上限金利規制や総量規制といった統制経済的なやり方は、非効率で副作用の大きなものですから、そうした規制の強化や導入に伴って何らかのコストが発生していることは疑いありません。しかし、「便益ばかり強調し、まるで費用が存在しないかのよう」に言うのが正しくないように、「費用ばかり強調し、まるで便益が存在しないかのよう」に述べるのも間違っています。貸金業法の改正の以前と以後で、純便益(便益-費用)がどう変化したのかを考えなければなりません。
池尾・池田本のp.224で池田さんが指摘しているように、「最近の経済学で共有されている基本的な考え方は、市場メカニズムがちゃんと動くためにもルールは必要であるというものであって、ルールもなしにマーケットだけ導入したら滅茶苦茶にな」ります。しかし、果たしてこれまでの日本の消費者金融市場は、市場機構が適正に作動する前提条件となる「ルールとか暗黙の約束事」が遵守されるような状態にあったのだろうかと考えると、否定的にならざるを得ません。
私自身は、同書のp.226で「これまでの日本の市場経済は、ルールとか制度整備が不十分で、相手を騙して儲けるような行動を抑止する仕組みが十分に備わっていない、一言で言うと質の低い市場だった」と述べましたが、中でも従来の消費者金融市場はきわめて低質な市場であったと判断しています。それゆえ、略奪的貸付(predatory lending)が広範に横行していたとみています。
略奪的貸付の概念は、サブプライムローン問題で有名になったので、ご存じの方も多いかと思いますが、要するに借り手が不利益を被るような貸付のことです。自発的交換の世界で、どうして借り手が不利益な取引に応じるのかという疑問をもつ方も少なくないでしょう。確かに、完全情報で、交渉力等の面でも対等性が確保されているなら、強制されない限り、不利益な取引に応じる者はいません。しかし、情報の非対称性が存在したり、借り手の側に行動経済学的なバイアスがみられたりすれば、略奪的貸付は起こり得ます。
改正貸金業法に批判的な人は、よく「ヤミ金が増えるだけだ」といった言い方をしますから、ヤミ金が存在することは認めているわけです。それでは、ヤミ金がなぜよくないかというと、それは略奪的貸付行為にほかならないからです。この意味で、日本の消費者金融市場に略奪的貸付が存在することを前提として議論する必要があります。問題は、ヤミ金だけが略奪的貸付で、登録貸金業者はまったく略奪的貸付と無縁だったといえるかということになります。この点は、最終的に実証の問題ですが、少なくともヤミ金融に限定されず略奪的貸付がみられるというanecdotal reportsはたくさん存在します。また、いまのところそれを否定する実証結果も出されていません。
従前から、日本の消費者金融市場に関しては、「高金利、過剰貸し付け、厳しい取り立て」という現象がみられるという指摘が繰り返しなされてきています。このうち、厳しい取り立てというのは、私は、人間関係のような通常は「譲渡不可能(non-transferable)な資産」を譲渡可能(transferable)にする技術だと捉えています。
通常の意味での金銭的な資産や所得の他に、ある個人が職場や地域あるいは親族や家族との間で維持している人間関係の良好さといったことも、その個人の厚生水準の重要な規定要因です。その意味で、いわゆる無産者であっても人は、現在の人間関係から得ている便益の金銭相当額(あるいは、その人間関係を失うことの機会費用)を現在価値化した分の資産はもっていると考えることができます。厳しい取り立ては、親族や友人から借りて返済させるというかたちで、この資産を金銭化します。しかし、金銭化される割合はかなり低く、資産の大半は破損されることになる(すなわち、二度と親類つき合いや友達つき合いしてもらえなくなる)とみられます。
「多重債務の怖さは、その生活破壊力の大きさ、早さにある。」(岩田正美『現代の貧困』ちくま新書、2007年、p.179)と指摘されていますが、これは、いま述べたような事情があるからだと考えます。こうした理解が正しいとすれば、厳しい取り立てを伴う消費者金融は、大きな死荷重(deadweight loss)を発生させるものであり、その規模拡大は、社会的余剰をむしろ減少させるものになると考えられます。今回の貸金業法改正が信用収縮をもたらすことは、このような観点から意図されたものです。収縮する信用部分が、もっぱら死荷重を発生させるタイプのものであるならば、マイナスの効果を持つものがマイナスになれば、社会の厚生水準は改善することになります。
