を行い、海外移転を進めれば、日本が貧しくなるわけではなく、企業の現地法人からの配当金収入が増えます。つまり国内に還流されるのです。

2011年上半期の国際収支速報を見ると、震災の影響で輸出が大きく減少し、貿易収支は5011億円の赤字でした。しかし国際収支は前年同期比で36.3%減少したとはいえ黒字を保っています。日経によれば、それは所得収支が対前年同期で31.7%と増加し、穴埋めができたからです。

モノを輸出して稼ぐという構造から、海外に投資を行いその利益で稼ぐという構造にあきらかに国際収支は変化してきています。

また先週のアゴラで、いかに円高を是正しても、また十分な電力供給を確保したとしても企業の海外の開発や製造部門の海外移転は進むと書きました。
電力供給が回復しても、円高対策をしても企業の海外移転は進む : アゴラ – ライブドアブログ :
その理由は、海外生産比率上昇については、人件費や円高によるコストの問題だけが取り上げられることが多いのですが、もう一つの重要な点は、市場での競争力を維持し高めるためには、市場に密着し、現地ニーズにあったきめ細かでスピーディな開発やマーケティングを展開することが求められてきます。その点で現地化は避けて通れない道です。グローバル化が進むと必然的にローカル化が必要になってくるいわゆるグローカリゼーションです。

なぜサムスンは、日本をキャッチアップし、しかも海外市場で日本ブランドを追い抜いたかを考えても、現地化による地域ニーズに合わせた開発やマーケティングを行ってきた影響が大きいのです。

韓国は日本のようなウォン高に悩んでいるわけでもなく、人件費も日本と比較すると安いのですが、たとえばサムスンで伸長著しい携帯事業で見れば、どんどん海外生産比率を高め、2005年には25%でしかなかった海外生産比率が、今や80%を超え、自国の工場で生産しているのはごく一部に過ぎません。システムLSIも今年の5月からテキサス工場での生産を開始させています。
【韓国】サムスンが低価格スマホ増強、越で増設へ (NNA) – Yahoo!ニュース :
日本も海外への進出は増加傾向にありますが、JICAの試算では、2005年の海外生産比率は10年前の8.3%から16.7%まで高まったようですが、ドイツやアメリカと比べてもまだかなり低い水準です。
04-2.製造業における海外生産比率の推移/日本・途上国 相互依存度調査 DATA BOOK 2010 :

すでに海外進出を行った企業の海外生産生産比率は2000年度で34.1%まで達していますが、産業によって、また企業規模によっての差が激しいのでしょう。

確かに海外移転が進めば、製造業での雇用は減少するでしょう。野口悠紀雄教授の試算ではドイツ並みの海外生産比率となると、300万人程度の雇用が失われるかもしれないとされています。しかし、だから海外移転に歯止めをかけるのか、だから他の産業によって雇用を吸収しようとするのかでは戦略がまったく違ってきます。
(第9回)製造業の海外移転で300万人の雇用減(1) | 日本の選択 | 投資・経済・ビジネスの東洋経済オンライン :
マーケティングでは、企業努力では動かせない、企業では変えようのないことを外部環境とし、その与えられた環境の中で、自らの努力で動かせることのベストを追求します。その企業を政府と置き換えてみると、同じことがいえそうです。

円高に歯止めをかけようと、為替介入が行われましたが、なぜそれに対する非難が起こらないのかが不思議です。それはほんの一瞬の効果しかなく持続しないことはあきらかで、無駄なことに国民の税金をつかった、つまりドブに捨てたことに他なりません。

さらなる金融緩和を行って、円安誘導ができるという確証もありません。むしろそれによって、行き先のないマネーが不健全な資産インフレが起こすリスクすら感じます。

つまり打つ手がないのです。

打つ手がないとすれば、円高はそれはそれで現実として受け止め、そのなかでなにをすればいいかを考えるほうが自然です。

効果のない円高対策のための為替介入を行い、ドルを貯めこむから、何と35兆円とも45兆円ともいわれる為替評価損をだしてしまうのです。
シリーズ/復興財源、100兆円の外貨準備を活用せよ・・・③いかさまファンドが35兆円の為替評価損! – 今週の直言 :

植草一秀の『知られざる真実』: 外国為替資金特別会計 :

それだけの資金があれば、むしろ資金的な問題で海外進出が困難な中小企業の海外移転を援助したほうがまだモノづくりを守ることになると考えるほうが自然でしょう。モノづくりを守りたければ、どんどん海外にも出ていくべきです。

二週連続でこの問題に触れましたが、そろそろ円高による危機を叫ぶことから、円高を利用すればなにができるかに議論を進めるべきだと思います。強い円を生かせです。