イスラム国には徹底して『日本らしく』対抗しよう。

倉本 圭造

イスラム国人質事件に関する安倍政権批判の盛り上がりについて、批判するべき所は批判してもいいが、単に批判するだけでは日本は安倍氏自身が意図した以上に過激化してしまうメカニズムがあるから、それを考えた行動をしなくちゃいけない・・という話を何回か連続で書いています。今回が最終回です。

ここまでの記事で重要な部分は、

第二回安倍批判をすればするほど安倍政権は過激化する矛盾を超えて
第三回(前回)リベラルが安倍政権と向き合うことはイスラム国と向き合うこと

です。

今回は、今回の問題が巻き起こしていく世界のあたらしい状況の中で「日本の強み」を活かしていくにはどういう方向性で行けばいいかという話をします。

4・グローバリズム2.0の時代に日本が示せる可能性

「グローバリズム的に共通したシステム」が世界中に行き渡っていくグローバリズムの第一期が終わった今、その「とりあえず作ったデジタルな共有システムははじき出してしまっている現地現物のリアリティ」を、「システムと無矛盾になるように入れ込んでいく」ことが鍵となる時代が来てるんですよ。

私はそれを「グローバリズム2.0」と呼んでいます。

・グローバリズム1.0の世界のゲームのルール
単純なルールをいかにバンバン現地事情をなぎ倒して押し通していけるか?が勝つ条件
・グローバリズム2.0の世界のゲームのルール
「とりあえず行き渡った単純なルールの中に、それを否定することなく現地の事情をどんどん入れ込んでいくこと」をいかに上手くできるか?が勝つ条件

上記のように考えると、グローバリズム1.0のルールをアメリカ以上にうまくこなせる国はそうそうありません。しかし、世界に「単純なルール」があまねく行き渡った結果、その「単純すぎるルールの無理」を柔軟に吸収できる噴出口がテロぐらいしか見つからなくなることで、世界は常に「欧米社会のルールの外側の価値観からの暴力的な異議申し立て」の潜在的脅威にさらされ続けることになります。

そうすると、「単純なルールの無理やりな押し付け」の勝ちパターンがだんだん難しくなってきた結果、「現地事情をいかに柔軟に共通ルールの中に入れ込んでいけるか」という新しい「グローバリズム2.0」のゲームのルールが生まれてくるわけです。

この時代の対立が激化すればするほど、日本の可能性は大きいです。なぜなら日本は、「欧米諸国と価値観を共有してまがりなりにもやってきている」国でありながら、「征服されて無理やり価値観を押し付けられて生きている国の気持ちも直接わかる」国だからです。

ここ20年、「イノベーションのジレンマ」といえば、「もっともっと単純なルールで現地事情をバキバキなぎ倒せるようにならなくちゃ!」という方向のものばかりでしたが、今度は「あまりにも単純なルールの押し付けに最適化されすぎた社会が、その外側からのテロの脅威にさらされる一方、複雑さを諦めずにいた国が一歩ずつ着実に進歩していける時代」という、「ウサギとカメの話的イノベーションのジレンマ」がそこかしこで見られるようになるでしょう。

その「ユニークネスの可能性」をバンバン追求して、それを経済価値に転換して、そこに大きなマネーフローが生まれるとき、やっと安倍政権は「無駄に過激になる必要」がなくなるんですよ。

リベラルが安倍政権を倒したいなら、「その道」を一体的に模索していく必要があるんですね。

・最後に

最近、今回の記事のようなテーマに関して「アメリカの時代の終焉に生まれ変わる日本」という本を出したんですが、この本の企画が持ち込まれた時に出版社から提示された「企画書」に、「これからアメリカの時代が終わるわけですがその中で日本が固有の価値を活かして活躍するための方向性について倉本さんのご意見をまとめていただきたく・・・」などと、まるで「最近めっきり寒くなってまいりまして」的な時節の挨拶のように書かれていたのに結構ギョッとしたことがありました。

