米国は日中のどちらを選ぶのか

日本の核武装を考えるとき、米国のスタンスはどうなのかが最も気にかかる。

自国の国益を考えた場合、米国にとって中国も日本も要らない。自国の安全保障さえ確保されれば、それで良い。こう考えるのは当然だ。

軍事予算の重圧にくたびれた米国は「我々は世界の警察官ではない」(オバマ大統領)と言い出した。東アジアで軍事的緊張が高まり、自らの防衛に不安が生じれば、東アジアから撤退するという「内向き」志向が強まっている。

中国が南シナ海で軍事攻勢を強め、北朝鮮が核実験やミサイル発射実験を繰り返すのは、そうした米国の「弱気」をにらんでのことだ。

日本で私を含め、そこここで「核武装論」が高まっているのも淵源は同じである。米国が頼りにならず、中国や北朝鮮の攻勢が強まれば、自主独立の機運が盛り上がる。

それまではどうだったか。米国にとって、1990年代初頭に共産国家を止め、資本主義を抱いた途上国になった中国は急速に親しみを感ずる国となった。貿易摩擦で台頭、米国を経済的に脅かす日本よりも親しみが大きかった。

日本を叩き、その経済力をそぎ、中国との経緯的結びつきを強める。2010年代に入るまでの20年間、荒っぽく言うと、米国の姿勢はそうだった。

中国は中央政府や地方政府、国営企業が経済を動かし、その権限は一部の幹部が独占している。ある意味で「儲け」を絶対視する赤裸々な資本主義と資本家がそこにある。短期的な収益の急拡大を狙う米国の投資家、資本家にとって、労働者の利益や地球環境などに目配りする微温的で社会主義的な日本企業よりも、はるかに付き合いやすく、もうけやすい。

そこから米投資家と急成長する中国経済との連携が深まった。腐敗、汚染の臭いがしても、環境汚染が広がっても、収益力を高める米国の投資家、資本家は無視しがちだった。

中国の高成長に伴うひずみを無視した格差拡大は、米国経済の格差拡大と連動していったとも見てよい。

民主主義を排除した政治と選挙制度、言論弾圧、報道の不自由は経済の拡大、豊かさの増大とともに、やがて緩和、消滅する--。米国の資本家、企業家たちはそう考えた。否、無理やりそう考えるようにし、現実の言論弾圧に目をつぶった。

だが、経済格差の拡大と地球環境悪化の広がり、民主主義の抑圧の強まりを前にそうした「幻想」を振り撒くことができなくなってきた。

1970年代のニクソン政権から現オバマ政権まで一貫して国防総省の中国軍事動向を調べる要職にあったマイケル・ピルズベリー氏は最新の自著「100年のマラソン」の中で、「米国と交代してグローバル超大国になろうとする中国の秘密戦略」を紹介している。

中国は「平和的台頭」や「中国の夢」という偽装めいたスローガンを出して米国その他中国に協力してきた西側諸国を欺いてきた。だが、実際は建国から100周年の2049年を目標に経済、政治、軍事の各面で米国を完全に追い抜く超大国となり、自国の価値観に基づく国際秩序と覇権を確立しようとして来た。ピルズベリー氏はそう総括する。
長年代表的な親中派だったピルズベリー氏がこうした著書を出したことは衝撃的だが、反中派の間では「常識」に属することから、ピルズベリー氏は今のうちに親中派から転向し、責任を問われないようにしているといった辛らつな批判の声も聞かれる。

来年の米大統領選挙に向け、民主党候補のサンダース氏は1%の富裕層が残りの99%の富を奪っていると言って貧困層の支持を集めている。共和党のトランプ候補への期待も、ウォール街を占拠した「われわれが99%」運動に源流があり、エスタブリシュメントの政治に対する庶民の怒りをエネルギーにしており、両党での2人の異端児が既成の民主党、共和党幹部を慌てさせているとの見方が強まっている。

これと中国の軍事的脅威が米国政権の中国傾斜を急速に冷却化させている。中国に対しいまだに親近感を寄せ、 中国が主導する国際開発金融機関のアジアインフラ投資銀行(AIIB)にも参加する英国やドイツ、フランスなどとは異なり、米国の孤立感が浮き彫りになる。

その中で今も米国の民主主義と資本主義に強く信頼を寄せている経済大国がある。日本である。

米国では今、1970年代の日本経済の台頭意向、最も日本への信頼感が増しているのではないだろうか。集団的自衛権の行使容認など、日本が米国の欲求に応える形で、経済のみならず軍事的にも協力姿勢を強めれば、日露戦争当時の日英同盟に近い信頼関係が築ける。日米同盟は、今、その時期を迎えていると、思われる。

むろん、同盟に永遠はない。かつての日英同盟も米国の横やりが入って、急速に消滅して行った。現在の日米同盟もいつまでも強力ではない。中国経済がさらに失速し、中国の対米経済依存度が強まればどうか。再び、米国が中国との連携強化に動く可能性は大きい。

それをにらみながら、今のうちに米国の懐に飛び込み、経済のみならず軍事関係を強め、核武装への道を現実化させる。今、日本はその岐路にあると考える。