枝野代表「原発をやめるってそんなに左派的なんですか?絆や家族が壊されたんですよ。大事な国土を汚染して、人が住めない状況を作ってしまった。(家族や国土を大切にする)保守派こそ脱原発に賛成すべきではないですか」
https://t.co/pggjmBmwKI— 立憲民主党 (@CDP2017) 2017年10月4日
立憲民主党のツイッターが人気で、フォロワーがもう11万を超えたという。「反自民」が明確だから、政権に対するスタンスのはっきりしない希望の党より現状に不満な人々の支持を集めやすいのだろう。その政策のトップは、あいかわらず「原発ゼロ」である。
しかし多くの人は、枝野氏を「3・11の官房長官」として記憶しているだろう。あのとき彼の発表した原発事故についてのでたらめな情報に福島県民は振り回され、迷走する民主党政権の危機管理が国民を恐怖に陥れた。
震災は大惨事だったが、原発事故は原子炉が崩壊する「メルトダウン」ではなかった(それは後から定義を変更したものだ)。事故は過熱して気圧の高まった原子炉から水蒸気を抜き、それが水素爆発を起こしただけだった。大気中に出た放射性物質は微量で、それによる健康被害はない。
それは枝野氏も認めている。彼は「絆や家族が壊されたんですよ」というが、「命が失われた」とはいわない。命は1人も失われていないからだ。「人が住めない状況を作ってしまった」のは民主党政権だ。ほとんどの地域の放射能汚染は年間100mSv以下で、人体に影響はない。原発事故の被害は、すべて民主党政権とマスコミの作り出した風評被害である。
あのとき民主党政権でなかったら、被害ははるかに小さくてすんだだろう。マスコミの過剰報道も、枝野官房長官の混乱した発表にあおられた面が強い。事故直後の避難も、ほとんどの地域は年間100mSvには達していなかったので、結果的には必要なかった。一時的な過剰避難はやむをえないが、ICRPの基準に従えば、20mSv以下は帰宅してもよかった。
ところが政治的に危機に瀕していた民主党政権は、原発事故を利用して人気を挽回しようとして、その被害を最大限にあおった。菅首相は全国の原発を違法に止め、その多くはいまだに動かない。野田政権は「2030年代に原発ゼロ」という閣議決定をしようとして、アメリカに待ったをかけられた。
民主党が「民進党」とか「立憲民主党」と改名しても、あのとき日本人に刷り込まれたトラウマは消えない。危機を利用して国民の恐怖をあおった政権の罪は、枝野氏が死んでも永久に残るのだ。