歴史観(歴史教育)の重要性

松本 徹三

先々週の記事で、私は石原東京都知事の文春に寄せられたコメントに噛み付いたが、一部私の真意を誤解されている方もおられるようなので、もう一度「歴史観」の問題を議論してみたい。何れにせよ、現在の政治経済を考えるに当たっても、正しい歴史認識がなければ間違える事が多い。若い人達が、「歴史」、特に「日本の近代史」を十分学ぶ機会もないままに国政を決める選挙権を持つに至っている現状は憂慮すべきである。


日本の近代史の評価の最大の分かれ道は「極東軍事裁判(東京裁判)」についての評価だが、先ず、それについての私自身の考えを明確にしておく事から議論を始めたい。私自身は「東京裁判は戦勝国の恥ずべき蛮行」と喝破したインドのパール判事の見解に全面的に同意しており、この事を堂々と語る事は、日本が過去に犯した「不当な行為」を認めて近隣諸国に「謝罪」する事とは、何ら矛盾しないと思っている。

次に、国論を二分している「現行憲法」に対する考え方だが、私は「憲法は出来るだけ早く改正すべき」という考えだ。その主な理由は「占領軍が書いた草案をほぼそのまま採用した現在の憲法は、内容の良し悪しの議論は別としても、先ずは日本国民の手で書き換えられて然るべき」「如何なる独立国にとっても当然の権利である『自衛権』が曖昧になっている現在の憲法には、根本的な問題がある」という事であり、これも多くの右派の方々が言っておられる事とあまり変わらない。

にも関わらず、私がこれらの点では一致している石原都知事をこき下ろしたのは、文春に寄せられたコメントを読む限りでは、歴史観に現実的な視点が欠けている事に加えて、有力な政治家の一人である同氏がこういう議論ばかりしていると、左右の乖離が益々大きくなり、何時までたっても国論の統一が(従って憲法の改正が)出来なくなってしまう事を危惧しているからだ。

「国のあるべき姿」については右派の人達に概ね同調している一方で、私は「首相が公人として靖国神社に参拝する事」には反対である。それは「戦犯が合祀されているから」ではなく、「歴史認識について中国・韓国の国民とのコミュニケーションがまだ十分出来ていない現時点では、無用な誤解を避けるべき」という現実的な理由による。

隣国との友好的な関係を確立する事は、日本という国にとって極めて重要な事だから、日本国の首相は、心の中で靖国神社に祭られている英霊に手を合わせても、日本国を代表する立場では、隣国の国民感情を重視する義務があると思う。

実際には、どんな国でも、国内の不満の捌け口として対外的には敢えて強硬姿勢をとる事が多く、中・韓の場合は、日本に対して、それがかなり不公正な形で出ている事は否めない。しかし、それが全てであるわけではなく、日本に対する「強い警戒心」が未だに払拭出来ていないという事実も、きちんと理解しておかなければならない。(韓国の場合は、特に、近代における歴史的事実に関連して屈曲した心情があり、それが人々の心の底に沈殿している事に留意する必要がある。)一般論ではあるが、右派の人達には、相手の立場に立つ姿勢が十分ではなく、こういう事に対する理解に欠ける場合が結構多い。

日本の教科書の記載に一々文句をつけてくる中・韓が、自国の教科書では問答無用で日本を悪者として、重要な隣国である日本に対する国民の憎悪をわざわざ掻き立てている事については、私も「何としても是正して貰わなければならない」と考えている。しかし、この為には、第三国の中立的な考えを持った学者にも入って貰い、時間をかけて歴史問題を十分議論する必要がある。それまでは、日本としては常に淡々とした立場を堅持すべきであり、「売り言葉に買い言葉」は慎むべきだ。

さて、一般的に言って、右派の人達は「国家主義的」だ。言い換えるなら、「私」より「公」を重んじ、「公の為に私を犠牲にして厭わない事」を最高の美徳とした上で、「この『公』とは、即ち自分達の『国』の事だ」と主張する。しかし、私自身は、前者については心情的に同じだが、後者については若干立場を異にする。

私も、現在のように「世界は国が並列する事で成り立っており、国の法律に超越する法体系はない」という状況下では、「国」と、その国に生を受けた人達の「国に対する帰属意識」は、極めて大切だと思っている。そして、自分自身でも、「日本という国を、誇り高く豊かな国にして、自分達の子孫を幸せにしたい。その為に、自分も何か役に立つ仕事をしたい」と強く思っている。

