官僚はスーパーマンではない

山田 肇

行政事業レビューについて先週二つの記事『外務省のレビューで電子行政の課題が見えた』『農林省レビューで見えた成果指標のあいまいさ』を書いたら意見が寄せられた。煎じ詰めれば「レビューで批判される官僚は無能なのか」という疑問だが、そうではない。

昨年のレビューが対象としたのは各府省の労働者育成事業。農林水産省は農業者・林業者等の育成を目指し、国土交通省は建設業従事者の育成を進めている。業界それぞれ高齢化が進み若手労働者が不足しているためである。そのほかにも、急激な需要拡大に対応するIT労働者育成についても関連する事業がある。しかし、林立する労働者育成事業は人数に限りがある若者を取り合うことになるので、いずれも目標に届かない結果になる恐れが高い。

それでは、これらの事業を立案した各府省は無能なのだろうか。むしろ、所管する産業の発展に役立とうと彼らは事業を立案したし、それだけを見れば事業内容もおかしくはない。こうした「合成の誤謬」は各府省から少し離れなければ見つけられない。だからこそ首相官邸に置かれた行政改革推進本部の下で行政事業レビューが実施されるのである。

民間企業の中期計画で「五年後に売上を二倍」という目標が書かれたとして、それにどれだけの根拠があるだろうか。同様に、数年前に掲げられた「訪日客2000万人」にも外務省が推進している「国連における日本人職員1000名」にも合理的な根拠はない。事業の成果目標は国民に明確に伝わるが、それが合理的であるかは別である。

観光事業の振興についても、国連における我が国のプレゼンスの向上も疑義を挟む国民は少ない。それは日本産農林水産物の輸出拡大も同じ。そういった国民心情の代表者として政治家が政治的目標として掲げた数値を実現するために、各府省は事業を誠心誠意推進しているのである。これは議院内閣制の必然的帰結である。

このような事業では事業手法が合理的かを検討するよりも、目標達成が優先されがちである。それに行政事業レビューが待ったをかけ、事業の有効性や効率性を客観的な指標で判断できるように求めるわけだ。

行政事業レビューで「廃止」と判定されることは、メディアが書きがちな「税金の無駄遣い」に相当するのだろうか。この解釈も間違いである。事業に有効性や効率性が乏しいので「廃止」と判定されるという点では事業は失敗だった。しかし、その事業が何で失敗したのかは分析できるし、将来に教訓を残すこともできる。これを重ねれば次の事業が失敗する確率が減っていく。

先行する米国などに学んで、政府は根拠に基づく政策形成(EBPM)の推進に動き出した。事業が目標とする成果を実現するためにどれだけの資源を投下する必要があるか、成果を評価する指標をどのように定めるか、そして事業の成功が社会にどのようなインパクトをもたらすか、これらについてできる限り数値を用いて論理的に事業を設計し(これを「ロジックモデルを作る」という)、推進し、評価するのがEBPMである。

EBPMを徹底すれば成功した事業が特定できるが、失敗事業も露わになる。政府がEBPMを推進すれば「霞が関の無謬神話」は崩壊する。こうして、官僚もスーパーマンではないと国民が理解していくのはよいことだ。