戦略の欠如は「将来の禍」の種となる

2011年12月12日 10:00

多くの重要法案を先送りにして、国会は閉幕した。これで来年1月まで国会はお休みだ。防衛相と消費者担当相の問責決議が国会の最後の決議となったわけだが、両相は当面続投するので、1月の国会はまたこの問題から始まる。もはや選挙も間近く、またまた党利党略に明け暮れるのではないかと思われる来年の国会の姿が目に浮かぶ。


財政も、社会保障の体制も、現状は危機的なのに、民主党内は、何につけても党内での反対論が根強く、まとまらない。自公は、現政権の足を引っ張って立ち往生させることが優先目的だから、積極的には協力しないだろう。民主党内の反対論者も、自公も、頭の中を占めているのは、来年の選挙とその為の人気取り政策の事ばかりで、「国民の将来」等を考えている暇はないという事なのだろう。

国民が長年にわたる「官僚支配」に不満を蓄積させている事を見て取った民主党は、「脱官僚」「政治主導」を掲げて先の衆院選挙に臨み、政権取得後はあからさまに「官僚無視」の姿勢を打ち出した。しかし、有力なシンクタンクが存在し、多くの実務能力のある人達が在野で出番を待っているアメリカ等と違って、実務経験豊富な人材が官僚以外には見つけ出しにくい日本では、これは完全に裏目に出た。政策の起案や実行の多くの場面で、稚拙さが露呈し、人気取りの「思い付き」の連続が、結局は政治の停滞をもたらした。

増税路線をひた走る野田政権は「財務省の走狗」と陰口をたたかれているが、官僚の中の官僚である財務省の方が、選挙の事しか頭にない政治家よりは、まだ「国の将来」の事を考えているかのように思え、「財務省の走狗」となった野田首相の方が、パーフォーマンスで頭が一杯だった菅元首相や、来年の選挙の事で頭が一杯の党内の反対派、「自分達が政権を奪回すれば何がやりたいのか」が一向にはっきりしない谷垣自民党よりは、まだ信頼に足るように思えるのは皮肉の極みだ

「増税の前にやるべき事がまだあるだろう」と言われるのに先手を打とうとしたものと思われる最近の「仕分け」も、内容を見ると無理に搾り出したようなものが殆どで、勉強不足が目立った。これでは、「政治主導」とは「勉強不足」と同義語かと言われるようになってしまうかもしれない。

大震災から既に9ヶ月が過ぎた。諸外国では「めげない日本」に対する評価が高いが、政治には殆ど進展が見られない。国民も、国の経済を担う産業界も、目標を失ったままだ。

民主党政権の目玉となる筈だった「国家戦略局」は幻に終わり、「国家戦略相」の位置付けや権限は曖昧模糊としたままだ。(そもそも、国家戦略相というものは、縦割りの各省庁に横串を入れ、国益の観点から省益を押さえ込むのが本来の使命である筈なのだが、自らのスタッフとなるべき「国家戦略局」なくして、どうしてこんな事が出来るというのだろうか?)

大震災直後は、先ずは被災者救済と復興を全てに優先しなければならなかったが、最早その時期は過ぎた。そろそろ「党内融和」や「挙国一致」は卒業して、国家戦略の観点から諸問題に白黒をつける時期だ。

全般的に言って、日本人は、一旦目標が定まると着実にそれを実現する能力は持っているが、「白紙に大きな絵を描く」事が不得意だ。つまり戦略を定める事が不得意だという事だ。

明治維新の時は、当時の日本と欧米の列強の力の差があまりに大きかった為に、「欧米列強に学んで、やがては追いつく」という大目標に疑いを持つ余地がなかった。太平洋戦争(大東亜戦争)に敗れた後は、物質的にも精神的にも持っていたものの全てがゼロに帰したのだから、とにかく飢えをしのぎ、経済的な復興に邁進する以外に道はなかった。この二つの時期には、日本人は、短時日のうちに世界が目を見張る程の成果を上げたわけだが、これは、目標がはっきりしていて「戦略」も糞もなかったからではないだろうか。

一方、せっかく日露戦争に勝ち抜き、国家の一大危機を辛うじて切り抜けたのに、その後の国の舵取りを大きく誤り、結果として300万人を超える国民を死に追いやったのは、明らかに日本が「国家としての戦略」を過ったからだ。