原因は「厳しい取り立て」にあるので、本当はそれだけを禁止できればいいのですが、立証可能性等の問題を考えると、取り立て規制の実効化(enforcement)はきわめて難しいものです。それゆえ、やむなく冒頭でも述べたように副作用が大きく、乱暴な手段である上限金利規制や総量規制を導入せざるを得なかったというのが、日本の消費者金融市場の情けない現状だといえます。改正貸金業法を批判する人は、社会的にもロスを生じさせるようなタイプの略奪的貸付を横行させてもよいというのでなければ、どのような代替的な方策があるのかを提示すべきでしょう。
ということで、貸金業法の改正後、略奪的貸付は顕著に減少しており、かなりの便益がもたらされたと私は判断しています(もちろん、これも最終的には実証の問題で、現時点で確たる証拠があるわけではない)。しかし、コスト増がこの便益を上回っていたら、失敗だということになります。
コストとして、一般に指摘されているのは、(1)中小零細事業者の資金繰りが困難化していると、(2)ヤミ金が増えているというものです。これらの点については、私も懸念していますが、辻広さんも指摘しているように、いずれもデータ的に裏付けられたものではありません。前者の点については、木村剛の『ファイナンシャル ジャパン』が特集するということのようなので、どんな証拠が出てくるのかを待ちたいと思います。
後者の点は、とても気にしているのですが、ヤミ金被害が増えたという感触は幸いなことにいまのところありません。もっとも、定義的に「ヤミ」ですから、公式統計とかがあるわけではないので、印象論にしかならないところがあります。首都圏とか関西圏では、警察の取締りが強化されたことから、明らかに減少していると思われます。東京在住であれば、神田駅周辺や新橋駅前の状況をみれば、このことは分かるはずです。しかし、(仙台や福岡といったクラスの都市を含む)地方では、増加しているのではないかと懸念される兆しがないわけではありません。
ヤミ金(の検挙数ではなく、被害)が増えているといっている人はいるのですが、どのような根拠に基づいているのか是非教えてほしいと思っています。ある記事のように、「ある大手消費者金融の関係者は『(断られた人は)おそらく他社でも断られているでしょうから、ヤミ金に流れるとみるのが自然でしょう』と話している。」というのだけが示された根拠というのでは、話になりません。
結論としては、純便益は増加しているという判断です。ただし、現状が最善でないことは当然で、次善どころか三善以下でしかない可能性も高いので、繰り返しになりますが、もっといい解決法があるということでしたら、是非ご教示下さい。
コメント
池尾先生の仰る事は、大筋でその通りだと思いますし、貸出額の総量規制については、まさしくそういう事だと思います。
ただ、利息制限法で上限とされている15%、18%、20%という金利水準の妥当性についてはどうなのでしょうか?
>立証可能性等の問題を考えると、取り立て規制の実効化(enforcement)はきわめて難しいものです。それゆえ、やむなく冒頭でも述べたように副作用が大きく、乱暴な手段である上限金利規制や総量規制を導入せざるを得なかった
というのはその通りだとしても、上限金利の15%~20%という水準についての妥当性の議論が、立法過程であったのでしょうか?
上限金利が30%程度までは容認されて然るべきだったのではないかと思うのですが。この点について、先生のお考えをお聞かせ頂けると幸いです。
まず、activeinvestorsさんが「上限金利が30%程度までは容認されて然るべきだったのではないかと思う」理由を説明して下さい。
--池尾
先生には釈迦に説法でしょうが、金利は日割りベースで付く訳です。年利30%というと非常に高く見えますが、月利では2.5%です。
消費者金融の利用者は、遊興費等に使う消費者だけではなく、池田先生も指摘しておられるように、中小・零細の事業者が短期の資金繰りに使うケースも多い訳で、その際には、そういった業者の粗利率と比べて、1か月なり2ヵ月なりの短期間に実際にかかる金利コストが支払い可能なものなのか?という観点で見るべきなのではないかと思うのです。
商社金融でも、商品の売買という形で、実質的に数%のマージンを取っているケースは普通にあると思われ、それと比べて、1か月2.5%、2ヵ月5%という金利が、特段に高いとは言えないように思えます。
消費者金融はメインの資金調達手段にはなり得ない訳で、緊急に資金が必要になった時にのみ使う限界的な手段と考えれば、利便性に対する対価、として、ある程度高い金利は許容されても問題ないのではないかと思うのです。
30%としているのは、規制前には大手の上限金利がその程度だったからです。過払い利息の返還コストを除いても、上限金利が15%~20%では、消費者金融のビジネスモデルが安定的に回らないように見受けられます。
