ノーベル賞に見る理系人と文系人 --- 山城 良雄

2014年10月15日 13:15

ワシの携帯電話、秋になると故障する。なんぼ待ってても、ストックホルムからの受賞連絡の電話がかかってこん。毎年のことやからイヤになるで。えっ、お前が期待するなって。そやけど、憲法九条よりは有力候補やと思うで。

考えてみたら憲法自体が選ばれるはずがない。内容以前に、ノーベル賞は個人か組織が受賞するもんや。物や制度は対象外。そやから、九条に賞を出すなら制定(改正?)時のGHQの担当者ということになるが、そんなヤツ誰も知らんがな。


それにしても、最近の平和賞は生臭い。カーター、ゴア、オバマ……って、よほど米国民主党がお好きのようやし、アウンサンスーチー、劉暁波という、授賞式の出席すら出来ない反体制派も選ばれる。逆に、体制そのもののEUというのもある。見ようによっては、かなり投げやりな選考にも思える。

今年の、マララ&カイラシュのコンビにしたって、2人の活動には何の接点もない。インド人とパキスタン人に共同受賞させて、これを機会に仲良うしぃや。と言うつもりなんやろ。悪くはないが、露骨に政治的な話や。

平和賞なんぞ佐藤栄作のころからいかがわしかったで、という声もあるが、理系の賞も最近、ウケ狙いに見えるものもある。今年の物理学賞なんぞ典型やで。何で青色LEDなんや。

確かに、赤・緑は昔からあったLEDに青が加われば、三原色が揃ってディスプレイとしての利用などが可能になり、工学的な利用価値が飛躍的に向上する。そやけど、これはいわば人間社会の側の都合で、別に物理的におもろい現象という訳ではない。少なくとも、LED自体の発明者、ニック・ホロニアックJr.(ご存命らしい)を差し置いて受賞することには、かなり違和感がある。

もちろん、青色LEDの工業的な重要性や、開発に関する血のにじむような努力は、大いに評価すべきやと思うが、物理学上の発見と工学的な発明とは別モノやろ。陸上競技の殿堂(あるかどうか知らんが)に、いかに俊足とは言えロッペンやイチローが推挙されるようなものやろう。

今回も何らかの政治的(?)な意図があるんやろうな。ワシの考えを言おう。受賞者の一人、中村修二氏に対してケチな報酬しか出さんかった会社と、それを是認した日本の司法に対する、国際的科学者社会からのツラあてや。

中村氏の訴訟にはいくつかの側面があると思う。まず、中村氏が会社を訴えたのは、退職後の話で、それも、企業秘密漏洩で訴えられたことに対する反撃の色合いが濃い。裁判が始まる前から、かなり感情的な問題があったのは確かやと思う。

普通の感覚の技術者ならば、何か大きな結果を出せた研究環境を、そう簡単に捨てようとは思わん。腕のええ技術者ほど、旋盤や電気炉ひとつにしても、細かい癖を知り尽くした愛機は捨てがたいのが普通や。

実際、同じのノーベル賞の田中耕一氏などは、今だに島津製作所で機嫌よう研究活動をしてはる。もちろん、田中氏の名前のついた研究所を創設するなど、かなりの厚遇を受けてはるが、そのために何百憶も島津製作所が使っているとは、とても思えん。

中村氏の会社も同じようにやってたら、遙かに安上がりやったはずや。数百億どころか、今回の訴訟で使った裁判費用に毛の生えたような額でも、話がついた可能性が高い。それに中村研を作れば、そこに生きの良い若手が集まってくる。

島津製作所の田中氏と違い、あまりにも青色LEDの価値が高いので、今後いくら中村氏を厚遇しても、それ以上の発明を期待できるとも思えへんとソロバンをはじいて、安く叩き出してしまえというのも経営判断やろが、会社が失った物も大きい。功労者相手に大ゲンカして獲得した、「研究者にはムチャクチャ冷たい」と評判は、今後のイノベーションに関して致命傷になりかねんがな。

もうひとつ、資本主義社会での発明ということについて考えてみよう。以前、池田信夫氏が言うてはったように、イノベーションが確率的な出来事だという側面は正しいと思う。ワシも発明に投資する機会があったら、同じように考えるつもりや。

そやけど、この発想からは、大きな発明は絶対に生まれん。開発をしている側から見れば、発明とは自分(たち)の才能と汗と血の結晶や。「確率」という言葉を持ち出されるだけでも、高出力の青色レーザーを社長の眼球に照射したくなるやろ。わずか数百万円やが自分の特許(企業から見て典型的な宝くじのハズレやな)を企業に売ったことのあるワシでさえ実感できる。

こういう出資者と実行者との認識の違いは、発明以外でも至る所にある。変わった例では、心理学者(?)の岸田秀氏が、「日露戦争の日本の勝利について米英は自分たちの出資の成果という気分があり、これが第二次世界大戦の遠因になった」という説を発表していたが、これも今回の青色裁判と同じ構図やろ。

巨人軍の名監督と言われた川上哲治氏の作とされるボヤキ川柳「これほどの努力を人は運と言い」……どんな分野でも成功には運が必要で、投資家がそれをヘッジするには確率の考え方しかない。そやけど、その思想が全面に出てしまうと、成功の確率自体を著しく下げてしまうという厄介な構図がある。

さて青色裁判、一審と二審で判断が両極端や。600億と8億4000万、事実認定が逆転したわけでもなく評価の話でこれほどぶれるのを見ていると、こんな大事な問題を、おそらく発明経験など全くない裁判官風情に決めさせてええのか疑問に思う。

「文系のエリートとは、理解力か勤勉さに一定以上の欠陥のあるのに、それを自覚していない人たちである」という、多くの理系人が一度は感じたことのある暴論に、一定の説得力が出てくるような気がしてまうがな。

日本の科学が裁判官に勝った例としては、松本サリン事件ぐらいしか思いつかんが、現代の技術者はもっとドライな戦略を立てはじめておる。研究に着手する前に企業と報酬契約の交渉するなどカワイイ方や。

研究開発の目処が立ったら、肝心のノウハウは伏せておき、故意に特許も取らない。そうしておいて、転職のチャンスを狙う。行き先が見つかったら、「研究が行き詰まり心の病で退職」とでもしておき、ほとぼりが冷めるのを待つ。幸か不幸か、日帰り出張圏内に日本の知的所有権など屁とも思っておらん企業はウジャウジャある。

青色裁判の結果、今後、日本企業がイノベーションをするためのコスパは明らかに悪化していくやろ。研究者の脱法行為を監視し、いざとなれば法的対応を取るための経費。もちろん、ちゃんと技術者たちに動いてもらうための報酬もUPせざるを得ない。田中耕一氏と島津製作所のような牧歌的で幸せな時代では無くなってきている。

この傾向を、今回の物理学賞は応援しているとしか思えん。つまり文系社会日本に対する国際理系集団のツラあてというわけや。こういう応酬、資本主義とはそういうものやと、言ってしまえば終わりやが、もしそうなら、資本主義ってあんまし上等なもんやないがなと思う。社会主義が大コケした以上、仕方なしの資本主義社会という訳やな。

今日はこれぐらいにしといたるわ。

ときどき復活するサイエンティスト
山城 良雄

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