消滅可能性都市の人口減加速:いつまで「静かなる有事」なのか

高幡 和也

5月4日付の読売新聞によると、日本創生会議(座長・増田寛也元総務相)が2014年に指摘した消滅可能性都市(※2010年から2040年にかけて、20~39歳の若年女性人口が5割以下に減少する市区町村)のうち約8割の自治体で人口減が加速しているらしい。

これ以外にも「日本の少子高齢化・人口減は深刻だ」という言葉は様々な場所で見聞されるが、実際には少子化に伴う諸問題を日常生活で実感したり目の当たりにする機会は多くない。しかしそれこそが少子高齢化と人口減が「静かなる有事」と言われる所以である。

日常生活で目の当たりにしなくとも、毎年「確実」に子どもの数は減り、それに伴い日本の総人口は減り続けているのだ。

厚生労働省の「人口動態統計の年間推計」によると2017年の出生数は約94万人で、2年続けて100万人を割り込んだ。単に出生数が100万人を割り込むと聞いてもピンとこない方もいらっしゃるだろう。しかし、団塊ジュニア世代と言われる1971年~1974年の出生数は200万人を超えていたのである。つまり当時と比べると子どもの数が「半分になった」ということになる。

少子化は当然に人口減少をもたらし、人口減少は市場の縮小、空き家の増加、社会全体の生産性の低下など、様々な諸問題を引き起こす。もちろんこの状況に対して政府も様々な政策を打ち出しているのだが、この方向性と実効性に少し「歯がゆさ」を感じてしまう。

昨年9月に政府が設置した「人生100年時代構想会議」では、幼児教育・高等教育の無償化やリカレント教育(生涯に渡り教育と就労を交互に行う教育システム)についてその必要性が議論されている。しかしその一方、今年4月17日に開かれた財務省の財政制度等審議会においては高等教育や幼児教育の無償化について、「支援対象の要件を厳しく定める必要がある」等の指摘もしている。

教育の無償化やその支援方法の在り方には様々な意見があって然るべきだろう。教育の「質」を問うことも重要だ。もちろん支援の要件を定めるのは必要だが、教育支援を「少子化対策」として機能させるには、できる限りその支援対象を「幅広く」しなければその効果が限定的なものになりはしないだろうか。

確かに少子化対策の特効薬を探すのは難しい。もちろん財政的な問題が大きいが、最も難しい問題はその効果を検証できるのが「将来」であるためだ。だからこそ、その中身が実験的であっても何らかの施策を「今すぐ・数多く」実行していくことが肝要で、そのいくつかの施策の中には将来の少子化対策につながる特効薬も必ず見つかるはずだ。現にフランスやフィンランドでは「政策」によって合計特殊出生率を人口置換水準の近くまで回復させているのだ。もちろんそれには長い時間が必要であることは言うまでもない。
(参考:内閣府「人口・経済・地域社会をめぐる現状と課題」

政府は、人口減少を迎えた日本においては、「少ないインプットで大きなアウトプットを生み出すことが重要」だと言う。(※国土交通省「生産性革命プロジェクト」より)

確かに様々な分野でイノベーションが起こればそれも実現可能だろう。しかし、少子化に歯止めがかからなければその少ないインプットがさらに「少なくなり続ける」のである。

「静かなる有事」と言われる少子高齢化と人口減は、長い時間をかけて音もなく少しづつ浸潤していき、国家に存亡の機をもたらす。しかし、行政サービスの維持が困難な自治体が現れる可能性が高まり、さらに出生数が100万人を割り込む現状を見れば、もはや「静かなる」という表現を外し、少子高齢化と人口減を明確な「有事」と捉えるべき時が来ているかもしれない。