燃料電池車による水素社会で東電を叩く必要がなくなる?

倉本 圭造

燃料電池車(FCV)っていうのは間違ったやり方でやると全然エコじゃなくなるが、本当に可能性が解放できれば凄いエコになるし、なによりこれは「グローバルな経済格差問題」に関わってくる問題なんだという話をしています。

前回は、間違った普及の仕方をするとFCVは全然エコじゃない可能性があるという話をしました。今回は、「FCVが本当にエコになる可能性」についてお話します。


2)しかし、物凄くうまくいけば、FCVが凄いエコになる可能性もある

FCVが凄いエコになる可能性というのは、要するに今のエネルギー消費システムにはあっちこっちに無駄があるってことなんですよね。

特に電力網は「その瞬間のトータル」でちゃんと需給が完全に合ってないといけないので、せっかく再生可能エネルギーを入れ込んでいこうとしても、天候に左右される再生可能エネルギーをちゃんと需要側に合わせることが難しくて、結局かなりの部分を無駄に捨ててしまっている状況もある。

もちろん、その問題を解決しようと電力会社や色んなベンチャーがそれぞれ頑張っているのですが、やはり安定供給を担う側の「伝統的電力会社」の人間は最大限保守的な対応にならざるを得ず、そのあたりが、「再生可能エネルギーをもっと導入したい」という人たちの気持ちとうまく噛み合わない結果になる。

結果として陰謀論的なものまで含めて、「伝統的電力会社」への憎悪が募ったりもするし、そういう憎悪が募るほど、さらに「伝統的電力会社(や彼らと連動した官僚システム)」の参加者は保守的な対応にならざるを得なくなる・・・という問題がある。

こういう「言論の二極化」こそが現代日本の最大の問題で、それを乗り越える風潮づくりこそが本当に日本が自分たちの強みをスルスルと自然に発揮して活躍していくために大事なことだという話を広い範囲にわかってもらうことが私のライフワークでもあって、興味のある方は、例えばこの記事→安倍批判をすればするほど安倍政権は過激化する矛盾を超えてなんかから入って色々な関連文章を読んでいただきたいと思っているのですが。

ともあれ、そこで水素インフラが整備されるとどうなるか?

水素インフラが整備されると、これが「バッファー」になることで、あっちこっちでやりたいだけエコなことができるようになる。

これは例えると、

今まで物々交換しかできなかったから自分たちや近所の人が食べられる分以外の食料を生産してもうまく消費しきれなかったが、”お金”という仕組みができたら広域でスムーズにやりとりができるようになったので、沢山生産できる土地があるなら生産できるだけやればいい・・・という風になれた

というような状況です。以下の絵のようになるわけですね。

Hydro_infrastructure

この絵、私はかなり気に入ってます。今の世の中の不愉快な陰謀論とか幸薄い罵り合いの大部分が解決する可能性を感じる。下側の絵みたいに生きていきたいですもんね。

あっちこっちで、あんまり安定はしないけど調子が良い時の最大発電量では結構イケル時もある・・・というような発電システムをバンバン作れるようになる。余ったら全部水素に変えておけばいいわけだから。そうすると「送配電網の安定性」を必死に気にしてるような人と、できるだけエコな発電システムをどんどん作りたい・・という人の利害がぶつからなくなる。

このことのメリットは実は物凄く大きいので、その電力を実際に使う時の効率性といった数字で多少の差があっても吹き飛ばせる可能性があるわけですね。保存食にしたら多少栄養は減るかもしれないが、だって今日食べきれなかったらどっちにしろ腐っちゃうんだからこっちの方がいいじゃん・・・というようなメカニズムがあるということです。

国内における話だけではなくて、「広大な砂漠にメガソーラー」とか「洋上に沢山浮かべる風力発電」といった、可能性あるかもしれんけどどうやって消費地まで運ぶのさ?という数々のアイデアのボトルネックを解消する方法になる可能性がある。

もちろん、あなたがあくまで再生可能エネルギーに批判的で、男は黙って原子力!という人であっても、その結果どうしても出てしまう「需要側の谷」において余った電力を水素という「通貨」に変えて保持しておくことができるようになります。(個人的には”核融合”に物凄く期待してるんですが、それでも同じことです)

また、水素というのは非常に単純な化合物なので、色んなものの副産物として生成したり、あるいは最近話題の「人工光合成」など、それを作り出すプロセスにも多種多様なチャレンジが可能になる。それらが全部「水素」という通貨に転換されることで、それぞれのチャレンジ同士を無理に同期させなくても良くなるんですね。

こういう「本当にうまく行く」流れができれば、水素社会というのは「考えられる限り物凄いエコ」な社会になる可能性があるってことなんですね。(最大限良いシナリオでも社会全体でみて環境的に負荷がかなり残り続ける電気自動車だけの未来よりも、もっと根本的なエコに進める可能性がある)

だから、もし人類が(とりあえず日本が)「水素社会」を実現しようと動き出すのなら、中途半端にやって火力発電で作った水素でFCVを走らせるみたいな壮大な無駄をやるのではなくて(過渡期的にはそうなることも必要な可能性はありますが)、「水素というエネルギー通貨」を作ることでその先の「物凄くエコな社会」実現を目指すんだ・・・という気合いが必要なんだということです。

そして、日本という社会が必死にこの「水素社会実現」に向かうことによって、世界人類の共通課題である「格差問題」にまで、影響を与える可能性があるんですよ。

それについてはまた次回でお話します。

アゴラでは分割掲載しているので、一気読みしたいあなたはブログでどうぞ。

今後もこういうグローバリズム2.0とそこにおける日本の可能性・・・といった趣旨の記事を書いていく予定ですが、更新は不定期なのでツイッターをフォローいただくか、ブログのトップページを時々チェックしていただければと思います。

倉本圭造
経済思想家・経営コンサルタント
・公式ウェブサイト→http://www.how-to-beat-the-usa.com/
・ツイッター→@keizokuramoto
最新刊『「アメリカの時代」の終焉に生まれ変わる日本』発売中です

(当記事の絵や図は、出典を明記する限りにおいて利用自由です。議論のネタにしていただければと思います)