芸能界の“移籍金制度”はサッカーのように機能するか?

少し前のFNNのニュース(「芸能契約書が変わる 業界団体が契約書を見直し」)。芸能人の移籍制限に対して独占禁止法の適用の見解を公正取引委員会がまとめたというニュース(「芸能人の移籍制限は「独禁法違反」―公取委」)にリンクして、業界側の動きを報じたものだ。

関係者によると、国内最大の芸能業界団体「日本音楽事業者協会」は、契約書のひな形を見直し、芸能人との契約更新の際、独立や移籍を事務所側の判断で先延ばしできるとしてきた規定を削除するほか、「移籍金制度」を導入する方針で、関係者向けの説明会を開いている。

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サッカー選手の移籍金制度のようなものを考えているのであろうか。Wikipediaによれば、「移籍金」とは「プロスポーツ選手が所属する団体(クラブ)との契約期間中に所属団体(クラブ)を変更(移籍)するにあたり、新しい移籍先から元の所属団体に対して支払う金額のことである。」とのことである(「移籍金」の項)。すなわち選手の保有権を譲渡することの代償としての金銭のことである。

移籍先のチームと選手との間で予め合意がなされている移籍金は、チームと選手の間で定めた金銭を新しいチームに支払えば自由に移籍が認められる(バイアウト条項)という趣旨のもので、「契約解除(違約)金」と呼ばれるようだ(元の所属先に支払う場合とそうでない場合とがあるようだ。詳しくは、サッカー・ダイジェストWeb版の記事、「『契約解除違約金』ってなに? ネイマール電撃移籍で再注目」を参照)。

欧州サッカー界における現行の移籍金制度、契約解除金の運用は、チームとの契約が完全に終了した選手の保有権をチームは主張できないとした「ボスマン判決」を受けて、現在のような形で定着している。

芸能事務所が「移籍金」「契約解除金」のようなものを定めたとしよう。デビューしたてのタレントの場合、いくらが妥当なのだろうか。将来化けるかもしれないし、それだけの投資に見合うタレントと思えば「●億円」と定めておいて、あとは(事務所間の同意を求めて)「応交渉」としておくのが事務所にとっては都合がよいか。あるいは単に「応交渉」とだけ出しておくか。何れにしても「移籍金」や「契約解除金」という概念を出してきただけで「自由な移動」が保証された訳ではない。

タレントはどこからか購入して誰かに売り渡す「再販売」の商品ではない。だから値段を予め付けるのは難しい。「契約解除金」を定めるとすると高額になるのは必定である。低額で設定されるとするならば、事務所自体「評価していない」ことを自ら吐露するようなものだから、ハッタリでも高めに設定するかもしれない。

さらにいえば、今日本で問題になっているのはフリーランス人材の契約をめぐる独占禁止法上の問題である。想定されるのは、クラブや事務所との関係で劣位に立たされる選手やタレントであり、選手やタレントとの関係で優位に立つクラブや事務所である。

バイアウト条項を定めるにしても、金額設定に関するそもそもの交渉力が選手やタレントにはないのが一般だ。選手の報酬がもともと高い場合には、バイアウト条項は選手にとってそれほど大きなハードルにはならないが、報酬が低い場合には「解除金の高額設定」は「一方的に不利な移籍制限」でしかない。

交渉による金銭的補償の合意に基づく移籍という場合、元々の「引き抜き禁止」の慣行が定着している限り、移籍金制度といってもワークしない恐れがある。そもそもそのような慣行がなければ、契約期間満了前のタレントを引き抜くために移籍金のようなものが現れ、既に定着していたのではないだろうか。

業界における「引き抜き禁止」慣行は事務所間の共同行為(カルテル)の問題である。事務所とタレントとの契約関係を問題にする優越的地位濫用規制や不当な拘束条件付取引規制とは別次元のものである。サッカーにおける選手市場との背景の違いをよく吟味すべきだろう。

「移籍金制度」は独占禁止法違反を回避するための有効な処方箋となるか。

楠 茂樹 上智大学法学部国際関係法学科教授
慶應義塾大学商学部卒業。京都大学博士(法学)。京都大学法学部助手、京都産業大学法学部専任講師等を経て、現在、上智大学法学部教授。独占禁止法の措置体系、政府調達制度、経済法の哲学的基礎などを研究。国土交通大学校講師、東京都入札監視委員会委員長、総務省参与、京都府参与、総務省行政事業レビュー外部有識者なども歴任。主著に『公共調達と競争政策の法的構造』(上智大学出版、2017年)、『昭和思想史としての小泉信三』(ミネルヴァ書房、2017年)がある。