国民民主・玉木さんだけは気づいてる?戦前野党の教訓

2020年01月20日 06:00

憲政記念館の展示が示す「いつか来た道」

1月20日より第201回国会(通常国会)が幕を開けました。その傍らで、1月8日より憲政記念館で開催中の企画展示「政党政治の道のり-勃興と挫折-」。

憲政記念館で開催中の「政党政治の道のり-勃興と挫折-」(衆議院サイトより)

自由民権運動の旗手・板垣退助をはじめ原敬、浜口雄幸や犬養毅など13名の人物を取り上げ、また取り上げている政党はおもに戦前の二大政党、立憲政友会と立憲民政党が中心となっています。

いずれも現在は存続せず、その歴史は「大きなかたまり」を志向した翼賛政治会に呑み込まれる形で終焉を迎えていますが、果たして原因はそれだけだったのか。展示はそうした示唆を与えてくれます。展示パンフレットには開催趣旨が添えられていますが、なかでもある一文が目を引きました。

日露戦争後、第一次世界大戦にかけて、大衆が政治参加を求める声が高まり、政党の力も強くなりました。

1918年(大正7)の米騒動後の混乱で官僚閥の寺内内閣が倒れた後、政党嫌いの山県も立憲政友会総裁原敬による本格的な政党内閣樹立を認めざるを得ませんでした。1925年からは、衆議院の多数政党が交代で内閣を組織する時期が続きました。

ところが、世界恐慌や軍縮問題の中、互いを攻撃することにあけくれた政党政治は、国民の支持を失い、マスメディアや軍部の批判を受け、テロリズムの脅威にもさらされます。

そして1932年(昭和7)の五.一五事件で政党内閣はとぎれてしまいました。

2020年(令和2)の今年は原敬が東京駅で殺された1921年から百年目に当たります。

この展示が政党政治の持続性を考えるきっかけになれば幸いです。

(太字部分は筆者)

おおかたの野党は政策論で戦うことを忘れ、与党は与党で総裁みずからなぜ下野したのかを忘れたかのごとく、政敵を「悪夢」と罵る始末。そうした「過去との相似」を見せつけるだけでも、今回の展示は一般よりもむしろ、国会議員の皆さまこそが学ぶべきものと言えるでしょう。

与党も野党も誉められたものではないが、玉木さんの姿勢は評価したい

与党は相次ぐ閣僚辞任や、IRの疑惑などに対する説明を果たしているとは言いがたい。だからといって、それを追及する以外に能のない野党はもっと始末が悪い。支持政党の朝野にかぎらず、私を含め大半の有権者はいい加減にしてほしいと思っているのではないでしょうか。尾崎行雄がかつて「国のため懇談熟議すべき場所 動物園となりにけるかも」と溜め息交じりに読んだ心情が偲ばれます。

国民民主党HPより編集部引用

そうした中、アゴラ執筆陣の中でも早川忠孝先生が「国民民主党を残せ」とエールを贈り、野党の再生断念を公言された新田編集長も「民社党の再興を目指せ」と叱咤激励されているように、玉木雄一郎代表の孤軍奮闘には私も共感を覚える一人です。もっとも森ゆうこ議員の問題に関しては今も釈然とせず、党に巣食うカオスへの嫌悪感を抱きつつも代表個人の姿勢は評価しています。

改めてそう感じたのは、昨年の「咢堂ブックオブザイヤー2019」で選挙部門大賞をお贈りした書籍「令和ニッポン改造論」に歴史の教訓ともいえる貴重な一節が記されていたからです。

選挙のたびに、今なお民主党政権の負の残像が有権者の脳裏に焼き付いていて、結果、選択肢がなく自民党が勝利したという図式が語られます。

これについては、やはり一度、当時民主党の幹部だった人たちが改めてしっかりと説明をすべきだと思います。

民進党時代に総括した、と反論する人もいるでしょう。しかし、多くの有権者は、民主党は反省も謝罪もしていないと思っています。

何も語らず、何も行動せず、それでもバッヂを付けていることへの違和感が、いまだに消えない民主党政権への批判、忌避感に結び付いているのではないでしょうか。

私自身は当時、1年生議員でヒヨッコでしたが、それでも民主党の議員でした。国民の皆さんの大きな期待を裏切ってしまったことへの反省は私もしなくてはなりません。

心当たりのある幹部の皆さんは、もしかしたら「選挙で禊は済んだ」と思っているかも知れません。けれども私から見たら、まったく終わっていない。相対する立場や、批判的な層からさえも「健気に頑張っているじゃないか」と溜飲が下がり、与党支持者が一目置いて、ようやく反省として成立するのです。

そういう意味では、鳩山さんも菅さんも野田さんも、責任を果たしたとは言いがたい。自由党から合流した小沢さんも、立憲民主党を立ち上げた枝野さんもしかり。蓮舫さんや山尾さんは言うまでもありません。

野党に必要なのは「大きなかたまり」よりも「確固たる芯」

昨年から野党間で言われる「大きなかたまり」論ですが、今年で130年の節目を迎える憲政史の流れのひとつとして民主主義の発展に資するのは大きさよりも、いかにして確固たる芯をはぐくむか。まずはそこからだと私は思います。いたずらに見せかけだけの大きさを追い求めたのでは、雪だるまと一緒です。

絵描き屋マゴイチ/イラストAC

私自身が雪国(秋田県)の生まれゆえ思うのですが、単に大きさだけを追い求めた雪だるまは「あっという間に消えてなくなる」のです。しかも、砂利や小枝など、混じり気のある部分から先に溶け出してしまいます。

逆に春先になってもしぶとく残るものをこしらえるには、しっかりと芯を固めては大きくし、また固めてを繰り返し、時間をかけて作り上げるしかありません。遠回りに見えるようで、おそらくそれが唯一の近道です。

憲政記念館の展示を見ても、戦前の二大政党に属していた幣原喜重郎、また企画展示ではないものの、戦前に「粛軍演説」や「反軍演説」で気を吐いた斎藤隆夫(ともに立憲民政党を経て日本進歩党)などは、いずれも個としての確固たる芯を持っていた。それゆえか、戦後日本の建て直しでも礎の役割を果たしています。

はたして野党の合流はどうでしょう。とりわけ玉木さんは、ノーベル文学賞の詩人T.S.エリオットが「荒地」で綴ったところの「残酷きわまる季節」に耐えうるだけの雪だるまをこしらえることができるだろうか。刹那に生きるのか。それとも、より長い射程を見据えているのか。大いに注目しています。

高橋 大輔 一般財団法人 尾崎行雄記念財団研究員。
政治の中心地・永田町1丁目1番地1号でわが国の政治の行方を憂いつつ、「憲政の父」と呼ばれる尾崎行雄はじめ憲政史で光り輝く議会人の再評価に明け暮れている。共編著に『人生の本舞台』(世論時報社)、尾崎財団発行『世界と議会』への寄稿多数。尾崎行雄記念財団公式サイト

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高橋 大輔
尾崎行雄記念財団研究員

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