産経の天皇観には驚く
天皇陛下の退位、即位に始まる10連休中、新聞は皇室報道一色から始まり、ニュースのネタがないからなのか、何が何でも「令和」に結びつける紙面を作りました。「新時代の到来」を叫ぶわりに、新聞の想像力の不足が気になっていましたので、連休が終わり、やれやれです。
それでも各新聞の特色は浮かびあがり、新聞比較の材料にはなりました。中でも突出していたのは産経新聞です。まるで戦前に回帰したような錯覚にとらわれました。一方、朝日新聞は退位と即位の日の記事は、他紙と同様に皇室一色で埋め、憲法の日などは護憲論を強調しました。
もっとも違和感を持ったのは、産経新聞です。熊坂会長が署名入りのコラムを書いています。「譲位される今上陛下に言上したい」、「天皇陛下、どうもありがとうございました」、「いくら賛仰しきれないほどの徳を積まれてきた君主であられた」など、戦前の称賛の言葉が並びます。
まるで天皇の神格化
「言上」(ごんじょう)は「目上の人に申し上げること」の意味で、極めてへりくだった表現で、滅多に使うことはありません。「賛仰」(さんぎょう)は「聖人や偉人の徳を仰ぎ尊ぶこと」の意味です。退位された天皇が象徴天皇として、並々ならぬ忍耐と努力を続けられ、国民の敬愛に値するにしても、筆者は天皇を聖人化、神格化したいのかもしれません。新憲法では象徴天皇と規定しています。
もう一つは「譲位」です。「譲位」と「退位」とでは、意味がまるで違います。「譲位」は天皇が自分の意思で、天皇の座を降りることであり、「退位」は法律に基づいた政治の意思です。「譲位」は「首相や会長の座の禅譲」に似て、首相や会長が自らの意思で後任に座を譲る。天皇は自らの意思で座を降りると、政治的意思を天皇に認めることになり、憲法の精神に反します。
今度の「退位」では、「天皇の退位に関する皇室典範特例法」と例外的に立法化して、実現させました。もっとも「天皇が高齢となり、国事行為や公的な活動の継続が困難となることを深く案じておられる」が切っ掛けですから、天皇の思いを汲んだ措置ではあります。「皇室典範の例外として、天皇陛下(今の、の意味)に限り退位を定めた」という法的な経緯を経て、退位となりました。
他紙と比べてみると、朝日も読売も「令和の幕開け」「陛下退位」「新天皇即位」と表現は同じです。皇室典範では終身在位が前提になっていますから、神道系や保守系の人たちには、「生前退位」に反対する勢力があり、産経もそれに乗ったのでしょうか。
「譲位」でなく「退位」が正しい
大差がないようでも、天皇の政治的意思、政治的行為を認めない憲法の精神からすると、重大な問題です。皇室典範にない「譲位」に産経がこだわるのなら、その理由を紙面に掲載すべきでしょう。
産経の「主張」(社説)に「令和の御代が始まった」「国民あげて皇室の弥栄(いやさか)を祈る」という表現があります。「御代」は天皇の治世の意味です。新憲法下では天皇は象徴であり、治世はあり得ない。「万歳」と唱和する時、神社の儀式では「弥栄」です。産経の読者層、支持層がよく見える。
「陛下」という呼称はどうなるのでしょうか。これまで「天皇陛下、皇后陛下」「天皇、皇后両陛下」ですみました。それが「上皇、上皇后」、「天皇、皇后」と、区別することが必要になりました。皇室典範では「上皇陛下、上皇后陛下」と、「陛下」をお呼びしてもいいようです。
そうなると複雑、紛らわしいので、報道では「上皇さま、上皇后さま」、「上皇ご夫妻」、あるいは「皇后雅子さま」など、「陛下」ではなく「さま」が多用されています。「上皇陛下」は堅苦しく「さま」の方が親しみを持てますね。
最後に、即位を祝う一般参賀で、宮殿のベランダに13人の皇族の方々が並びました。男性は3人、女性は8人でした。朝日は「皇族の減少、対策不可避」と懸念を表しました。一方、産経は「女系の継承は別の王朝の創設に等しく、皇室の正当性や国民の崇拝の念が傷つく」と論評。これには驚きました。
男系皇室の存続を願う産経が、結局、皇室を廃絶しかねないリスクを負っていることなります。
編集部より:このブログは「新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ」2019年5月6日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、中村氏のブログをご覧ください。