安楽死に殺人罪を適用すべきか - 岡田克敏

岡田 克敏

 川崎協同病院で98年、気管支喘息の発作で意識不明状態だった患者の気管内チューブを抜き、筋弛緩剤を投与して死なせたとして、殺人罪に問われた医師の上告審で、最高裁は被告側の上告を棄却、殺人罪の成立を認め、医師の有罪が確定しました。

 この種の事件があるたびに「殺人罪」という罪名に対して違和感を覚えます。死期を控えた患者の苦しみを見かねた遺族が医師に懇願したケースが、利己的な動機のための殺人と同じ殺人罪で処断されるということに対する違和感です。両者はかなり異質なものに思えます。


 また、生命は今後数十年間生きられる命もあれば、あと数時間、数分の場合があります。残り数分の命を縮めても殺人となります。

 つまり両者の動機には質的な差があるうえ、絶たれた生命の状態にも大差があります。これを殺人罪という同一の法律で扱うのはやはり乱暴だと思います。

 殺人という行為の法的な定義を適用し、論理を積み重ねるとこのようになるのでしょうが、少し単純すぎはしないでしょうか。法の論理を厳格に貫徹することが最終目的ではありません。社会に役立つことが法の最終目的です。

 遺族が当人の苦しみを見かねて、医師に死を早めて欲しいと依頼することは珍しいことではありません。医師が依頼を承知する場合もあるでしょうけど、被害者がいるわけでなく、たいていは問題にならないと思います。昔はよくあったこと、という話を聞きます。

 今回、なぜ問題が表面化したのか知りませんが、たまたま医師が殺人罪に問われたとき、遺族は「依頼」の事実が判明すると自身も殺人罪に問われるので、「依頼」の事実を否定することになるといわれています。したがって医師だけが罰せられるという理不尽なことになる可能性があります。

 今回の川崎協同病院の事件でも遺族は依頼の事実を途中で否定したと聞きます。二審では依頼の事実は否定できないと消極的に認定されたようですが、もし一審のように否定されたままであれば、医師はさらに気の毒なことになっていたでしょう。

 医師が依頼もなく、患者を死に至らしめるということはたいへん考えにくいことです。そして依頼があったと推定される場合、依頼した遺族が罪に問われないことは論理的な整合性を欠くものです。この種の事件に問われる医師は、たいてい同情心が強く患者の信頼も厚いことが多いだけに、いっそう違和感が残ります。

 むろん、依頼者を罪に問うべきだと言うつもりはありません。このようなケースに殺人罪を適用することの是非を問いたいわけです。この判決によって、医師は末期患者の死に関してより慎重な姿勢になることと思われます。

 回復の見込みのない患者に対して、意味があるとは思えない延命処置、蘇生処置がしばしば行われることはよく知られています。生命を助けるという医療の使命ゆえのことですが、遺族の訴訟などに備えるためでもあると言われています。

 私自身、苦しくて回復が見込めない状態になれば、早く命を絶ってほしいと思っていますが、これは多くの人が望んでいることだと思います。医師が法的なリスクを避けるため延命処置、蘇生処置に懸命な努力をする間、悶え苦しむのは遠慮したいものです。それならば、むしろ世界の主流となっている薬殺による死刑の方が楽かもしれません。

 それはともかく、強盗殺人も安楽死も同じ殺人罪という現状は何とかならないものかと思う次第です。
 関連拙記事 終末期医療と安楽死

コメント

  1. sendai_takako より:

    強盗殺人は強盗殺人罪であって殺人罪ではないのではないでしょうか。

  2. nob4989 より:

    1点だけ除いて、ほとんど同じ意見です。現状では「殺人罪」を適用すべきだと思います。記事を批判したいわけではなく、運用に頼らず、法律の方を変えるべきなのではないかと思っています。現状では安楽死に殺人罪を適用するしかないが、別途、安楽死に関する規定を作るべきです。

    自分がもしものときは安楽死を選択したい、自分で判断が付くうちに、ある状況になったら安楽死が出来るような仕組みが欲しいと思います。祖母が老衰で5年ほどほとんど意識のない状態で、介護保険の給付を受けていましたが、祖母に対する思いとは別に、自分が介護される当事者になったときに苦しいかも知れないし、介護する側にも迷惑をかけたくない、それにこういった人々が増えた世の中が回るとはとても思えない、と思ったのがきっかけだったと思います。

    少子高齢化の急速な進展を前にして、こういった議論が起こらないのが不思議でなりません。

  3. courante1 より:

    sendai_takako さん
    ご指摘、ありがとうございます。その通りだと思いますので訂正します。

    nob4989さん
    詳しい状況も知らず、医学や法律の素人として、今回のケースについて、意見を言う立場ではありませんが、今後の問題として運用ではなく法を変えるべきだと思っています。

    祖母の方のお話、とても切実な問題ですね。誰でもそうなる可能性があるわけで、きれい事で解決できることではないと思います。

    参考記事で触れたように、オランダやベルギーの例は自己決定権に基づくもので、ひとつの方向を示しています。命を地球より思い、と言った単純な理念では解決できないことです。きれいではない現実論に踏み込みたくないのでしょう。

  4. shlife より:

    私も、自身の入院経験から、ほぼ同意します。
    私が見た医療現場では、さまざまな理由(社会通念、配慮、多忙、責任回避、権威主義など)から、医師が最小限の情報しか患者に説明していないです。
    患者に対して情報が透明化されていない状況があり、医療側の都合で治療内容を容易に操作できます。このような観点から、患者側に不利であると考えて安楽死法に反対してる人もいます。

    私は、まずは、インフォームコンセントとQOLの概念を取り入れた、「自然死法」を議論するのが良いかと思います。(安楽死法より敷居が低いと思いますので)

  5. courante1 より:

    shlifeさん
    なるほど、そういう問題もかかわってきますね。医療側に対する信頼が条件となるでしょう。「自然死法」、この名前はいいですね。ずいぶん抵抗感が少なくなります。

    この問題に関する議論がなかなか起きないのは、自分の身に降りかかるのはずっと先のことだ、という意識が抜けないためでしょう。しかし死に直面したときはおそらく発言能力がなくなっているときです。

  6. 海馬1/2 より:

    昭和天皇崩御の時から20年たっているのに、
    社会的コンセンサスがさだまっていないのにも
    笑える。「尊厳死」というか、治療停止については、
    患者と個別に交渉が、あるようですが、
    家族が本人に代わって判断するときに問題があるようでね。
    『楽にしてやって』では、どちらでも取れる。
     立件・起訴は殺人罪だが、有罪にするのは馬鹿ばかしい。