国旗(日の丸)や国歌(君が代)については、日本国民は全員これに対して敬意を表するのが当然であり、これを無視しろと教えるような左派の教職員に対し、憤懣やるかたない気持ちを抱く右派の人達の心情は十分理解できるし、自分だって同じ気持ちだ。多くの日本人は、両親の国籍によって生まれながらにして日本人となり、国の施設を使い、公務員のサービスを受け、警察官や消防士に守られ、日本のパスポートによって海外を旅行する。それが嫌なのなら国籍を離脱すればよい(「君が代」の歌詞が気に入らないというのなら、新しい歌詞の国家を作曲して、国民の過半数の支持が得られるようにすればよい)。

しかし、このように「日本という国」に対する十分な帰属意識を持つ私でも、もし二者択一を迫られるなら、「国」を超えた「人類全体のあり方」の方を「国」よりも重視する。(それ故に、私は、現行憲法の「前文」に書かれている「理想主義的な考え」の一部は、それを起草したのが誰だったにせよ、新憲法でも引き継ぐべきと考えている。)

これは、幕末において「『藩』の為より『国』の為」と考えた志士達の思いと類似する。明治維新で「藩」がなくなった様に、何時の日かこの地球上から「国」というものもなくなり、人類全体が一つとなるのが理想だと私はいつも考えている。勝海舟などは、日本が本格的な内戦に突入するのを回避する為に、自らが帰属する徳川幕府に面子を捨てさせる事も厭わなかったが、これが日本を救った。この教訓は何時の時代にも生かされて然るべきだ。

これに対し、国家主義的な考え方をする人達は、面子に拘り、しばしば短絡的に自国の立場のみを強く押す傾向がある。こういう人達の言葉は勇ましく聞こえるので、大衆の支持は受けやすいが、戦略的には正しくないと私は思う。戦争は誰にとっても最悪の選択だから、これを避ける為には、犠牲に出来るあらゆるものを犠牲にする覚悟が必要だ。国家主義的な考えの人達には、この辛抱が足りない傾向がある。日本の近代史は、こういう事を教えてくれる貴重な教材だ。

こういう考えの中で、私は、最近或る人に薦められて、中條高徳という方の書かれた「おじいちゃん 戦争のこと教えて」(小学館文庫)という本を読んだ。この本はもう10年近くも前に初版が出版された本で、著者は、陸軍士官学校在籍中に終戦を迎えられ、戦後はアサヒビールで大活躍をされて、副社長まで上り詰められた方だ。

この方は、使命感に突き上げられてこの本を書いておられ、論旨も明快だが、考え方はフェアで、表現にも配慮が行き届いている。私はそこに好感を持った。(それ以上に、この方がこの本を書かれるきっかけとなった孫娘の馬場景子さんという人と、その景子さんがニューヨークで通っていたマスターズ・スクールという学校の先生の姿勢が、何とも素晴らしく、読んでいると何故か涙が出そうになる程だった。)

私の考えは、中條さんと7割方一緒であっても、3割程度は異なる。しかし、このような方となら、どこで考え方が異なり、何故異なるかを、冷静に議論出来ると思う。私は、例えば中條さんのこの本を「右派側の教科書(案)」として、異なった立場(所謂「護憲派」を含む)の方々からも冷静でフェアな「左派側の教科書(案)」や「是々非々派の教科書(案)」を出して貰い、これらを並列させた上で、若い人達に大いに議論をして貰うのが、正しい歴史教育のあり方だと思う。(他の教科とは異なり、「歴史」の場合は、一つの固定した考え方をベースに「教科書」を作るのは元々不適切だ。)

若い人達は、これによって、善悪とは関係なく「色々な異なった考え方」がある事を理解し、「最終的には全てを自分の頭で判断するべき」「しかし、その前に、先ずは相手の立場に立って考えてみるべき」等々の事を学ぶだろう。こういう理解と姿勢が定着すれば、悪口雑言が飛び交う現在の見苦しいネット上の議論も少しは減るだろう。

そして、全ての議論は、「事実関係」「論理」「評価(価値観)」の3点に分けて行うべきだ。当否を確かめやすい「事実関係」で既に大きく認識が異なっているのに、それをそのままにして「価値観」の議論に口角泡を飛ばしていては、何時までたっても議論が集約せず、妥協点も見出せない。正しい「事実関係」と「論理」は本来は一つであり、その上に多様な「価値観」が存在するのだという事が、常に明確に意識されていなければならない。

因みに、私は左派ではない(従って「進歩的文化人」なる人達が言っている事には全く興味がない)が、中條さんの仰っている事で「違うな」と思うのは下記の諸点だ。

1)「オレンジプランを作っていたから、アメリカは始めから日本と戦争をするつもりだった」というのは違うと思う。アメリカはあらゆる国を仮想敵国として、ブループランとかブラウンブランとかを何通りも作っていた。当時の近代国家としては、これは考えてみれば当然の事だ。ハルノートに至る経緯にも、中條さんが触れていない色々な曲折があり、日本側の譲歩がその頃から ”too little, too late” だったのが、事態を悪化させていった最大の原因だと私は見ている。