刊行までたどり着いた中でははじめての女性編集者さんだったんですが、ある意味女性の怖さを感じるというか、昨日まで完全にコミットして生きていた世界観も、なんかもうこれ終わっちゃうみたいだからもういいわ(ポイー!)みたいな感じを受けたというか。戦後70年かけてコレクションした夫の宝物を知らない間にリサイクル業者に売ってしまう妻の恐ろしさ的な感じで。

もちろん、明日いきなりアメリカが消えてなくなったりはしないし、まだまだ当分は「ある程度は世界の警察」でいてくれないとアンチアメリカ主義者も実際は困る部分がかなりあると思いますが、しかし過去20年にあったような「一極支配」はだんだんできなくなっていくのは避けられない情勢ですよね。

そうすると、今までなんか不満を抱えた人たちがいてもアメリカさんが空爆して黙らせてくれてたから深く考えずに済んでいられたあらゆる人間に、その「常に存在する調整過程」への責任が生まれてきてるんですよね。

結局、日本のアメリカ追従を批判し、イスラム側との感情的なつながりを大事にしたいあなたも、アメリカがとりあえず保証してくれてる世界秩序の上でノウノウと生きてこれたんだな・・・ということを、今回の事件は示しているんだってことを一度考えて欲しいんですよね。

それは、「アメリカの重し」が取れた瞬間、じゃあこの知的な俺が考えた理想のビジョンを実現できるぜ・・・と思ったら、国内国外はじめ果てしなく単純化された「やっちまえ!ヒャッハー!」風の衆愚主義に塗りつぶされてしまう可能性があるという「人間社会の真実」に対して自分たちなりに答えを出していくことです。

安倍云々じゃなくて、結局誰もが等しく「欧米社会由来のシステム」の恩恵を受けて毎日生きてたんだなという当たり前の事実に、その「みんなが(あなただって)乗っかっている乗り物」に踏んづけられて困っている人たちの異議申し立てに直面しているのだと捉えるべき時なんですよ。

自分だって彼らを押しつぶしている一味なんだという自覚の上で、彼らの負担ができるだけ減るような「乗り物の置き方」を探していく作業が、これから世界中で始まることになるんですよ。

・・なんてことを言うのは、リベラルなあなたにとっては「押し付けがましい抑圧」に見えるかもしれません。こういう趣旨のことをもっと「たとえ話」的に扱った記事を書いたことがあるんですが→『あくまで憲法を守りたいリベラルのあなたへの手紙』その直後に私のホームページのコンタクト欄から「お前は世界の悪の根源だ。さっさと死ね!」という趣旨のメールを貰ったことがあります。(ちなみに大真面目に返信したのですが捨てアカウントだったみたいで宛先不明で戻ってきてしまいました)

繰り返すようですが、あなた個人が生きている状況において「日本的な集団」に押しつぶされてしまいそうな思いを感じているのなら、別にそれを表明することを辞める必要はないんですよ。それで気が済むのなら私に死ね!という言葉をぶつけてもいい(ナイフを持って”実行”しに来られると困りますが)。

まずはある程度余裕のある状況の人からです。自分のタイムラインには「安倍死ね!」も「左翼死ね!」も両方流れてるんだけど・・というあなたからです。

「両極端なわかりやすい話」に比べると時間はかかりますが、しかしそれをちゃんと育てていけば、いずれ日本にはグローバリズム2.0のトップランナーになる資質がありますよ。運命があると言ってもいいぐらいです。

最近、「聲の形」という漫画をたまたま読んだんですけど、ほんと良い作品だったな・・・と思いました。あらゆる「意識高い系のアメリカンな善悪基準」みたいなものが、「日常的な、あまりに日常的な現実」の泥沼に足を取られることで次々と説得力を失っていき・・・というと凄い暗い話のようですが、「それでも希望を失わずに生きる」ことで群像劇のそれぞれの登場人物が”日本人の徹底した懐疑主義レベル”で地に足ついた人生を選びとっていく話でした。

日本のオタクさんがよってたかって突っつき回してきたサブカルチャーの中に、「アメリカンに単純な善悪」を超えたところで、でも「まごころ」を失わずにいようという模索は続いているんだなあ・・・と思いました。

