リニア談合捜査「特捜・関東軍の暴走」が止まらない

郷原 信郎

東京地検が入る検察庁庁舎(Wikipedia:編集部)

東京地検特捜部のリニア談合事件捜査が、常軌を逸した「暴走」となっている。

この事件で、特捜部が立件しようとしているスーパーゼネコン4社間の談合による「独禁法違反の犯罪」が全くの無理筋であることは、昨年末以来、【リニア談合、独禁法での起訴には重大な問題 ~全論点徹底解説~】【「大林組課徴金全額免除されず」でリニア談合独禁法での起訴は“絶望”か】で指摘してきたところだ。ところが、東京地検は、年明けから捜査体制を増強し、「引き返すことができない状況」を作り上げた上、強引に捜査を継続していた。

4社のうち、大林組、清水建設の2社は「談合を認めている」とされ(これも、本当の意味で、「独禁法違反の犯罪」を全面的に認めているか否かは疑問だが)、大成建設、鹿島の2社は、全面否認していると報じられている。特捜部は、私が上記ブログで「独禁法起訴は“絶望”か」と書いた2月1日の夜、「徹底抗戦」の2社のみを対象に、再度の捜索を行った。

その際、大成建設では、法務部に対する捜索で弁護士が、捜査への対応・防禦のために作成していた書類や、弁護士のパソコンまで押収し、さらに検事が社長室に押しかけ「社長の前で嘘をつくのか」「ふざけるな」などと恫喝したとして、大成建設側が「抗議書」を提出したところ、その日の夜、同社だけに「3度目の捜索」を行った。特捜部が行っているのは、「リニア談合事件の真相解明」などとは凡そ異なる、被疑者側を屈服させるためだけの捜査権限の濫用だ。まさに「狂気の捜査」と言う他ない。

米国などでは、弁護士の法的助言を得るためになされた、依頼者と弁護士の間の秘密のコミュニケーションについて秘匿特権が認められている。日本の刑事訴訟法上では、弁護人自身の押収拒絶権は認められているが、それ以外に捜査機関に対して秘匿特権を認める明文はない。

しかし、身柄拘束中の被疑者には、立会人なしに弁護人と接見交通を行う権利が与えられていることからしても、被疑者と弁護人とのコミュニケーションの秘密を尊重しようとする趣旨は伺えるのであり、今回のように、それを正面から侵害する目的の押収は、適正手続に反し違法の疑いがあり、少なくとも不当なやり方であることは間違いない。また、社長室に乗り込んで、社長の目の前で恫喝するというのは、検察捜査の常識を逸脱したやり方だ。特捜部はいつからヤクザ組織になってしまったのであろうか。

このような非道がまかり通ってしまうのはなぜか。戦前、張作霖爆殺事件や満州事変を独断で実行し、その後の日中戦争や太平洋戦争(大東亜戦争)で日本を破滅的な敗戦に導いた「関東軍」と同様に、現在の特捜部が検察組織内において「統制が働かない存在」になっているということだろう。

このような「特捜の暴走」が生じることも、検察組織がそれを抑制できないことも、現在の検察幹部の顔ぶれからすると、必然のように思える。

特捜の現場を率いる森本宏特捜部長と、地検ナンバー2の山上秀明東京地検次席検事は、佐藤栄佐久福島県知事を逮捕・起訴した贈収賄事件の中心メンバーだ。山上検事は、佐藤氏を取調べて自白(佐藤氏によれば「虚偽自白」)に追い込んだ。森本検事は、佐藤氏の弟を取調べ、「知事は日本にとってよろしくない。いずれ抹殺する。」と言ったとされる(佐藤氏の著書【知事抹殺】のカバーにも書かれている有名な言葉)。

私がペンネーム由良秀之で書いた推理小説【司法記者】(講談社文庫:WOWOWドラマWシリーズ「トクソウ」の原作)のモデルになったのが1993年のゼネコン汚職事件当時だが、当時、山上検事は、約30名の特捜部所属検事の中で最も若輩で、二番目の私とは個人的にも親しかった。体格もよく(本人曰く「あんこ型検事」)、取調べの迫力はすさまじかった。小説「司法記者」の中でもしばしば出てくる「目的のためには手段を選ばない取調べ」の典型だった。

森本検事は、私が委員として加わった、法務省の「検察の在り方検討会議」の事務局の一員だった。大阪地検特捜部の不祥事を受けて設置された会議だっただけに、佐藤氏の著書に出てくるような「武闘派」的な面は見えなかったが、検察官の「取調べの可視化」を最小限に抑えようと委員を熱心に説得していた姿は印象に残っている。

このような特捜部長と次席検事の組合せであることが、特捜検事全体にも影響を与え、今回の「暴走」の一因になっているのではなかろうか。しかも、その上司に当たる検察幹部の体制も、特捜部の暴走を抑えることができるメンバーではない。甲斐行夫東京地検検事正、稲田伸夫東京高検検事長、西川克行検事総長、という各庁のトップは、いずれも検察の現場経験が乏しく法務省畑一筋の人たちだ。笠間治雄元総長のような特捜部を含めた現場経験豊富な幹部でなければ、到底この「暴走」は止められない。

さらに深刻なのは、このような誰が考えても、「捜査権限の濫用」としか思えない捜査を、マスコミが全く批判しないことだ。大成建設での「非道な捜査」について、一部のマスコミは大成建設が出した「抗議書」の内容だけは報じた。しかし、朝日新聞に至っては、特捜部の捜索のことは大きく報じる一方で、抗議の事実はまともに報道しようとすらしない。まさに、前記【司法記者】で描いた特捜検察と司法マスコミの「癒着」そのものであり、関東軍の「大戦果」ばかり報じて、批判的機能を全く果たさなかった戦前の新聞と軍部の関係と同じ構図である。

このような権限濫用が容認されてしまえば、今年、日本型司法取引の導入等を含む刑訴法改正が施行されることもあって、「検察の暴走」には歯止めが効かなくなる。陸山会事件での東京地検特捜部による虚偽捜査報告書作成事件も、検察組織が決定した小沢一郎氏に対する不起訴処分を虚偽の書面で検察審査会を起訴議決に誘導することで覆そうとしたという、重大な問題だった(【検察崩壊 失われた正義】毎日新聞社)。この事件に関して、検察が統制機能を発揮できなかったことについて指摘した懸念が、今、現実のものになっている。

「特捜の暴走」は、今後どうなるのか。この「関東軍」には、捜索だけではなく、逮捕の権限という武器が与えられている。最悪の場合、関係者の逮捕というような「暴挙」に及ぶこともあり得ないことではない。このような「狂気」の捜査がまかり通ってしまえば、今後、いかなる非道な捜査に対しても歯止めをかけることは困難になる。

「特捜の暴走」を誰がどのように止めるのか。真剣に考えなければならない状況に至っている。


編集部より:このブログは「郷原信郎が斬る」2018年2月6日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は、こちらをご覧ください。