改正貸金業法が成立する前の消費者金融市場がどのような状況だったか、思い出して下さい。消費者金融各社はきわめて巨額の利益を上げ、消費者金融会社のオーナーが長者番付の上位を独占するような状況でした。その一方で、多重債務による家庭崩壊や自殺の多発、あるいは強盗等の犯罪に走る者が出るといったことが社会問題化していました。このときの金利は、もちろんグレーゾーンですが、29.2%を上限としていました。
出資法の上限にそろえる形でグレーンゾーンを解消するというのは、上記のような状況を完全に合法化することでしかなく、問題に解決にはならないと考えられます。繰り返しますが、29.2%で非常に儲けていたという事実があるのですから、「上限金利が15%~20%では、消費者金融のビジネスモデルが安定的に回らないように見受けられます」というのは事実認識として正しくありません。また、前に一度書いたことがありますが、米国の大手消費者金融会社は10%代後半の金利で営業しているのが通例です。
--池尾
誤解のないように補足しますが、米国にも、payday loan と呼ばれる低所得層向けの年利に換算すると100%を超えるような消費者金融の形態が存在しています。ただし、payday loan は、略奪的貸付だという強い批判を消費者保護団体等からは受けています。
--池尾
池尾先生
早速にお返事頂きありがとうございます。
私ごときが専門家である先生に反論するのもどうかと思ったのですが、1点だけ反論させて下さい。
私は、総量規制には賛成です。量の規制が行われれば、金利が30%上限であっても、消費者金融各社の利益水準は著しく落ち、改正貸金業法施行前のような利益水準を各社が享受できるという事は有り得ないでしょう。
私が問題視しているのは、上限を15%~20%にしてしまった事であり、30%というのはあくまで上限です。
ちなみに、トヨタファイナンスを始め、消費者金融専業ではないのバンクのいくつかが、個人向け無担保ローンを取り止めた例がある訳ですが、これは「上限金利が15%~20%では、消費者金融のビジネスモデルが安定的に回らないように見受けられ」る事の傍証とは言えないのでしょうか?
↓
http://www.47news.jp/CN/200903/CN2009030901000627.html
いくつかの理由から、企業規模が小さくなるほど、平均費用が上昇するという関係があります。それゆえ、15~20%の金利だと、高コスト体質の中小規模以下の(あるいは、専業ではない)貸金業者は採算をとるのが困難になるというのは、確かです。
ただし、元に戻って考えると、既述のように消費者金融は、他の業態からうらやまれるような「高収益ビジネス」だとみなされていましたから、その蜜(高収益)に引き寄せられて多くの新規参入が起こりました(トヨタが、そんな昔から消費者金融をやっていたわけではありません)。この結果として、消費者金融業の規模は肥大化したとみられます。これが正常化する(過剰規模が是正される)プロセスで、退出する業者が発生するのは当然のことです。また、改正貸金業法の成立に伴って、貸金業界がかなりのスリム化と効率化を求められることになるという話はありますが、事情を分かっている人たちの中で、貸金業自体が全く成り立たなくなると考えている人はいないと思います。
--池尾
今では、金融業者ならどこでも「クレジットポリシー」を掲げていますが「略奪的貸し付け」はそのようなポリシーに反する貸し付けと考えれば良いと思います。そういう意味では、日本の消費者金融市場でも自ら掲げた「クレジットポリシー」に則った貸し付けができていなかった例は多く見られ、上限金利規制や総量規制は支持されて良いと思います。
>厳しい取り立ては、親族や友人から借りて返済させるというかたちで、この資産を金銭化します。しかし、金銭化される割合はかなり低く、資産の大半は破損されることになる(すなわち、二度と親類つき合いや友達つき合いしてもらえなくなる)とみられます。
カネの話をします。閑話休題コラム的な。
数年前会社を解雇された頃、私は荒れていました。裁判を起こせば不当解雇という事で毎月給料を得れたかも知れませんが、汚い金をもらうのは断然嫌でした。
ふとした事で火が付き、私は大学の旧友への借金、数万円を返させるべく、彼の会社の総務課に電話しました。彼が返さなければ会社で持ってもらう・・・という、まるで時事漫画のバーのマダムのような事も告げました。
そして私とその旧友の「友達つき合い」という資産は完全に破損しました。そのような行動は知れ渡り、大学の友人関係の資産は完全に破損しました。私がアゴラや池田信夫ブログなどで経済学を勉強し直したのは、その直後の事です。