「グローバリズム2.0における日本の可能性」について、以前私は
・アップルなんてダサい、日本はもっとカッコイイ物が作れる。
・グローバル中間層に日本の根本的長所を売り込む方法
・開国派vs鎖国派的対立してたら日本は永久に開国できない
という一連の記事をを書いたのですが、そこに書いた「日本がグローバル中間層に徹底的に売り込むべき高密度ハイエンド商品」の中には、こういう「ナアナアすぎると言われながらあくまで東京が保持してきた優しさの文化」も含まれているのです。

大げさでなく、「こういう商品」がちゃんと本質的な意味での”クールジャパン”として世界のグローバル中間層にバンバン売りだされて大きなマネーフローが生まれ、アメリカ人や中国人や中東のユダヤ人もイスラム諸国民も、若者が胸を痛めて読む時代になったら、はじめて世界平和は実現すると私は思っています。

アメリカのように、地球上にひしめきあって生きる人類70億人がメチャクチャにならずにとりあえず共有して生きられる共有システムを作り出し、それを維持するためにたまに爆撃だってすることも、一つのコミットメントです。NGOや国連みたいな方向での良心を突き詰めるのもひとつのコミットメントだし、そういうのとは関係なく日々自分の仕事に対して古来のお百姓さんのような心性で生きることも一つのコミットメントです。どれが上でどれが下ってことはない。

しかし、「欧米人が高らかに宣言する大きすぎる話と、”それに征服された側”の自分たちのナマの現実をすりあわせるにはどうしたらいいのか?」について誠実に悩み続ける東京発の優しさの文化だって、「一つのコミットメント」には違いありません。

「憲法9条を大事にしたい」というあなたの気持ちの中に生きているコミットメントの形はこういうものなんですよね?それはもっとやっていくべきです。

しかし、そういうあなたの「啓蒙主義的な願い」のあり方が不可避的に持ってしまう副作用が、こういう「東京発の優しさの文化を奥底で支えているもの」をも壊してしまう可能性をはらんでいるのです。この「一周回ってくる論理」に対してちゃんと責任を取れるように持っていかないと、安倍政権を一方向的に批判すればするほど安倍政権は過激化してしまうループに終わるんです。「北風と太陽」の話のようにね。

「箱庭」みたいな小さな世界で模索されている「東京が持っている優しさ」は、グローバリズムのガサツさや「アメリカンに単純化された啓蒙主義」やらが暴走してったら一瞬で消えてなくなるものなんですよね。

だから安倍政権に今の権力が付与されていることの中には、アンチ安倍の立場からは腹立たしいことですが、以下の三枚絵のようなメカニズムがあるんですよ。

A3_20141225

B3_20141225

C3_20141225

(話の流れ的に「きれいな安倍ちゃん」とか言ってますけど、もちろんこういう流れの先には「政権交代」だってもし日本に必要ならちゃんと視野に入ってきますよ)

単純な20世紀的罵り合いを超えて、一段高いところから見た「本当の問題」について日本の底力を発揮できるよう、取り組み始めるべき時ではないでしょうか。

長い文章をここまで読んでいただいたあなたに、最後のメッセージとして、まさに今の日本が直面している問題について歌っている歌を、彼らの公式チャンネルなんでリンク貼らせていただきます。(気に入ったらちゃんとお金を落としましょう)

白か黒で答えろという難題をつきつけられて、でもそれでも安易に選ばずに迷ってきた我々だからこそできる”優しさ”の価値の一貫した提示を、今まさに世界が待っているのです。

Mr.Children ”GIFT”

今後もこういうグローバリズム2.0とそこにおける日本の可能性・・・といった趣旨の記事を書いていく予定ですが、更新は不定期なのでツイッターをフォローいただくか、ブログのトップページを時々チェックしていただければと思います。

倉本圭造
経済思想家・経営コンサルタント
・公式ウェブサイト→http://www.how-to-beat-the-usa.com/
・ツイッター→@keizokuramoto
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