2)「日本人は、本来はこういうもの。それをアメリカの占領政策が滅茶苦茶にしてしまった」というのは、中條さんの頭の中にある一つの解釈に過ぎず、こう決め付けてしまうのは生産的ではない。私は「日本人の特質」というものは、良い点も悪い点も含め もっと複合していると思う。悪い点(醜い点)だけを取り立てるのは片手落ちだが、良い点(美しい点)だけに脚光を当てるのも同様に片手落ちだ。また、日本人は好奇心が強く、外来のものを受け入れるのに柔軟であるのは事実だが、「米国の占領政策によって(その程度の事で)、すっかり骨抜きにされた」と見るのは、現在の日本人に対しても失礼だろう。

3)中條さんは若い時に陸軍士官学校という特殊な環境下で教育を受けた人だが、当時から自由主義思想や左翼思想に心から傾倒していた人達もおり、こういう人達は現実に酷い目にあった。また、全般的に見ると、国民や兵士の多くが明るく前向きだったのは事実としても、軍隊で古参兵に意味なく苛められたり、無能な上層部の為に理不尽に死地に追い込まれたりして、戦時中の体制を秘かに心底憎んでいた人達も多い。終戦と同時に、多くの人達が手の裏を返したように旧体制を批判したのには、当然それなりの理由がある。

4)経済的な繁栄よりも「心」や「誇り」の方が大切である事には、私も心から同意するが、「国を愛し、国に殉じる心を持つ事が、最も重要だ」と決め付けるのは妥当ではない。「心のあり方」として何が最も重要かは、各個人の「価値観」の問題であり、人によって多種多様であるのが当然だ。「日本という国に対する思い入れ」も、「家族を思う気持」や、「同じ職場で働く仲間達と分かち合う連帯感」等の延長線上にあるものであり、それ以上でも以下でもないと考える方が妥当だと思う。

さて、最後に、「それでは、満州事変から太平洋戦争に至るあの戦争は、良い事だったのか悪い事だったのか? 悪い事だったとしたら、誰が悪かったのか?」という質問に対する私の考えを述べて締めくくりにしたい。

中條さんの本の解説を書いている民主党の渡部恒三さんは、「日本にも悪いところはあったが、アメリカの方がもっと悪かった」と言っておられるが、これには少し驚いた(これでは中・韓の警戒心が容易に解けないのも当然だ)。

阿片戦争は100%英国が悪いと考えるのが常識で、「英国にも悪いところがあったが、清朝の方がもっと悪かった」等と言う人はいないだろう。仮に「自分達が入っていった方がその地域の住民が幸せになる筈だ」と考える人達がいたとしても(かつてキリスト教徒やイスラム教徒はそう考えて強引に他国に侵入していった)、「頼まれもしないのに他国に軍隊を入れるのは、とにかく悪い事だ」と考えるが常識だろう。

かつては欧米の列強が争って植民地獲得競争に走り、日本もそれに倣ったわけだが、これが「良い事だったか悪い事だったか」と問われれば、全て悪い事だったと答えるのが妥当だろう。そうなると、それ以前の世界史は、概ね「悪い事をした国の歴史」となるが、歴史を学ぶ際には、こういう「道義的な善悪」を問う事は殆ど意味がない。将来の世界を良いものにする為には、過去の歴史を「道義」の観点からではなく、「力学」の観点から見る方がはるかに意味がある。

アメリカが早い時期から日本を仮想敵国と考え出したのは、主として中国市場を争奪するライバルとして意識したからだろうから、道義的には日本もアメリカも五十歩百歩だったかもしれないが、日本がその中国の大部分を実効支配していた国民党政府を敵にしてしまったのに対し、アメリカは国民党政府を助ける立場になったので、結果として「道義上の名分」を得る事が出来た(これに対し、韓国の李王朝は、日本からの理不尽な圧力に対抗する為に、国際司法裁判所のあったオランダのハーグにまで密使を送り、諸外国の「道義的支援」に期待したが、朝鮮半島に市場としての魅力を特に感じていなかった各国は、結局その期待に応えてはくれなかった)。

これからの「学問としての歴史」は、事実関係を正確に淡々と記述する事に意を尽くし、相矛盾する各国の主観的な「史観」は、並列的に紹介すべきである。その上で、各国の若い人達には、「これからの世界をどうすれば良いか」という未来志向の上に立った思考を、常に促していくべきだ。