12月8日が日米開戦の日だから、最近はテレビなどでもその時の事を回顧する番組が多い。「何故『負けると分かっていた戦争』に本当に突入してしまったのか」を問い、「最後まで開戦の回避に腐心した人達」のエピソードを語る番組も多いが、私は、あの時点では既に流れは固まってしまっており、開戦の回避は不可能だったと思っている。いや、それ以前に、「日独伊三国同盟」も回避する事は不可能だったと思っている。

「日本の悲惨な運命は、実は日中間の紛争が拡大した時期に決まってしまった」というのが私の考えだ。一旦流れが出来てしまうと、途中でその流れを変えるのは至難の業となり、事態はスパイラル状に悪化してしまうのが世の常だ。日中戦争の拡大を断固として抑えていれば、英米との対立は避けられ、「三国同盟」も必要とはならなかっただろう。

何が言いたいかと言えば、「悪い流れは小さい芽のうちに摘み取らねばならない」という事だ。逆に言えば、「大きな戦略を実現するためには、早い時期での小局をおろそかにしてはならない」という事だ。「まあ、この程度はいいか」という妥協が、後々に悔いを残す事になる。当面は、野田首相がこの罠に陥らないことを祈る。

「国家戦略」の対象となる「国家目標」というものは、何時の場合も同じで、「全ての国民が平和で豊かな生活を出来るようにする」という事だ。かつて、世界中が植民地獲得競争をしていた時には、「富国強兵」が当然の国家目標だったが、「強兵」の方は、現在は「最小限の防衛能力(シーレインや海洋資源の防衛を含む)」だけでよい。「富国」とは、昔も今も、「産業の国際競争力を維持し、国内の経済を健全に運営する」という事に尽きる。

「国民が豊かに生活出来る」という大目標を達成する為には、働ける人達の為の「雇用」と、働けなくなった人達の為の「福祉」が必須だが、産業に国際競争力があり、経済が健全に運営されていれば、これは可能になる。(逆に、それがなければ不可能になる。)

そして、この為に国が出来る事は何かと言えば、突き詰めれば、「税制」「金融・通貨政策」「産業政策」「公共投資」の四点を正しく行う事に尽きる。この四つは相互に関連するから、最適の組み合わせを考えるのがポイントだ。勿論、そのベースとして、「財政」と「国際収支」には、最初から均衡を求めるのが当然だ。

「税制」は財政の根幹であり、国民に選ばれた首相の「どんな国を作りたいか」という「哲学」に直接関わる重大問題だが、甲論乙駁があるのは当然だから、首相が不退転の決意を持つ事が必須だ。

これに対し、「金融・通貨政策」は、実務者や経済学者達に徹底的に議論させて、「最適解」を採択すればよい。

「産業政策」は、国民の安全と健康を害わない限りは、「国全体の国際競争力を最大化する」方策としてとらえるべきだ。雇用の増大はその成果として期待すべきであり、その逆はあり得ない。

「公共投資」は投資効果(ROI)を、「公務員の仕事」は効率性(費用対効果)を、それぞれ厳しくチェックすべきであり、これは今更繰り返すまでもない基本中の基本だ。

各省庁がそれぞれの立場から「国家戦略」の名の下に様々な主張をするのは当然だが、そこからは「国としての最適解」が出てくるわけはない。だからこそ、首相とその直属のブレインとしての国家戦略相が、最終的な「最適解」を見つけ出さねばならない。(念の為付言するが、財務省の主計局の仕事は、首相の判断に必要な数字を出すことであり、自ら「最適解」を考える事ではない。)

そして、何よりも重要なのは、一旦この「国家戦略」を確立したら、どんな些細な事でも、これと矛盾するような事は一切許してはならないという事だ。(関東軍の独走をなし崩しに許してしまった昭和初期の過ちを繰り返してはならない。)これを徹底すれば、種々の圧力団体の影響力を排除し、造反議員の脅かしにも屈しない姿勢を堅持できる筈だ。

私は、野田首相のやり方は、今年中はあれでよかったと思っている。(あれしかなかったと思うからだ。)しかし、来年は腹を固めて勝負に出て欲しい。その為に民主党がバラバラになり、大規模な政界再編が起こってもよしと考えるべきだ。

過った「戦略」が国を滅亡寸前にまで追い詰めた事を、我々は自らの悲惨な歴史から学んだ。今は「戦略を持たない事は、過った戦略を持つのと同様に危険だ」という事を、秘かに心に刻むべき時だ。

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