『日本国紀』監修者・久野潤氏の反論に応える①

呉座 勇一

百田尚樹氏が昨年11月に出した『日本国紀』は現在8刷60万部に達したらしい。だが売り上げ絶好調の反面、『日本国紀』への批判は少なくない。かくいう私も朝日新聞で連載しているコラムで『日本国紀』の問題点を指摘した(リンク先全文は有料会員のみ)

百田氏新作、過激と言うよりは

通説と思いつきの同列やめて

足利義政のイメージは本当か

誤解生む「日本文化」の絶賛

一連の批判に対し、『日本国紀』著者の百田氏や担当編集者の有本香氏は「嫉妬」「暇人」「揚げ足取り」などと揶揄する程度で本格的な反論は行っていない。しかし先日、『日本国紀』の監修者の一人である久野潤氏が『日本国紀』批判への反論を行った。

百田尚樹『日本国紀』をコンナヒトタチに批判されたくない(iRONNA)

この記事の中で私も名指しで反論されているので、久野氏の反論に応答したい。

久野潤氏(SNSより)と「日本国紀」:編集部

校閲は結果が全て

『日本国紀』は刊行直後から事実誤認や記述ミスが次々と指摘され、その杜撰な校閲が批判されてきた。

これに対し久野氏は

「2週間かけてゲラをチェックしていった。筆者の専門は昭和戦前期の政治外交だが、他の時代も合わせて、ほぼ全ページに赤(実際のペンの色は、他の編集工程をはばかって青であったが)を入れさせていただいた。幻冬舎側のチェックも、相当細かいところまで行われていたことを付記しておく。自分の研究室での作業だけでなく、移動中も膨大なゲラを持ち歩いてチェックしたものである。そしてその後のやり取りも経て、校了となった。」

と反論している。

しかし小学校の夏休みの宿題ではないのだから、「どれだけがんばったか」ではなく結果が重要である。久野氏は戦史研究者とのことだが、日露戦争や第二次世界大戦の記述に関しても下記サイトなどで誤りが報告されている。

ミリオタの「日本国紀」アラ探し

日本は仏印の解放者?

これに対し久野氏は「『日本海海戦でロシア艦隊が失った巡洋艦は5隻ではなく4隻』といった批判は些細なミスをあげつらった、ためにする批判だ」と抗弁するかもしれない。だが、その反論を認めたとしても、太平洋戦争で日本が「ベトナムとカンボジアとラオスを植民地としていたフランス」を相手取って戦った、という記述(初版本、391p)は些細なミスでは片づけられない致命的な錯誤である。

『日本国紀』自身が記しているように(381p)、ナチスドイツに敗れたフランスでは親独傀儡のヴィシー政権が成立しており、日本はヴィシー政権の了解を得た上で北部仏印、さらには南部仏印に進駐している。これを見たアメリカは1941年8月に対日全面禁輸に踏み切った。南部仏印進駐は日米関係を決定的に悪化させ、日米開戦を不可避のものとしたのである。

そして下記サイトで指摘されているように、太平洋戦争開戦後も日本はヴィシー政権による仏印植民地統治を容認している。日本が仏印で軍事行動を起こすのは、大戦末期にヴィシー政権の崩壊を受けて仏印駐留のフランス軍が連合国寄りになってからであり、植民地解放を目的とするものではない。

『日本国紀』、日本が「友好国」に戦争を仕掛けてしまう

「日本が植民地解放のためにフランスと戦った」という説明は『日本国紀』381pの記述と矛盾するし、南部仏印進駐、ひいては太平洋戦争を正確に理解できないので、「うっかりミス」では済まされない。

昭和戦前期の政治外交を専門とする久野氏がゲラをチェックしたにもかかわらず、このような致命的な誤りが残ったのだとしたら、久野氏は歴史研究者として己の力不足を反省すべきであって、批判者に対して匿名だの罵詈雑言だのと難癖をつけるのは筋違いであろう。

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呉座 勇一   国際日本文化研究センター助教

1980年、東京都に生まれる。東京大学文学部卒業。同大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。専攻は日本中世史。現在、国際日本文化研究センター助教。『戦争の日本中世史』(新潮選書)で角川財団学芸賞受賞。『応仁の乱』(中公新書)は47万部突破のベストセラーとなった。他書『一揆の原理』(ちくま学芸文庫)、『日本中世の領主一揆』(思文閣出版)がある。